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とびだせどうぶつの森 QRコード置き場

ここにはおもに『とびだせどうぶつの森』でネオジオキャラになりきるためのマイデザイン用QRコードや、SNK関連の二次創作テキストなどを置いています。髪型や髪色、瞳の色については『とびだせどうぶつの森』の攻略Wikiを参照してください。

『うつぼ舟、胡蝶の舞』 前段

二次小説 侍魂

 ふもとの里ではまだ夏の名残が居残っているが、ここではすでにすっかり秋の色に染まり、風に薄のそよぐ音が何とはなしにもの哀しい。何かに急かされるように沈みゆく夕陽が、ほこりっぽい道に黒々とした影を落としていた。
 滅多に旅人も訪れることのない飛騨の山中――名刹、枯華院をその日の暮れに訪れたのは、剣豪として知られた柳生十兵衛であった。
 隠密として幕府の密命を受け、諸国を飛び回る名うての剣客が、このような鄙びた古寺に何用で――と、あえて問う者はいない。十兵衛の用向きについては、すでに先方には書状で伝えてある。
 大きな包みを小脇にかかえ、苔むした石段をしっかりとした足取りで登った十兵衛は、山門のところまで迎えに出てきた小坊主に案内され、質実剛健な造りの本堂へと通された。

 「……ようまいられた、十兵衛どの」
 渋い艶が光る板張りの本堂で待ち受けていたのは、白髯白眉の小柄な老僧であった。
「お初にお目にかかります、和狆和尚」
 老僧に対して慇懃に一礼し、十兵衛は小さく笑った。
「お噂はかねがね――」
「ほっほっほ……どうせあの悪餓鬼がありもせんことを吹き込んだのでございましょう。覇王丸のいうことは、どうか話半分でお聞きくだされ」
「その覇王丸は、今はこちらには……?」
「さて……今はどこをふらついておるのやら――案外、十兵衛どのと入れ違いに、江戸あたりに向かっておるのやもしれませぬぞ?」
 長く伸びた髭をいじりながら、老僧は好々爺然とした笑みを浮かべた。
 枯華院の住職にして覇王丸の師でもある花諷院和狆――若かりし頃はひとかどの剣客として、あるいは退魔師として名を馳せたと聞く。年老いたとはいえ、その実力がいまだ健在だということは、こうして相対している十兵衛も肌で感じていた。
 その和狆和尚に、十兵衛がはるばる江戸から会いにきたのは、和狆の知恵を借りなければならない仕儀とあいなったからであった。
「……それで、拙僧に見せたいものとおっしゃるのは……?」
 白湯を運んできた小坊主の足音が聞こえなくなるのを待って、和狆のほうから本題を切り出してきた。
「これでござる」
 十兵衛はたずさえてきた包みを開き、中から取り出した桐の箱を和狆の前に置いた。ごとりと、わずかに重い音がする。
 しばし無言でその箱を見据えていた和狆は、上目遣いに十兵衛を一瞥して尋ねた。
「……開けてよろしいか?」
「どうぞ」
「では」
 和狆は袖をさばいて箱にかけられていた紐をほどいた。
「神田橋――といって、お判りになりますか、御坊?」
 和尚の手もとにじっと視線をそそいだまま、十兵衛は尋ねた。
「確か……江戸城の北東にある橋ではなかったかと」
「左様。ひと月ほど前、神田橋のたもとの石垣が崩れたために普請が入ったのですが、その際、石垣にできた穴の奥からそのようなものが出てまいりました」
「ふむ――」
 桐箱の中に納められていたのは、緑青が浮いてまっぷたつに割れた銅器だった。
「古い……鐸のようですな」
「鐸?」
「銅鐸、大鈴、さなぎとも呼びまする。大陸に古くから伝わる……ま、鈴か鐘のようなものとお考えくだされ。――して、これはどのように?」
「見つかった時には、ぼろぼろの布で封がされておりました」
「封が?」
「どうやらそうらしい、と。……人足たちが剥がして捨ててしまったとのことで、封がしてあったらしいということしか判りませぬ」
「中には何が?」
「そこがまた厄介な話でござる」
