とびだせどうぶつの森 QRコード置き場

ここにはおもに『とびだせどうぶつの森』、『GirlsMode4』でネオジオキャラになりきるためのマイデザイン用QRコードやコーディネイト案、それにSNK関連の二次創作テキストなどを置いています。髪型や髪色、瞳の色については『とびだせどうぶつの森』の攻略Wikiを参照してください。

『女栬狩戸隠道中』

 母国にもいくつか紅葉の名所といわれる土地はあるが、どちらが見事かと問われれば、残念ながらこの極東の島国のそれを推さざるをえないだろう。
 凛とした冷たい空気を吸い込み、シャルロットは豊かな金髪をかき上げた。

 「――おまえさん、長いこと山を見上げてるみてェだが、いったい何が面白ェんだ? 仏蘭西にだって山くらいあるんだろ?」
「あるにはあるが、このように見事な紅葉はそうは見られないからな」
「へえ……てこたァ、そのぶん酒を飲む口実がひとつ減っちまうってわけだ。そいつは残念だな」
「月や桜がなかったとしても、貴公は何かしら理由をつけて酒を飲むだろう? 紅葉がなくても同じことではないのか?」
「そりゃまあそうだがよ」
 悪びれもせず、覇王丸は酒を飲み続けている。飾り気のない湯飲みにぞんざいにそそいだ清酒を、まるで水のように飲み干していく男の顔からは、酔いというものが微塵も感じられない。
 そのまなざしをあざやかに色づいた山に戻し、シャルロットは静かに嘆息した。
「狂死郎どのはいつになったら戻るのか……」
「焦ったって仕方ねェさ。こっちは狂の字の都合に合わせなきゃならねえ立場なんだしよ」
「しかし、わたしは一刻も早く恐山とやらに行かねばならぬのだ」
「奇遇だな。俺もだぜ」
 シャルロットの焦燥を笑うかのように、覇王丸は軽くおくびをもらして湯飲みを置いた。
 シャルロットが目指す先は陸奥、恐山――。天下に怪異をなす元凶がそこにいるという見立てはほぼ間違いないだろう。祖国の民衆のために、シャルロットはふたたび海を越えてこの東の果ての島国までやってきた。
 とはいえ、鎖国下にあるこの国で、フランス人のシャルロットが自由に行動することは難しい。当初シャルロットは、オランダ商館長の江戸参府の一行にまぎれて東に向かおうとしていた。だが、さすがにオランダ側が難色をしめしたために果たせず、長崎で立ち往生していたところを、顔見知りの歌舞伎役者、千両狂死郎の一座に拾われ、この信州まで同道してきたのである。
「芸人てェのは関所で手形を見せなくてもいいからな」
 畳の上にごろりと横になった覇王丸は、大きなあくびを噛み殺して呟いた。
「――ワケありの人間がもぐり込むにはちょうどいい。おまえさん、運がよかったぜ」
 かくいう覇王丸もまた、大阪で路銀が尽きて大道芸で食いつないでいたところを、偶然狂死郎一座に出会って救われた口である。いくばくかの金子を借りれば、あえて一座と行動をともにする必用はないはずだが、にもかかわらずこうして恐山へと旅立たずにいるのは、一応シャルロットに気を遣っているからなのかもしれない。
 シャルロットは障子を閉め、火鉢のかたわらに座って鎧を引き寄せた。
「そもそも勧進芝居とは何なのだ?」
「何つったらいいか……そうだな、神社や寺が古くなったとする。当然、修理なり建て替えなりが必要になるよな? だが、そのためにゃ先立つものがなきゃならねェ。だろ?」
「要するに勧進とは資金調達のことか?」
「ああ。信心深い連中がみずから金を差し出すのが寄進、そうでない連中に金を差し出すようはたらきかけるのが勧進だな」
「その勧進目的で人を集めようとしてやるのが勧進芝居というわけか。……しかし、こんな山奥で本当に人が集まるのか?」
「あたりの村という村からありったけかき集める気なんじゃねェの? だからこそ狂死郎を呼んだんだろうさ。あれで狂の字は、江戸でも指折りの売れっ子だからな」
「狂死郎どのはそれほどの名手か」
「本当ならよ、木挽町の小屋でやってるだけで充分に食っていけるはずなんだが、声がかかりゃァ全国どこへでも行っちまうってのがあいつらしいやな」
 それもすべてはみずからの芸の道を究めるため、守りに入ることをよしとせず、つねにあらたなものを求めようとする狂死郎の姿勢がそうさせるのだろう。実際、狂死郎が京都まで巡業に出向いていなければ、シャルロットが彼と出会うことはなかった。
