とびだせどうぶつの森 QRコード置き場

ここにはおもに『とびだせどうぶつの森』でネオジオキャラになりきるためのマイデザイン用QRコードや、SNK関連の二次創作テキストなどを置いています。髪型や髪色、瞳の色については『とびだせどうぶつの森』の攻略Wikiを参照してください。

『うつぼ舟、胡蝶の舞』 後段

 鍋の中身もあらかたなくなり、杯を傾ける回数もずいぶんと減ってきた頃、狂死郎がふと思い出したように切り出した。
「――鬼がのう」
「はァ?」
「鬼じゃ。まさかおぬし、鬼を知らぬわけでもあるまい?」
 鍋の残りに溶いた卵を回しかけてふたをした覇王丸は、狂死郎の言葉に首をかしげた。
「そりゃあ……鬼だろ? 知らねェってこたぁねぇが……」
「いうておくがな、覇王丸。ワシのいう鬼とは、お伽噺の鬼ではないぞ? 本物の鬼じゃ」
「本物の鬼だァ?」
「そうよ。その鬼がのう」
 千両屋の奥座敷である。鍋がかけられた七輪の中では、炭団が赤く静かに熱を放ち、広い座敷をあたためていた。
 ゆったりとした着流し姿に半纏をはおった狂死郎は、残り少なくなった徳利の酒を盃にそそぎ、もったいをつけるようにいった。

 「……信州へ行った折に、噂でな、聞いたのよ」
「へえ……戸隠で鬼とはできすぎた話じゃねえか、千両屋」
「いかさま、ワシも乞われて『紅葉狩』を演じようとしておったところでな、興をそそられて土地の者に詳しく話を聞いてみたのよ」
「おいおい、何だよ、まさか本物の鬼が紅葉狩りに現れたとかいうんじゃねえだろうな?」
「そこよ」
 盃を干し、狂死郎は不敵な笑みを浮かべて身を乗り出した。
「――噂の鬼とやら、どうも紅葉ではなく刀を狩るらしい」
「刀?」
「侍ばかりを狙って襲うそうな」
「何だそりゃ? 武蔵坊じゃあるめェし、そりゃあ辻斬りじゃねェのか?」
「かもしれぬ。その目で見た者も何人かおるようじゃが、とにかく鬼のような大男だったと、そのくらいのことしか判っておらぬらしい」
「鬼、ねえ……」
 くつくつと鍋が煮え立つ音を聞きながら、覇王丸は目を細めた。
 益田四郎の怨霊が現れる世の中である。鬼が出ようが何の不思議もないが、覇王丸にとってその正体は二の次だった。人であろうが鬼であろうが、それこそ怨霊だろうがどうでもいい。重要なのは、その鬼とやらが、侍ばかりを狙って斬り伏せているということだった。
 要するに、その鬼は恐ろしく強い。覇王丸がそこに心惹かれるのは、剣の道に生きる者にとっての業のようなものだった。
「どこまで本当か判らぬが、何でも、くだんの鬼のせいで潰れた道場もあるそうな。道場主から門下生まで、ひとり残らず鬼に斬られたと」
「容赦がねえな。侍に何か恨みでもあるのか、その鬼は?」
「さてのう……知りたくばおぬしが聞いてみてはどうじゃ?」
「ぜひ会ってみてえもんだ」
 覇王丸は舌なめずりをして鍋のふたを開けた。熱い湯気とともに、割り下の甘い香りがふわりと広がる。軍鶏肉の残りを卵とともに煮た親子煮は、鍋の最後の楽しみであった。
 一座の者に炊き立ての飯を持ってこさせ、狂死郎はいった。
「それにしても、近頃は面妖なことばかり起こるわいなあ。信州で鬼の噂を聞き、江戸に戻れば戻ったで妙な病が流行っておるとは……客足に響かねばよいが」
「ただの流行り病とも思えねェが」
 刻んだねぎを散らして鍋の中身をかき混ぜ、覇王丸はうなずいた。