 十兵衛は扇子を開いてひとあおぎした。もっとも、首すじを流れ落ちていく気味の悪い汗は、暑さによるものではあるまい。幕閣たちの前でこの話をしていた時にも、やはり同様の汗が流れた。
「前に神田橋御門の修繕をしたのは五〇年も昔とのこと……であれば、その鐸とやらは、その時何者かが人知れず埋めたものということになります。ともあれ、国学者の誰それに命じてその来歴を調べさせようとしたのですが」
「死んだ――と?」
「はい」
 和狆の言葉に十兵衛は隻眼を伏せた。
「おのれが吐いた血の海におぼれたとでもいいたくなるようなありさまで……その骸のかたわらに、まっぷたつになったそれが転がっておりました」
 そして、その日以来、江戸の市中で次々に人が死ぬようになった。
「あれだけの人が住まう江戸なれば、人死になど珍しくもございませぬが、さすがにこれは面妖だと――」
「どのように面妖だと?」
「たとえば――」
 ある日の朝、日本橋のとある呉服屋の一家が、上は隠居した先代から下は齢九つの丁稚まで、ひとり残らず死んでいた。
 その翌日、今度は赤坂の某藩邸で、当主から中間まで、とにかくそこに居合わせたすべての者たちが、やはり夜のうちに死んだ。
 さらにその次の日、本所のさる長屋でも、店子たちがひとり残らず死んでいるのが見つかった。
「みな、臓腑が腐っておりました」
「臓腑が?」
「はい。前の日までは元気にしておったというのに、一夜明けた時には臓腑が腐り果て、血を吐いて死んでおるのです。何と申せばよいのか……とにかく尋常ではござらぬ」
「流行り病のたぐいということはございませぬか?」
「それが……通りをひとつへだてただけの隣の商家や屋敷では死人は出ておらぬのです」
「ほう――」
「単なる病とは思えませぬが、いずれにせよ、夜が明けるたびにあちこちで人が死ぬのです。それも一度に一〇、二〇と。……あすは我が身かと浮き足立つ者もすでに出ております」
「この鐸の封を解いてのちより、そのような不気味なことが起こり始めたと――そうおっしゃいますか」
「左様。……それとも御坊は、ただの偶然だとお考えでしょうか?」
「偶然ではないと考えたほうがよいでしょうな」
 壊れた銅鐸を指先ではじき、和狆は呟いた。
「御坊のお考えをお聞かせいただきたい」
「今少し調べてみなければ何とも申せませぬが、拙僧の当て推量でよろしいのであれば、おそらくは蠱……で、ござりましょう」
 合間合間にたっぷりと沈黙をはさみ込み、和狆はもったいをつけるように答えた。
 蠱――蠱毒とは、蛇や蜘蛛、蠍といった毒虫のたぐいをひとつところに集めて封じ、たがいに食い合わせて、最後に残った一匹をもちいて人を呪う外法である。
「その蠱のために、人が次々に死んでいるということでしょうか?」
「ありえぬ話ではありますまい。蠱とはそのようにひそやかに人を呪うものでございますゆえ」
「ふむ――」
 とはいえ、それはなかば十兵衛にも予見できていた答えである。十兵衛が欲しているのは、それよりもさらに踏み込んだものだった。
「では、その狙いは、やはり――?」
「左様、将軍家と見るべきでしょうな。……ただ」
「ただ?」
「前の普請が五〇年ほど前と申されましたな?」
「いかにも」
「尋常の蠱であれば、これを仕込んだ者が、頃合いを見てみずから掘り出しにくるはず……ですが、その者は掘り返しにこなかった。おそらくはすでに死んでおるのでしょう」
「何と?」
「ですが、この銅鐸の中にあったものは、誰かがいずこかへ持ち去ってしもうたようです。……いや、いずこかへ去ったというべきか……」
「去った……?」
「いや、詳しく調べてみなければ、これ以上のことはどうにも――」
 和狆は言葉を濁し、すっかり冷めきった白湯をすすった。
「ですが、もし拙僧の考えが正しければ、これは人の手にあまる難事となりましょうぞ」
 老僧の重みのある言葉に、十兵衛はふたたび気味の悪い汗が背筋を伝うのを感じた。