「……にしても遅ェなあ」
 生あくびを連発していた覇王丸の目が、薄日に色づき始めた障子をじっと見つめている。もう日暮れが間近い。
「確かに遅いな」
 この村の村長たちを案内に立て、狂死郎は昼前から山に入っている。覇王丸の話では、今回の勧進芝居は、山中にある荒れ果てた社を建て直すためのものらしい。狂死郎たちが山に入ったのは、まずはその社に参拝するためだった。
 しかし、日暮れまでには戻るはずの一行が、まだ戻ってこない。
 やがて、屋敷の庭のほうで何人もの人間があれこれと話し合う声が聞こえてきた。
「……ありゃあ何かあった感じだな」
 覇王丸は身を起こし、河豚毒を引き寄せた。
「不測の事態でも起こったか――」
 シャルロットは目を細め、鎧を身につけ始めた。

      ◆◇◆◇◆

「およしになったほうが……」
 日が暮れてから山に入ろうとする覇王丸たちを、村長をはじめとした村人たちが口々に引き留める。すでに季節は晩秋、日没後は一気に冷え込み、うかうかしていれば凍え死ぬこともあるし、猪や熊といった獣に出くわすこともありえるだろう。
「だからこそよ、このまま放っちゃおけねェだろ?」
 山中の社に参拝に向かった一行は、その帰り道、飢えた野犬の群れに出くわしたという。その際、狂死郎が薙刀を振るって村長たちを先に逃がしたというのだが、肝心の狂死郎がまだ戻ってきていない。
 狂死郎ならば、獣相手に後れを取ることはまずないだろう。ただ、ここは戸隠山中、狂死郎にとって勝手知ったる土地でもない。たとえ山犬の群れを追い払ったとしても、どこかの暗がりで足をすべらせ――というようなことがないとはいいきれなかった。
「せめて日が昇ってからにしてはいかがでしょう? 夜の山はあまりに危のうございます」
「なぁに、気にするこたァねェよ。単に俺たちがあいつに恩を売りてえだけだからな」
「貴公といっしょにされては不本意だな」
 鎧の肩から厚手の外套をはおったシャルロットが、覇王丸の軽口に噛みついた。
「――わたしは別に恩を売るつもりなどない。ただ、狂死郎どのが戻ってこなければ、わたしはここで足止めされたまま……それが困るというだけの話だ」
「へいへい、そういうことでかまわねェよ」
「それでしたら……どうか、座長をよろしくお願いいたします」
 一座の者から提灯を受け取り、覇王丸たちは歩き出した。
 武者修行と称して国中を歩き回る覇王丸は、歩行で山越えをすることも多く、夜の山道にも慣れている。しかし、同行するシャルロットがそうだとはかぎらない。西洋の貴族の出であれば、ちょっとした外出にも馬を使うだろう。覇王丸も彼女の剣の腕には一目置いているが、それと健脚であることとはかならずしも結びつかない。
「この戸隠には、昔から鬼の棲む岩戸の伝説だかがあってな」
 後ろからついてくるシャルロットの足の運びにさりげなく気を配りながら、覇王丸はいった。
「――本当に鬼が出るかどうかは判らねェが、このへんの山は高さのわりに険しいらしい。特に今はまだ月も出てねえこの暗さだ、うっかりしてると思いもかけねェところで足をすべらせて、地獄の鬼の口ン中に落っこちかねねェぜ?」
「東洋のオニとやら、興味がなくもない」
「おいおい。物騒なことをいうなよ」
 どうもシャルロットには、剣の腕と自尊心から来る向こう見ずなところがある。怖いもの知らずというより、むしろみずから進んで危険に身を投じようとするきらいがあって――それは覇王丸にしても同じことなのだが――これがシャルロットのこととなると、なぜか危うく見えて仕方がない。
「……ま、男が鬼になるって話はさほど聞かねェが、女はちょいちょい鬼になるからな」
「何かいったか、覇王丸?」
「いや、別に」
 ふたりが山に分け入って、かれこれ四半刻ほどはたっただろうか。どちらも足の運びに乱れはないが、シャルロットの口数は目に見えて減っていた。代わりに、息遣いが大きく荒くなっている。上背があるとはいってもやはり女の身、しかもあの重そうな鎧をまとっての山歩きは、さすがに酷というものだろう。