「――ま、なるようにしかならねェのが世の中ってものさ。ある日突然鬼に出会って斬られるのも、ある朝いきなり流行り病で冷たくなってンのも、人の生の終わりにゃ違いねェ。だったらせいぜいやり残しのねえように、悔いのねえよう生きるしかねェんじゃねぇか?」
「……おぬしはときどきひどく達観したことを口にしよるの、覇王丸
「そうか?」
 上目遣いに狂死郎を見やった覇王丸は、卵でとじた軍鶏肉を熱い丼飯の上に乗せて一気にかき込んだ。
 狂死郎は杯を逆さに伏せ、呆れたように小さく笑った。
「おい、そのように慌てずともよかろうに……」
「いや、ついつい長居しちまったからな。そろそろおいとましねえと」
「何じゃ、おぬし、泊まっていかぬのか? そのつもりで部屋も用意させておったのだぞ?」
 狂死郎は男らしい太い眉をひそめ、うがつようなまなざしで覇王丸を凝視した。
「……よもやおぬし、今夜のうちに鬼退治に出るつもりではあるまいな?」
「さすがにそこまで酔狂じゃあねえよ。そも、どこにいるのかもさだかじゃねえんだろ、その鬼とやらはよ?」
「確かにそうだが……」
「また近いうちに、今度は泊りがけで飲みに来るからよ」
 飯粒ひとつ残さず胃の中に収めた覇王丸は、小さくおくびをもらして立ち上がった。
「このような刻限では駕籠も捕まらぬぞ?」
「なァに、歩いていったってたかだか一里半、木戸門が閉まるまでにゃ帰り着けるさ」
「ならば提灯くらいは持っていけ」
「おう。――次は何か気の利いた土産でも持ってくるぜ。でなきゃ敷居が高くていけねえ」
 路地まで出てきた狂死郎に見送られ、覇王丸は千両屋を辞去した。
 四ツ刻を前に、すでに人通りはほとんどない。夜泣き蕎麦も店じまいする頃合いである。
「……さすがに食いすぎたか」
 かなり酒が入っていたが、覇王丸の足取りに乱れはない。木戸門が閉じる前に牛込まで戻ろうと、覇王丸の歩みはおのずと速くなった。
 と――。
 三十間堀川の岸辺に揺れる小舟の上に、ふらりと白い影が立ち上がった。
「――――」
 丸めた茣蓙をかかえ、てぬぐいを頭からかぶったそのなりは、ひと目で夜鷹か舟饅頭であろうと知れる。
 てぬぐいのせいではっきりと顔は見えない。ただ、真っ白な肌と、それとは逆に真っ赤な唇は匂い立つような艶を放っている。夜鷹にしておくには惜しい美女のように思えた。
「……!」
 だが、覇王丸の表情は、やに下がるどころか逆にこわばった。なぜかは判らない。ただ、その妖艶な女を目の当たりにした刹那、覇王丸は咄嗟に河豚毒の柄へと右手が伸びるのを止めることができなかった。
「もし――」
 女が通りへと上がってくる。足音もなく、ぬるりとした動きで、覇王丸のほうへ近づいてくる。緋色の蹴出しから覗く素足がまた青白く、その対比が目に焼きつくようだった。
「…………」
 どうにか河豚毒の柄から手を離し、覇王丸は目を細めた。
「お侍さま……どうかお情けを――」
 女はてぬぐいをついと上げ、覇王丸を見つめた。
 次の瞬間、目を見開いてその場から駆け出したのは、覇王丸ではなく女のほうだった。
「!?」
 覇王丸が思わずそれを追いかけたのは、その女の腰に、見覚えのある帯が巻かれていることに気づいたからだった。
「!? そいつァ――」
 覇王丸が伸ばした右手を軽くはじいた女は、肩越しに覇王丸を見やり、赤い唇をすぼめて息を吹きかけた。
「……っ!」
 めまいすら起こさせる甘やかな香り――女の吐息に陶然としたわずかな間に、藤色の胡蝶が妖しく舞うような、そんな幻を見た気がする。
「――ぐっ!」