      ◆◇◆◇◆

 このところ、江戸では雨が続いていた。
 梅雨どころか夏ももう終わるという時期に、身体の芯まで冷え込むような霖雨は、人々の顔を否応なくうつむかせるものだが、覇王丸の歩みは変わるところがない。穴だらけの傘を肩にかつぐようにさし、鼻歌混じりにぬかるんだ道を行く。
 内藤新宿まではあと二里ほどはある。蓑に笠をまとった旅人たちが、足早に覇王丸を追い越していくのは、日が暮れるまでに宿に入りたいからだろう。
 覇王丸の健脚ならば、そんな旅人たちをさらに追い越し、半刻とかからずに宿場までたどり着ける。
 が、そうはしない。しても意味がない。今の覇王丸の懐には、木賃宿に泊まるほどの金もないからである。
 もとより宿に泊まるつもりがないから、急ぐいわれもなかった。さすがにこの雨の下でというわけにはいかないが、どこかで雨露をしのぐことができれば、ごろりと寝転んで夜を明かしたとて、風邪をひくようなことはあるまい。
「――お」
 左手を懐に突っ込んで歩いていた覇王丸は、行く手に見える四つ辻に大きな橡の古木が佇立しているのに気づいた。樹齢はどれほどか、大柄な覇王丸がふたり手をつないでも足りないほどの、太くしっかりとした巨木である。
 覇王丸がそれを見て思わず声をあげたのは、くだんの橡の根元に、覇王丸でもどうにか這ってもぐり込めそうな洞があったからである。寝心地はよくないが、雨の一夜を明かすにはそれで充分だった。
「酒が心もとねェのが何ともわびしいモンだが……ま、ぜいたくはいってられねえか」
 腰に下げた瓢箪には、きのうの朝、宿を出る時に詰めた安酒が、ほんのひと口ふた口残っているだけだったが、うまい酒を飲むのは江戸に着いてからでいい。覇王丸は首をすくめて小走りに橡の根元へと駆け寄った。
「……?」
 その浮かれた足先がふと止まったのは、洞の奥に先客がいるのに気づいたからであった。
 少女がいた。
 少女――なのだろう。少なくとも覇王丸の目にはそう映った。
 粗末な麻の衣をまとった、年の頃は五つ六つほどと見える娘が、洞の奥で膝をかかえて座り込んでいた。一見して、その姿勢のまま息絶えているのかと見まがうほど、骨と皮ばかりに痩せおとろえているが、それでもその双眸だけは、炯々とした輝きを放っている。
「先客あり、か」
 いたずらに少女を怯えさせまいと、覇王丸は少しくおどけたように呟いた。が、少女はぴくりともしない。ただその瞳だけがわずかに動いて、覇王丸を捉えた。
 飢えかつえた者によくある目をしている。ぎらぎらと異様な光を宿している一方で、底なしの暗い穴を思わせるその瞳は、しかし、覇王丸がこれまで見てきた人々のそれとは、どこかが違っていた。何がどう違うとはうまくいえない。
 だが、何かが違う。
 だからこそ、のちのちまでこの少女を忘れられなかったのかもしれない。
「男女七つにして席を同じうせず――なんてかてェことをいうつもりはねえが、ここにふたりはさすがにきついわな」
 破顔し、覇王丸は懐から竹の皮で包んだ握り飯を取り出した。昼前、道中の茶飯屋で握ってもらったものだが、食えないことはない。
「あとは――そうだな」
 覇王丸が腰の印籠を振ると、かろかろと小さな音がした。印籠の中身は、路銀を稼ぐために堺で用心棒の真似事をした折、気前のいい豪商からもらった金平糖である。肝心の路銀はあっという間に酒に変わって消えたが、これはまだかろうじて残っていた。
 ここから数粒ほどを振り出して――というのもけち臭い。覇王丸は印籠をはずし、それを握り飯といっしょに少女に差し出した。
「さして腹の足しにゃならねェかもしれねえが……どうだい?」
「…………」
 少女は覇王丸の顔と印籠とを交互に見くらべるばかりで、いっかな手を伸ばそうとしない。
 少女の顔色に怯えと戸惑いを読み取った覇王丸は、小さくうなずき、少女の手が届くところに包みと印籠を置いて立ち上がった。
「気が向いたら食ってみな」
 ふたたび破れ傘を肩にかつぎ、覇王丸は歩き出した。
 雨に濡れながらの道行きに、少女のまなざしを感じる。背中を見つめられているのが何ともこそばゆく、それが束の間、雨の冷たさを覇王丸に忘れさせた。
「――――」
 少女の視線を感じなくなった頃、覇王丸は、はたと思い出したように立ち止まった。
 あの粗末な身なりの少女の、帯だけがやけに真新しかったことが思い出される。藤色の、胡蝶の柄を織り出したあの帯は、雨露をしのぐ家すら持たない、それも幼い少女にはあまりにも不釣り合いなほどに見事で、それゆえに覇王丸の脳裏にはっきりと刻み込まれていた。
 あれを売ればそれなりの金になるだろうにー―と考える自分の浅ましさに気づき、覇王丸は苦笑いを浮かべてまた歩き出した。
 いかに飢え、ひもじい思いをしようと、覇王丸に腰の河豚毒を売るつもりはない。要はそれと同じことだろう。あの少女にも、帯を金に換えられない事情があるのかもしれない。
 自分をそう納得させ、覇王丸は雨の中を歩き続けた。