 だが、いまさら引き返せとはいえない。シャルロットの気性からして、もし覇王丸がそんなことを口にすれば、むきになって絶対に戻らないといい出すのは目に見えているし、ことと次第によっては、自分をあなどるなと激高し、決闘騒ぎにまでなりかねない。覇王丸が見たところ、シャルロットとはそういう気高くも面倒な女なのである。
「どうにも肩肘張りすぎてんだよなぁ……」
「……また何かいったな、覇王丸?」
「ひとり言だよ」
 いまさらのようにごまかし、覇王丸は口を引き結んだ。
 夜の山を歩くことには特に不安はない。しかし、この道中にはどうにも不穏な影を感じないではいられなかった。晩秋の山風は冷たく乾いているのに、そこになぜか生ぬるい、肌にまとわりつくようなものが混じっているのを感じるのである。
「……覚えのある気配だな」
「今度は何だ?」
「いや……島原の時と似た気配をちょいとな」
「何?」
 覇王丸が初めて明確に“魔”というものを意識したのは、島原でよみがえった天草四郎時貞と邂逅した時のことだった。爾来、覇王丸の旅にはあやかしたちの影がついて回っている。それを今宵も、この山中で感じたのだった。
「まさか……ここにも暗黒神の手の者が!?」
 どこか不機嫌そうだったシャルロットの声に、緊張の色がにじむ。
「だとすりゃあ狂の字もうかうかしてられねえな……一行が山犬に襲われた峠はもうじきだ。急ぐぜ」
 もはやシャルロットを気遣っている場合ではない。覇王丸は足を速め、暗い山中を急いだ。
覇王丸。おまえが出会ってきた“魔”とはどういうものなのだ? みなあの天草のような手合いなのか?」
「さてな……いろいろあってひと口にこうだとはいえねぇよ。ただ、どんな相手であれ、見りゃあそれとすぐに判る」
 目の前に現れたのが人であれ獣であれ、それが“魔”であれば、覇王丸にはすぐにそれと察せられる。もはやそういう連中につけ狙われるのが覇王丸にとっての日常であり、否応なくその“臭い”も嗅ぎ分けられるようになっていた。
「……そういえば、わたしの知り合いにもひとりいるな」
「何?」
「島原での凶事のあと、あやかしとしか思えぬ者どもにたびたび襲われるようになったと……確か先日そういっていた」
「その知り合いってのは、天草とは面識がねェのか?」
「ああ。この国に来たこともない」
「そいつは妙だな……」
「何がだ?」
「いや、十兵衛の旦那もな、俺と同じように、ちょくちょくあやかしに出くわすらしくてよ。だから俺は、こいつはてっきり意趣返しなんじゃねェかと思ってたんだが――」
 島原での変事に際しては、多くの侍たちがかの地におもむいたが、覇王丸と十兵衛は誰よりも早く原城へと駆けつけ、よみがえった天草四郎と戦った。だから覇王丸は、それを恨みに思った天草の眷族たちが、覇王丸や十兵衛の命を狙っているのではないかと考えていたのである。
 しかし、ヨーロッパにいるシャルロットの知人までが同じような目に遭っていることを考えると、事態はそう単純ではないのかもしれない。
「まさか狂の字も……なんてこたァねえよな?」
 覇王丸は腰の徳利の口に提灯を差すと、河豚毒の鞘に左手を添えた。
 その時、夜風が変わった。
「……はン?」
 刺すような冷たさでもなく、かといってあの生ぬるさでもない。たとえるなら、それは小春日和を思わせるあたたかさ――寒さに震えていた旅人を夢見心地にさせるような、何とも心地のいい風だった。
「……妙な風だな」
 そう呟いたシャルロットも、すでに剣の柄に手をかけている。
 その刹那、ふたりの鼻先に、夜目にも赤い何かが散った。
「!」
 河豚毒を引き抜きざまに一閃させた覇王丸の足元に、綺麗に両断された紅葉の葉がはらりと落ちていく。
「こいつは――!?」
 目を細めた覇王丸の周囲に、赤い葉を乗せた風が渦を巻く。
覇王丸!?」
 シャルロットの甲高い声が聞こえたが、すでに彼女の姿は見えない。覇王丸の視界を埋め尽くすのはただひたすらに赤、朱、紅――燃えるように色づいた紅葉の葉のうねりだけだった。
「くっ……!」
 覇王丸は愛刀を振り回し、あたり一面の紅葉の渦を斬り払おうとした。しかし、落ち葉は覇王丸の身体にまとわりつき、むしろその数はどんどん増えていく。
「これは――あやかしの仕業か!?