 いつの間にか取り落とした提灯が、蝋燭の炎になめられて燃え尽きかける頃、呆然と立ち尽くしていた覇王丸は、のどを込み上げてくる熱いものを感じて我に返った。
「がはっ――ぐ、ぶっ」
 覇王丸は転がるようにして岸辺に駆け降りると、川面に向かって腹の中のものを一気に吐き出した。四半刻前に食べたばかりの軍鶏も、あれだけ飲んだ酒も、あらかたすべて吐き出して、それでもまだ足りないといいたげに吐き散らした唾には血が混じっていた。
「まさか、さっきの女――」
 口もとを拳でぬぐい、荒い息をつきながら、覇王丸は呻いた。ふと見れば、女の手が触れた覇王丸の右肘のあたりに、まるで火箸でも押し当てたかのような火ぶくれができている。
 もはや酒の酔いなどどこにもない。心地よく火照っていた身体は芯まで冷えきり、そのくせ全身から気味の悪い汗が噴き出してくる。まるで急に熱病にかかったかのようだった。
 冷たい川の水で顔を洗い、震える足に力を込めてどうにか立ち上がった覇王丸は、呼吸をととのえて女を追った。
「!」
 川沿いに一丁も行かぬうちに、遠くから若い男の断末魔の叫びが聞こえてきた。それに少し遅れて、夜風に乗ってどぎつい血の臭いが流れてくる。
「――――」
 柳の木の下に提灯が落ちていた。覇王丸はそれを手に取り、持ち主を捜してあたりを見回したが、声に出して呼ばわるまでもなくすぐに見つかった。
 身なりのいい若侍が、堀川の岸辺に倒れていた。口の周りを血に染めて、ぎょろりと向いた目で夜空を睨むその形相は、さだめし恐ろしいものでも見たか、あるいは激しい痛みに襲われたものと思われる。
「刀創らしいものはねェようだが――」
 若侍の骸のそばにしゃがみ込もうとした覇王丸は、その時、黒塗りの印籠がそばに転がっているのに気づいた。
「……!」
 覇王丸はその印籠を掴んで立ち上がり、あたりを見回した。
 三十間堀川の名にいつわりない、幅の広い運河の上を、淡い光がふわりふわりと跳ねるようにして遠ざかっていく。薄い青とも紫ともつかない冷ややかな輝きはまるで蛍火だったが、覇王丸にはそれが鱗粉をまき散らして花から花へと舞い飛ぶ蝶のように思えた。
 やがてその輝きが見えなくなると、覇王丸はようやく目をしばたたかせ、おのが手に残った印籠に視線を落とした。
「こいつぁ確か――」
 数日前、その印籠は確か覇王丸の腰にあった。中には金平糖が数粒入っていたはずだが、今は振っても何の音もしない。
 覇王丸はそれを懐にねじ込むと、足早にその場を離れた。
 身なりのよさと腰のものの見事さから見て、そこで血を吐いて死んでいるのはそれなりの身分の侍だろう。それが中間のひとりも連れずに出歩いていたということは、いずこかへお忍びで出かけるところだったか、あるいは帰るところだったのか――どちらにしろ、そういう人間の死にかかわるとろくなことがない。侍を殺したと濡れ衣をかけられることはないにしても、いろいろとわずらわしい思いをするのは目に見えていた。
 だから覇王丸は、人々が様子を見に出てきて騒ぎが大きくなる前に、姿をくらませようと思ったのである。
「何だってこいつが……」
 懐にしまい込んだ印籠を手で押さえ、覇王丸は闇の中をひた走った。

      ◆◇◆◇◆

 江戸に戻って登城をすませた翌日、柳生十兵衛は牛込の寺に覇王丸を尋ねた。
「――――」
 日当たりのいい縁側に胡坐をかき、和狆からの書状を読みながら、覇王丸は何か深く考え込んでいるようだった。細かいことにはこだわらない豪放磊落な男でありながら、同時に覇王丸は、存外に博識で思慮深い。十兵衛が覇王丸に一目置いているのは、剣の腕のみならず、そうしたところがあるせいでもあった。