 まるで梅雨を思わせる秋口の長雨は、それから三日も続いてようやくやんだ。

      ◆◇◆◇◆

 虫の声がやんだ。
「――――」
 枯華院の離れで休んでいた十兵衛は、静かに目を開き、じっと天井を見つめた。
 何者かに見られている――。
 十兵衛の隻眼にはほとんど闇しか見えなかったが、あちらには十兵衛が見えているのだろう。明確な意志をともなうまなざしを感じて、十兵衛は目を醒ましたのだった。
 人ではない――自分を見張っているのは人にあらず、あやかしに違いない。その確信が十兵衛にはあった。以前なら思いもしなかったことだが、天草での騒動以来、十兵衛にはそうした気配が何となしに察せられるようになっていた。
 江戸にいた頃も、それに飛騨までの道中でも、たびたびそうした気配を察することがあった。いっそこの浮世はあやかしばかりといってもよい。
 ただ、枯華院に来てからの三日ほどは、あやかしの気配が嘘のように消えていた。さすがに和狆和尚の住まう寺にはあやかしも入ってこられぬものかと、感心していた十兵衛である。
 ところが今、三日ぶりに、十兵衛はあやかしの気配に目を醒ました。しかも、これまで十兵衛が感じていた気配よりはるかにはっきりとしている。
 虫の声の代わりに、不意に吹き始めた風が、庭に面した障子戸を揺らしてかたかたと音を立てた。
 次の刹那、十兵衛は布団を跳ね飛ばし、身を転がすようにして刀掛の虎鉄に手を伸ばした。
「――でいっ!」
 野太い気合の声とともに引き抜いた刀を水平に一閃させる。すると、いきなり目の前の障子に墨をにじませたような染みが浮かび上がった。
「――――」
 十兵衛はそのまま闇の中で微動だにしていなかったが、やがて虫の声が戻ってくると、静かに息を吐き出した。
「……十兵衛どの」
 十兵衛が刀を鞘に納めた頃、紙燭を手にして和狆がやってきた。
「御坊か。……お騒がせしまして」
「いや」
 障子の向こうに立った老僧は、紙の上に現れた黒い染みを凝視しているのか、しばしその場に立ち尽くしていた。
「――さすがですな、十兵衛どの」
 長い沈黙を間にはさみ、和狆はいった。
「目に見えぬあやかしをひと太刀にて断つなど、なまなかな腕でできることではござりませぬぞ」
 そう呟く和狆の声はどこか嬉しそうでもあった。十兵衛は刀掛に虎鉄を戻すと、障子に手をかけた。
「…………」
 つい先ほど飛び散ったはずの黒い染みが、いつの間にか消えている。あれは何かの見間違いだったのかと、十兵衛が顔をしかめて寝間を出ると、まるでその胸中を読み取ったかのように和狆がいった。
「十兵衛どのにも瘴気が見えたようでございますな」
「瘴気……?」
「今のあやかしは、十兵衛どのの剣気にて消し飛ばされたようでございますな。その名残の瘴気が、どす黒い墨のようにいっとき見えたのでございましょう。放っておけばおのずと消えるものなのですよ」
「左様ですか」
 飛騨山中、初秋とはいえ夜は震えが来るほどに冷え込むはずだが、先ほど虎鉄を振るった時の気合が今も体内をめぐっているように思えて、十兵衛は不思議と寒さを感じない。十兵衛は和狆と並んで縁側から夜の庭をじっと見つめていた。
「されど十兵衛どの……」
 白い髭を撫でつけ、和狆が口を開いた。
「何やら妖しげなものに魅入られておいでなのでは?」
「お判りですか、御坊? 実は――」
 十兵衛は、天草から戻ってのちのことをかいつまんで語った。
「なるほど……どうやら十兵衛どのは、そうしたものに狙われるさだめなのやもしれませぬな」
「狙われるさだめ、と……?」
「どうもこのところ、あやかしどもに妙な動きがござりましてなあ。これは何か凶事の前触れではないかと思うておりまする」
「凶事?」
「十兵衛どの、これはおいぼれの戯言と思って聞き流していただきたいのじゃが」
 いまさらのようにそう前置きをして、和狆は続けた。
「……今となっては、天草の怨霊の跳梁すら、これより起こるであろう凶事の前触れではなかったかと――拙僧にはそう思えてならぬのです」
「あの天草四郎の怨霊が――あれですら前触れにすぎぬと?」
「何の確証もございませぬ。ただ拙僧がそう感じておるだけのこと……ですが、充分にお気をつけくだされ、十兵衛どの。どうやらあなたさまは、そうしたものと惹かれ合う宿業を背負っておいでのようですからのう」
「宿業……ですか?」
「ま、判りやすくいうなら……先ほどのようなあやかしに狙われやすいということですじゃ」
 和狆はそこで十兵衛を見上げ、まるで他人ごとのように笑った。
「およそ剣に生きる者は業を背負うもの……これも逃れられぬさだめと、もしあの悪餓鬼に会うことがあれば、そのようにお伝えくだされ。あれもまた、十兵衛どのと同じく魔に魅入られやすい男なのですよ」