「……ぉ、おまえは、逃げろ――!」
 声を頼りにシャルロットを大きく突き飛ばした覇王丸は、彼女から離れるように、よろめきながらも走った。
「くっ……俺ァ、ミノムシじゃ、ねェぞ――!」
 顔に張りつく紅葉を引き剥がし、大きく息をついた覇王丸は、しかし、徐々に足が上がらなくなっていくのを感じていた。何万枚とも知れぬあざやかな葉が覇王丸の全身をおおい、のしかかってくるのである。
「ぬ、くっ……!」
 むせ返るようなおしろいの香りを嗅いだような気がした直後、覇王丸は前のめりに倒れ、意識を失った。

      ◆◇◆◇◆

「何をする――!?」
 思わぬ力で突き飛ばされ、シャルロットはあおむけに倒れた。
「!?」
 耳障りなざりざりという音は、枯葉の敷き詰められた斜面を自分がすべり落ちていく音だろう。シャルロットがそうと気づいたのは、かなり下のほうまで落ちていってからだった。
「あっ、あの男……! 余計な真似を!」
 擂鉢状の窪地の底で身を起こしたシャルロットは、髪についた枯葉を振り払い、たった今すべり落ちてきた斜面を登り始めた。
 覇王丸がシャルロットを突き飛ばしたのは、怪異に襲われた自分にシャルロットまで巻き込むまいと考えてのことだろう。それは判る。
 が、だからこそ腹立たしい。
「まったく……わたしが男に守られるべきかよわい女だとでも思ったのか、あいつは!?」
 覇王丸に対するいきどおりがついつい口を突いてもれてくる。おかげで先刻まで足を萎えさせていた疲労も綺麗に消えている。
覇王丸! どこだ!? どこにいる!?」
 五分ほどかけてすべりやすい斜面を登りきったシャルロットは、腰の剣を抜き、覇王丸の姿を捜して声高に呼ばわった。だが、その呼びかけは夜のしじまに吸い込まれるばかりで、返ってくる声はない。
「…………」
 すでに怪異は去ったのか、あのあざやかな嵐はその痕跡すら残っていない。ただ、それでも冷たく澄んだ夜気の中に、シャルロットは異国の香気をはっきりと感じ取っていた。
「……この国の香水――いや、おしろいの香りか。このような山中に奇妙なことだ」
 もし狂死郎が近くにいるのであれば、おしろいの香りがするのも当然かもしれないが、幸か不幸かあの派手ないでたちの役者の姿はどこにもない。まして、これが覇王丸の残り香であるはずもなかった。
「となれば――風流を解する女怪が相手か。面白い」
 ほとんど月の明かりも射さない山中を、おしろいの香りだけを頼りに、シャルロットは歩き出した。

      ◆◇◆◇◆

 狂死郎が舞っている。
 化粧の上からでも判るほどに顔を赤くし、薙刀と扇子を持って、女たちが奏でる琴や鼓の音に合わせて舞っている。演目は『景清』――さすがに芸の鬼、千両狂死郎である。幸若舞もかなりの腕前のようだった。
 それを覇王丸は、大ぶりな杯を片手に眺めている。
 視線を上げれば満天の星空、あたりには紅葉の林が広がっている。夜の寒さを押しのけるかのように無数の篝火が焚かれ、その炎の揺らめきを受けて、まるで紅葉まで燃え上がっているかのようだった。
「――ささ、もっと召しませ」
 いつの間にか覇王丸は、金屏風を背負い、緋毛氈の上にあぐらをかいて座っていた。かたわらでは、時代錯誤な公家風の装束をまとった上臈が、瓶子をかかげて覇王丸の顔を覗き込んでいる。
「ここは……?」
 眉をひそめてあたりを見回そうとした覇王丸の鼻先を、うまそうな酒の匂いがくすぐった。