「おぬしが見たという、その、吐血して死んでおった若侍な」
 寺の小坊主が持ってきた白湯を飲み、十兵衛は口を開いた。
「――どうやらさる大藩の跡取りだったらしい。親にとがめられてもやめられぬ吉原通いの帰りだったそうな」
「地獄と極楽は紙一重、か」
 そう呟いて小さく笑った覇王丸の頬は、前に見た時よりもいくぶん薄く削げているようだった。昨夜、狂死郎のところから帰る折、妖しげな女に出くわした顛末については、すでに十兵衛も聞かされている。
「おぬしとて、一歩間違えばその若侍と同じ目に遭っていたのではないのか?」
「違いねェ」
 いくぶん削げたようにやつれた頬を撫で、覇王丸は湯呑を傾けた。
「――おそらく、おぬしが見たという女こそ、御坊のおっしゃる蠱毒に相違あるまい。よもや人の姿をしていようとは思わなんだが……おぬしが出会ったというのも、奇縁といえば奇縁か」
「どういう意味だい?」
「おぬしは――ワシもだが――あやかしに魅入られる宿縁を背負っておるとな、御坊は申された」
「確かにまあ、肥前に出向いてからこっち、何となしにそういう妙な気配につきまとわれてるってェのは判ってたんだがな」
「やはりおぬしもか……」
 ふかぶかとうなずいた十兵衛は、ふっと上がった覇王丸の視線を何とはなしに追いかけた。
 覇王丸は師匠からの書状をたたみ、隣の寺に群れて咲く彼岸花を見つめている。どこか茫洋としたまなざしのまま、覇王丸は呟いた。
蠱毒……か」
「おぬしの師匠の見立てだ。まず間違いあるまい」
 神田橋の石垣から出てきた銅鐸は、いわば呪いで塗り固められたさなぎであった。徳川将軍家への激しい怨念が、五〇年という長い時間をかけて練り上げられ、猛毒となり、江戸市中に解き放たれたのである。
「……本来であれば、その呪いは将軍家のみに向かうはずなのだろう。だが、そう仕向けるはずの呪師はもうおらぬ。さながら手綱を取る者のない暴れ馬のように、その呪いはあちこちで毒をまき散らし、人を殺し続けておる。……御坊はそのようにお考えだ」
 覇王丸ほどの胆力を持ち、壮健な者であれば、五臓六腑が腐れて死ぬ毒の吐息にも耐えられるのかもしれない。だが、たいていの人間はくだんの若侍と同じく、出会っただけで死ぬ。吐息を吹きかけられただけでも死んでしまう。
「それで、幕府は何をどうするって?」
「ひとまずのところ、御府内のおもだった名刹に悪鬼調伏の勤行を執りおこなっていただくことと決まった」
「いつも偉そうにしている連中が寄り集まって、出した答えが神頼みってか? 頼りねェ話だ」
「いいたいことは判るが、こればかりは仕方あるまい。捕り方を何人差し向けようが、吐息ひとつでことごとく死ぬのだぞ? 無駄に命を散らせとはいえぬ」
「そりゃまあそうか……で、その勤行とやらでどうにかできるのか?」
「ある程度までは跳梁を防げるやもしれぬ」
「は? ある程度までは?」
「神頼みではそれがせいぜいということよ」
 苦笑混じりにいってから、十兵衛は表情をあらため、低い声でつけ足した。
「……おぬしだから有り体にいおう。調伏の勤行をするといっても、それはほんのいっとき、そやつを外濠より内側に立ち入らせぬようにするだけのことよ」
「それだけか」
「それだけでも人死にの数はかなり押さえられようがな。……だが、それでも根本からわざわいを断つことはできぬのだ」
「じゃあどうすんだよ?」