      ◆◇◆◇◆

 牛込は武家屋敷が多く建ち並ぶ土地で、そのせいか、下町の猥雑さというものがない。特にこのあたりは多くの寺社が軒を連ねているために、居心地の悪い静謐さがまるでのしかかってくるかのように思える。
 そんな界隈に、生まれつき声の大きいがさつ者の覇王丸が逗留しているのは、単に金がないからだった。和狆の知り合いが住職を務める小さな寺の離れなら、せいぜい薪割りを手伝うくらいで宿代はかからないし、粥や漬物といった質素な食事にもありつける。この上、酒を飲んで陽気に騒げないなどと文句をいったら、それこそ仏罰が当たるだろう。
 とはいうものの、やはり寺暮らしは覇王丸にとっては退屈である。寺の庫裏にある書物も抹香臭い経典だの寺の縁起書だのばかりで、覇王丸が興味をかき立てられるようなものはない。
 その日も覇王丸は、これといってすることもなく、寺の離れでごろごろしていた。
「――――」
 ふと板間で寝返りを打った覇王丸の目に、おびただしい赤が飛び込んでくる。ここから見える、隣の寺の墓地に群れて咲く彼岸花は、まるで真っ赤な炎のようだった。
「散るや散る、朽ちる世に散る死人花――か。しゃれこうべをしゃぶってあざやかに咲くってェのは、どうにもなあ」
 いつしか身を起こし、胡座をかいて彼岸花を見つめていた覇王丸は、長い廊下を渡ってやってくる足音に気づいた。
「お侍さま」
 寺の小坊主が、ぺこりと覇王丸に頭を下げて一通の書状を差し出した。
「木挽町の千両屋から使いの者がまいりまして、これを」
「お、ようやくか」
 甲州街道を通って江戸入りした覇王丸は、次の日にはさっそく木挽町へ足を伸ばした。江戸に住む知己、千両狂死郎を訪ねるためである。
 ところが、当の狂死郎は一座の者を引き連れ、勧進舞のために戸隠まで出かけているという。
 狂死郎ほどの役者であれば、芝居小屋は連日満員、江戸の人々だけを相手に舞うだけで商売になるだろう。だが、乞われるままに国中どこへでも出かけていって舞を舞うというのは、実にあの男らしい――と、覇王丸は思う。金のためでなく、ひとりでも多くの人間におのが舞を観てもらうために舞うのが、千両狂死郎という役者なのである。
 その狂死郎が、信州から江戸に戻ってきたと使いを寄越してきた。次の芝居を小屋にかけるまでまだ日があるので、少し早いが鍋でもつつきながら酒を酌み交わそうと、文にはそう書いてある。
「――確かにこのところ秋口とは思えねェような冷え込みだしな。軍鶏、鮟鱇、鰌……鍋で一杯てえのも悪かねぇ」