「さあ、覇王丸さま」
「あ、ああ……」
 覇王丸は空の盃に酒をそそいでいく女の顔を見つめ、ぎこちなくうなずいた。
 これはいったい何の宴席なのか――それを深く考えることさえ億劫だった。ここまでどれだけ飲んだのかまったく覚えていないが、心地よい酩酊感が覇王丸の全身をゆるゆると溶かしている。いつも安酒ばかり飲んでいる覇王丸ではめったに口にできない、とびきり上等な酒のようだった。
 女が勧めるままに杯を傾け、覇王丸は目を細めた。
 紅葉の褥を踏んで舞い続ける狂死郎も楽しげだった。ああしてひたすらに舞い続けることこそが、あの男にとっての本望なのだろう。以前、狂死郎がそのようなことをいっていた気がする。
 好きなことをやれている狂死郎がうらやましい――と、覇王丸は杯の酒に映る自分に目を落とした。
 無類の酒好きで、懐さえ許すなら日がな一日でも飲んでいたい覇王丸にとって、こうしてうまい酒をただで飲めるというのは喜ぶべきことではないのか。なのに、心地よい酩酊のどこかに、ほんのわずかな違和感が混じった。
覇王丸さま」
 女がふたたび酒を勧める。覇王丸はその顔を見て、いまさらのように眉をひそめた。
「おまえさん……誰だ?」
「よいではございませぬか、そのようなこと……」
 そうささやいた女の吐息の甘さに、覇王丸はめまいを覚えた。酒の酔いを後押しするかのような香りに、杯を持つ手が震える。
「お、俺はいったい――ここで何を……? 確か、狂死郎を捜して……」
「狂死郎さまなら、それ、あそこにおられます」
「あ、ああ……」
「わざわざ捜しにいくまでもありますまい? さあ、浮世のことなど忘れて――あすには我らが主上にお引き合わせいたしますゆえ」
 女が空の盃に勝手に酒をそそいでいく。
主上……?」
「ええ。ぜひとも覇王丸さまにお会いしたいとおおせで……」
「だが……俺には何か――」
 狂死郎を捜して、そして――何をするはずだったのか。頭にかかった靄がさらに濃くなり、意識が遠のいていく。ただあたりの紅葉の赤さだけが、覇王丸の目に強く焼きついていた。
「すべてを忘れて……ただ御酒をお召しなさいませ。間もなく我らが主上、万魔の将が降臨なさいます。覇王丸さまも、いずれその御前にお連れ申しあげましょう」
「魔……魔、だ、と……?」
 覇王丸は杯を投げ捨て、かたわらにあった河豚毒を引き抜きざま、女に斬りつけた。しかし、その姿はおびただしい紅葉の葉と化して散っただけで、手応えはまるでない。
「く……」
 強くかぶりを振り、覇王丸は脳裏にかかる靄を払いのけようとした。
「そのまま身を任せてしまえば楽なものを……もののふの意地というものでございますか、覇王丸さま?」
「おめぇ……!?」
 声のしたほうを見ると、あの女が白いのどをのけぞらせて笑っていた。その足元には、狂死郎が倒れ伏し、正体もなく眠りこけている。気づけば琴や鼓を奏でていたほかの女たちの姿は消え、篝火を揺らす怪しい風が吹き始めていた。
「されどしょせんは人の身……魔にあらがえるはずもなし」
 美女の唇がにゅいっと吊り上がる。まるで血の三日月のようだった。
 その周囲に、無数の鬼火がゆろりとともった。
「……!」
 愛刀の鞘を杖代わりに、覇王丸は立ち上がった。が、足に力が入らない。とても剣が振るえるありさまではなかった。
「無様ですこと……」