「そやつを捜し出し、倒すしかあるまい」
 いつの間にか十兵衛は、くだんの蠱毒をそやつと呼んでいた。生み出した者がすでにこの世を去り、いまやみずからの意志を持ってさまよい続けるそれに、ほかにふさわしい呼び方が見つからなかったのである。
「だったらどうしてじいさんを引きずってこなかったんだい?」
「そうか……おぬしは知らなかったのだな」
「何のことだ?」
「和狆和尚はこのことろ病で臥せっておられたのだ。病み上がりの御坊を連れてくるなどとてもできぬ」
「なら骸羅はどうした? 図体のでけェ孫がいなかったか?」
「何でも、御坊と口論になった末に枯華院を飛び出したきりとか」
「ったく……何やってんだ、あいつは?」
 覇王丸はぼりぼりと頭をかき、溜息をついた。
「――じいさんが駄目、骸羅もいねえ、じゃあどうすりゃいいんだ?」
「御坊のお話を幕閣に伝えるだけなら、ワシが馬を飛ばして江戸に戻るまでもなく、飛脚で事足りる」
「アンタが斬るってのか?」
 最初からそうなるだろうとは思っていた。和狆とじっくり話す機会を得て、覚悟もできている。それが君命、あるいはおのが宿業だというのであれば、十兵衛に否はない。
「――幕府転覆をもくろむ不埒な浪人どもを斬るのも、将軍家に仇なす怨霊を斬るのも、やることにさしたる違いはあるまい。迷いなくこの剣を振るうのみよ」
 かたわらに並べて置いた二刀に手を添え、十兵衛は笑った。
「……ちょっと待ってくれねェか?」
「なぜだ?」
「五日――いや、三日でいい。七日あるならそのうちの三日を俺にくれねェか?」
「どうするつもりだ?」
「袖すり合うも他生の縁ていうだろ? ――そいつはひょっとすると、俺が引導を渡してやらなきゃならねェ相手なのかもしれねえってな」
「…………」
 覇王丸の手の中に、使い込まれた黒漆塗りの印籠が握り締められている。それが覇王丸にとってどんな意味を持つものなのか、十兵衛には判らない。だが、それが覇王丸に何かしらの決意をいだかせるものなのだろうということは、それとなく察せられた。
 すっかりぬるくなった白湯をすすり、十兵衛は縁側から腰を上げて大小を差した。
「なればきょうを含めて三晩――あさっての夜までにけりをつけろ。それ以上は待てぬぞ」
「ああ」
 小さくうなずいた覇王丸を残し、十兵衛は寺をあとにした。

      ◆◇◆◇◆

 しばらくは秋らしい晴天が続いていた江戸に、ふたたび雨が降り始めた。ひと雨ごとに肌寒さが増しているように思えるのは、決して気のせいではあるまい。
 ただ、こうして雨が続くのは、人が外を出歩いて、思いがけない死に出くわすのを防ぐという意味では、少しだけ役に立っていたのかもしれない。
 十兵衛の訪問を受けた翌日の夕暮れ、霖雨の降る中を、覇王丸は破れ傘をさして木場近くの荒れ寺へと向かった。
 そこを選んだのには、特に意味はない。しいていうなら、ここならそれなりに広さがあり、ほかの者を巻き込まずにすむだろうと目算を立てたからである。
「……せっかくの逢瀬を邪魔されたかァねえよな」
 寺の門の軒先に、火を入れた小さな提灯とあの印籠をぶら下げた覇王丸は、たっぷりの酒と握り飯を雨漏りのする本堂に持ち込み、板の間に横になった。
 僧侶たちの勤行が功を奏したのか、それともたまさかのことなのか、けさは蠱毒によって命を落とした者は見つからなかった。武家と町人、合わせれば一〇〇万を超える人々が住むというこの江戸で、毎朝一〇人二〇人の死者が出ようが出まいが、あるいは大差ないことなのかもしれない。だが、どこかで止めないかぎり、その呪詛は確実に人を殺し続け、江戸は緩慢な死に向かっていくだろう。