 ここから木挽町ならせいぜい一里半、覇王丸なら歩いて半刻もかからない。膝を叩いて立ち上がり、覇王丸は河豚毒を掴んで帯に差した。

      ◆◇◆◇◆

 飛騨から甲州街道沿いに馬を飛ばしてきた十兵衛は、日が西に傾きかけてきたところで日野宿の本陣に宿を取った。馬を換えればきょうのうちに江戸府内にたどり着くこともできただろうが、真夜中に登城して将軍に目通りを願うわけにもいかない。参内できるのがどのみちあしたの朝になるのならと、ここで宿を取って馬を休ませ、十兵衛自身も身を清めていこうと考えたのである。
「――――」
 腰の差料を刀掛に置いた十兵衛は、障子を透かして射し込むあざやかな西日に隻眼を細め、階下の者には聞こえないほどの声で呟いた。
「……半蔵か?」
「さすがは十兵衛どの……気づいておられたか」
 姿は見えず、ただくぐもった低い声だけが十兵衛に応えた。
「いや、さしたる難事でもない。抜け目のないおぬしなら、ワシが戻りそうな頃に当たりをつけ、配下の者を街道沿いに配しておくくらいのことはしていよう。そう思って声をかけてみれば、それ、おぬしがあっさり応じてくれたというわけよ」
「これは……かないませぬな」
 服部半蔵が小さく笑ったようだったが、それも長くは続かない。
「半蔵よ」
「は」
「和狆和尚のお話で、おおよそのことは判った。それを踏まえた上で手を回さねばならぬことがあるゆえ、あしたは幕閣のかたがたにお集まりいただきたいのだ。ひと足先に御府内へ戻り、このことを伝えてもらえぬか?」
「承知。……ほかには何か?」
「そうさな……覇王丸は江戸におるか? 居所を知りたいのだが」
「あの侍なれば、確か牛込の小さな寺に」
 十兵衛に問われるまでもなく、すでに覇王丸の居所を掴んでいるとは、これこそさすが半蔵と称えるべきであろう。口の端をわずかに吊り上げ、十兵衛は静かにうなずいた。
「ならばよい。急げ、半蔵」
「それでは御免」
 そよ風が吹きつけてきたかのように、障子がかすかに震えた。
「…………」
 十兵衛はみずからの顎を撫で、しばし物思いにふけったあと、階段のところまで出向き、階下の者に声をかけた。
「亭主! すまぬが風呂の準備をしてくれぬか? それと、髪結いを呼んでおいてもらいたい!」
 まさか無精髭が伸び放題のこの顔で、幕閣のお歴々に目通りするというわけにもいくまい。十兵衛は部屋に戻ると、袴を脱いでようやくほっとひと息ついた。
                              ――つづく――