 覇王丸を見る女の目が冷たく輝く。
主上が欲しておられるのは覇王丸さまの魂……であるならば、腕なり足なり、多少欠けていたとしても、命さえあればそれでよい――ということでございましょう?」
 物騒なことをいい始めた女を見据え、覇王丸は河豚毒を抜いた。
「そういや戸隠の鬼は女だって話だったな……」
 いまさらそんなことを思い出した覇王丸は、もれ出てくる苦笑を噛み殺し、細かくしびれる四肢を叱咤した。
「笑止……まともに剣も振れぬその身で何ができると?」
 女がたっぷりとした袖をひと振りすると、その周りにただよっていた鬼火が覇王丸をめがけて殺到した。
「――!」
 鉛のように重い手で、どうにか河豚毒を振り上げようとしたその刹那、紅葉の葉を散らして走った一陣の風が、覇王丸を焼かんとしていた鬼火の群れを消し飛ばした。
「不甲斐なし!」
 凛然たる声とともに、幻想の巷と化した夜宴の席に踏み込んできたのは、豊かな金髪を波打たせた異国の女剣士だった。
「貴公といい狂死郎どのといい……女が相手では本気を出せないのか? だとすれば女を甘く見すぎだぞ、貴公ら!」
「いきなり小言かよ……とはいえ、このザマじゃ返す言葉もねえな――」
 冷汗交じりの苦笑をもらし、覇王丸丹田に力を込めた。
「ふっ――」
 萎えかけていた手足のしびれが薄れ、意識がはっきりしてくる。大きな呼吸を数度繰り返すうちに、あの酩酊感が消えていくのがはっきりと感じられた。
「招かれてもおらぬ上、土足でこの場に踏み込んでくるとは……何と無礼な大女か!」
 シャルロットを睨めつける女の眉が、ぎりりと吊り上がる。もとが美しいだけに、その怒りの表情は凄艶でさえあった。
「確かにわたしは不調法者だが、この場が紅葉を愛でるにふさわしくないということは判っているつもりだ。……貴様からは隠そうとしても隠しきれぬ腐臭がするぞ?」
 よくしなる剣先を唸らせ、シャルロットは女が繰り出す鬼火を次々に叩き落としていく。
「おのれ……!」
 あたりに振り積もった紅葉がそこかしこで盛り上がり、その下から無数の鎧武者たちが現れた。しかし、その誰ひとりとして生者ではない。彼らはすべて死人――命のない骸が立ち上がり、動き出したのだった。
「なかなかにすさまじい宴だな。ホスト役が死者の群れとは」
「……大昔、このあたりで戦があったんだよ。朝廷に叛旗をひるがえした賊軍が、この戸隠を拠点に戦って全滅したってェ話だ」
 どさくさにまぎれるようにして、正体もなく眠り込んでいる狂死郎を引きずってきた覇王丸は、黒髪を振り乱して死人たちをあやつる美女をじっと見つめた。
「賊軍の首魁は美しい鬼女……呉葉、あるいは紅葉って名前だけが伝わってるがな。――いずれにしろ、もう何百年も前のことだ」
「なるほど……暗黒神の闇の気を受けて、その逆賊どもの妄執がよみがえったということか」
「いまさら化けて出たって歴史がひっくり返るわけでもねェ。静かに眠らせてやるのが慈悲ってモンだろ!」
 大きく一歩踏み込みつつ、河豚毒を一閃させる。それだけで、骨と皮ばかりの落ち武者の亡霊たちが五、六人ほど砕け散った。
 それを肩越しに見やったシャルロットは、
「もう大丈夫なようだな」
「いつまでもふらふらしてたんじゃ、おまえさんに何をいわれるか判ったもんじゃねェからな」
 さらに五つ六つ、骸骨の武者を無造作に斬って捨てた覇王丸は、そこでちらりと狂死郎を一瞥し、