 とはいえ、覇王丸はそれを止めようという義憤に駆られてここにいるわけではない。むしろ覇王丸の我を通すためにここにいるのである。
 しとしとと、雨のそぼ降る音だけが絶え間なく耳を打つ。一刻ほど横になって仮眠を取った覇王丸は、むくりと身を起こすなり、竹の皮のつつみを開いて握り飯を手に取った。
「…………」
 すでに日はとっぷりと暮れている。明かりのない本堂の中は暗く、目の前に誰かいても判らないほどだった。
 大男の拳ほどもある大きな握り飯をふたつ、たちまちのうちにたいらげた覇王丸は、酒瓶と河豚毒を持って立ち上がり、ほとんど桟の残っていない扉を開けた。
 本堂の軒下にあらためて腰を降ろすと、覇王丸はちびりちびりと酒を飲み始めた。いつものように豪快にあおらないのは、酔うために飲んでいるのではなく、身体を冷やさないようにするためだからである。
 少しずつのどを通って胃の腑に落ちていく酒が、覇王丸の身体の奥底で熾火に変わり、四肢の先へと熱を伝えていく。
 その時、覇王丸は確かに聞いた。
 素足が泥の道をぺたぺたとやってくる足音を。
「――――」
 覇王丸は酒瓶に栓をして腰にくくりつけ、河豚毒の鞘を手にして立ち上がった。
 風もないのに開いた門に向かって、覇王丸は声をかけた。
「――よう」
 半分だけ開いた門の向こうから、真っ白な顔を女がじっと覇王丸を見つめている。それを見返す覇王丸は、泰然とその場に立っているように見えて、その実、全身に覇気をみなぎらせ、濡れた夜気をくぐって忍び寄ってくる瘴気に耐えていた。
「あの時――」
 するりとすきま風のように門の内側へと入り込んできた女は、かかえていた茣蓙を打ち捨て、覇王丸にいった。
「あなたさまにお会いするまでのわたしは、人というものがどういうものなのか、何も存じませんでした。何も知らぬまま、気づいた時にはもうあの木のうろにいた……そして、人とはこのように明るく、あたたかき、やさしきものなのかと、わたしは知りました」
「そりゃァたまたまじゃねえのか? 別に俺は、取り立ててやさしいってわけじゃあねえ」
「少なくとも、そのあと私が出会った人間たちは、やさしくもあたたかくもなかった。……その悪意、欲望に触れることで、わたしは思い出したのです」
「……?」
 傘はおろかてぬぐいさえかぶっていない女は、しかし、なぜか雨に濡れることなく、冷たい瞳で覇王丸を見つめていた。目を凝らせば、女の周りに、うっすらとかすかに輝く幕のようなものがかかっている。それがそぼ降る雨をはじき、女を守っているかのようだった。
「何者がわたしを作り、封じたのかは知りませぬ。ただ、わたしのすべきことだけは判りました」
「へえ……?」
「わたしは蝶……人の放つ悪意に誘われ、人の欲望の蜜をすすり、人の怨念を毒に変えてこの浮世に解き放つ滅びの蝶……」
「綺麗な顔をして物騒なことをいうじゃねえか」
 覇王丸は目を細め、河豚毒の鞘を帯に刺した。
「――だがよ、少なくとも俺と会った時のおまえさんは、蠱だ毒だというような子にゃ見えなかったがね」
「そういうわたしを、人の悪意が変えたのでございますよ。欲望が別のものに変えたのでございます」
 女はにゅっと唇を吊り上げて笑った。青ざめた顔の中で、まるでそれは血の色の三日月のように、あざやかな艶を放っていた。
「わたしがほんの数日でここまで大きくなったのも、あと十日と待たずにやや子が生まれるのも、男たちの悪意と欲望を我が身に受けたからこそ……」
「子が生まれるだと……!?」
 女がいとおしげにおのれの腹を撫でさするのを見て、覇王丸は奥歯をきしらせた。
「わたしは――わたしたちは、人がいるかぎり増え続けるのです。虫の命は短きものですが、代わりにあっという間に増えてゆくもの――人が死に絶えるまで、わたしたちは増え続け、毒を吐き続けるのです」
 吐息ひとつで周りの人々をことごとく死に追いやるような女が、十日ごとに倍に増えていけば、江戸の住民が何百万人いようが、じきにすべて死に絶えるだろう。そしてやがてはこの国から、さらには海を越えた外つ国の人々までもが死に絶える。
「どうやら見込み違いだったようだぜ、じいさん――」
 覇王丸は河豚毒の柄に右手をかけた。
「こいつの狙いは将軍家なんかじゃねえ……この浮世に生きる者すべてを呪ってやがる……!」
「よき人も、わろき人も、老いも若きも男も女も、貴賤の別もなく、わたしの毒はすべての人々の上に降り積もる……ただその前に、あなたさまだけは――」
 女が一歩前に進み出た。
「……こいつぁまた妙なモンに見込まれちまったもんだな」
「わたしは日の光を知りませぬ。……ですが、きっとそれは、あなたさまのようにあたたかく、やさしきものなのでしょうね……」
 女の手が、みずからの口もとを隠した。
「恋も情も、怒りも恨みも知らぬ、人の心も知らぬこのわたしが、たったひとつ欲しいのは、あたたかいとはいかなることなのか――あなたさまなら、それを教えてくださるのではと……」
「悪いが俺にできるのはこいつを振り回すことだけだぜ」
 河豚毒を引き抜き、覇王丸は揚言した。
「――俺の不明は、あの時あの場所で、おまえさんがあやかしだと気づかなかったことだ。あの場でおめえさんを斬っておけば、少なくとも、死なずにすんだ人間は一〇や二〇じゃきかなかった」
 それまで女がじりじりと近づいてくるのを待ち構えていただけの覇王丸が、逆に一歩、大きく踏み出した。
「毒だ毒だいうんならよ! まずはこいつを食らってみな!」
 雨粒を吹き散らし、厚みのある刀身が縦一文字に走った。
 だが、女は青白い影を引きずるようにして河豚毒の一撃を紙一重でかわした。ばさりと断ち割られてその場に残ったのは、女がまとっていた粗末な衣一枚と、あの胡蝶の帯――。
「……ちっ」
 女を追って覇王丸の視線が上がった。
「――人の身のあなたさまに、わたしを斬ることができますか?」
 青白く輝く女の裸形が、背中に蝶の羽根を生やし、虚空に浮いていた。
「天草の怨霊が斬れてあやかしが斬れねえ道理はねェだろ?」
 覇王丸は河豚毒を構え直した。
 その肩口で、小さな青い炎がぽつりと花開いた。
「!?」
 女がゆらゆらと羽根を揺らすたびに、青い鱗粉が雪のように降り敷き、何かに触れたとたん、炎を上げて燃え出すのである。
 肩口で燃え上がった炎をはたき落とそうとして、覇王丸はやめた。迂闊に目を逸らして女の吐息を浴びてしまえば、たとえ一命は取り留めるにせよ、女を斬るどころではなくなる。
 覇王丸は眉間にしわを刻み、女を見据えた。
 女が、両手を差し伸べるようにして、覇王丸のもとへ舞い降りてきた。その吐息を受けて鱗粉が舞い散り、炎の渦となって覇王丸を包み込む。
「人の世を呪うモンとして生まれてきたおまえさんにゃ、情けをかけることさえ意味がねえんだろうな。ンな真似しても、救われやしねえ――」
 目の前にいるのは、人のような姿こそしているが、人ではない。人の心を持っているように見えるが、心はない。人に近い姿をした呪詛、蠱毒である。
 覇王丸は迷うことなく河豚毒を振るった。下から上へ、逆袈裟の一刀が風を切り裂き、炎の渦を押し返した。
「ああ……!」
 みずからが生み出した炎を浴び、女の羽根が燃え始めた。
 そのわずかな惑乱の隙に、覇王丸は迷うことなくつけ入った。
「……悪ィな」
 地を蹴って高く飛んだ覇王丸は、真っ向上段に振りかぶった河豚毒を、女の眉間へとひと息に振り降ろした。
「――ぐっ」
 片膝をついて着地した覇王丸は、河豚毒を杖代わりにして身体をささえ、激しく咳き込んだ。泥の上に吐き捨てた唾に、赤い血が混じっている。
 ぞんざいに口もとをぬぐって立ち上がり、振り返った覇王丸が見たのは、熱を放つことなく青白い炎を上げて燃え尽きていく一頭の蝶だった。

      ◆◇◆◇◆

 翌日、持ち帰った衣と帯を寺の住職に焚き上げてもらうと、覇王丸はわずかな荷物をまとめて木挽町の千両屋へ向かった。
「――何じゃ、結局行くのか?」
「ああ」
 ぶりっとした鰹を大根おろしとともに口に運び、覇王丸はうなずいた。
「今夜はここで世話になって、あすの朝、飛騨に向かって発つつもりだ。……ま、信州に寄るのはそのついでってとこだな」
「ぬけぬけとよくいうわ……師匠に会うというのは口実で、やはり鬼退治が目当てなのであろう?」
「そりゃまあ、死にぞこないのじじいのつるつる頭を拝むよりは、くだんの鬼と会うほうがよっぽど面白そうだがよ」
 自分の一座を持つ狂死郎は、根なし草の覇王丸のように、思い立ったからといってすぐさま旅に出られるわけではない。歌舞伎役者として揺るぎない名声を手にし、食うに困らぬ暮らしをしていながら、鬼を捜しにいくという覇王丸を本心からうらやむほどに、狂死郎というのは風変わりな男なのである。
「――まあよいわ。ワシも江戸での興行が終わればまた巡業じゃ。鬼の首、おぬしにはゆずらぬぞ」
「欲深いねえ、おまえさんも」
「欲深ついでに、例の蠱毒とやらの一件、詳しく話してもらおうかのう」
 膳のそばに紙と矢立を引き寄せ、狂死郎は笑った。
 それが何であれ、芸の肥やしにしてやろうという貪欲さがこの男にはある。覇王丸の命を懸けた戦いも、狂死郎にとってはそのようなものでしかないのであろうし、おそらくみずから鬼と対峙するようなことになっても、芸のためと称して嬉々として薙刀を振りかざすだろう。
 もっとも、それは覇王丸とて似たようなものだった。狂死郎は芸のために薙刀を振るうが、覇王丸は剣のために剣を振るう。今こうして振り返れば、あのあやかしと戦ったのも、単におのれの剣の腕を高めるためではなかったのかと――もはや尋常の使い手では満足できぬ剣客としての貪欲さがそうさせたのではないかと、そうも思えて仕方がないのである。
「……案外、人が鬼になるってことも、あるのかもしれねェなあ」
 覇王丸は湯呑を置き、溜息混じりにいった。
「は? 何じゃ、それは?」
「いや……別に俺はやさしくなんかねェってことよ。単に剣のことしか頭にねェ大うつけってだけのハナシだ」
「まさかおぬし、女にでもふられたか?」
「そんなんじゃねェよ。……まあ、最後の最期で失望させちまったかもしれねぇが、な」
 薬缶の湯の中であたためられたちろりを手に取り、燗酒を湯呑にそそいだ覇王丸は、何をどこまで話せばよいかと、思案しながら鰹に箸を伸ばした。
                                ――完――