「……まあ、こいつはいまだに楽しい夢の中って塩梅だがよ」
「そなたさまも、醒めぬ夢の中にいれば苦しまずに逝けたものを……後悔なされませ、覇王丸さま!」
 女の足元から紅蓮の炎が噴き上がり、それが幾万もの紅葉の葉を焼きながら覇王丸たちへと迫る。あたりに舞う木の葉がおのずと燃え上がり、細かな火の粉が夜空に舞った。
「そろそろ幕引きだ……行くぜ、シャルロット!」
 ふたたび大きく振りかぶり、大上段からの斬撃を繰り出す。そのすさまじい太刀行きが、炎の波濤をまっぷたつに断ち割った。
 そのあわいを、シャルロットが銀色の矢のような速さで駆けていく。
「――悪いがわたしは女が相手でも手加減はしない」
 ひと息に女との間合いを詰めたシャルロットの剣が、女の胸を正確につらぬいた。
「お……っ――」
 女は一瞬目を見開き、それからシャルロットの剣を手で掴もうとしたようだったが、次の刹那、女の身体は紅葉の葉と化してその場に崩れ落ちた。そして、それが引鉄となったかのように、死者の群れも次々に枯れ葉に変わっていった。
「っ……!」
 卒然と、あたりの木々の枝を激しく揺らすほどの突風が吹き荒れ、束の間、覇王丸たちの視界を奪った。
「く……っ」
 ふたりが目を開けた時、そこには紅葉も炎もなく、屏風も緋毛氈も、あの宴の痕跡さえも残っていない。あるのは寒々とした裸の木々と、かさかさと恨めし気に鳴る白茶けた大量の落ち葉だけだった。
 シャルロットはあたりを見回し、小さく溜息をついて剣を鞘に納めた。
「ひとつ貸しだぞ、覇王丸。……まさかひとりでも切り抜けられたなどとはいうまいな?」
「ま、そこが色男のつらいところさ」
「は?」
「よく判らねェがよ、俺に会いたいそうだぜ?」
 無精髭がまばらに生える顎を撫で、覇王丸は笑った。
「――連中いうところの、主上とやらがよ」
「闇の眷族どもの首魁が貴公に?」
「どうやらそういうことらしい。……いっとくが、俺が女にだらしねェわけじゃねぇぜ?」
「そういうことにしておいてやる。……さあ、戻ろう」
「待て待て待て、こいつを背負ってくなんて御免だぜ、俺は」
 覇王丸は狂死郎の襟首を掴んで引き起こし、ぴたぴたと頬をはたいた。
「――おい、起きろ、狂の字! 風邪ひくぞ!」
「う、むむ……は、覇王丸……か?」
 うっすらと目を開いた狂死郎は、覇王丸とその背後に立つシャルロットをぼんやりと見やり、酒臭い息を吐き出した。
「俺のいえたセリフじゃねェが……おめえ、どれだけ飲んだんだよ?」
「いや……ワシには何が何やら……ここはいったい――?」
「戸隠の山ン中だよ」
 何も覚えていない様子の狂死郎に、何からどうやって説明しようかと覇王丸が逡巡していると、シャルロットが何の容赦もなくばっさりと男たちを断罪した。
「貴公も覇王丸も、女のあやかしにたぶらかされていたのだ。あやうく命を落とすところだったのだぞ? 少しは身を律してもらいたいものだな」
 別に覇王丸も狂死郎も、女相手に鼻の下を伸ばしていたわけではない。が、どうもシャルロットの中では、ふたりともそういうところを突かれてあやかしに後れを取ったことになっているらしい。そうじゃないと反論しかけた覇王丸は、大口を開けただけで結局言葉にはせず、狂死郎に手を貸して立ち上がらせた。
「……ま、座長のおめえがいなきゃ芝居の幕は上がらねえ。ともかく里に戻ろうぜ」
「よく判らぬが……すでに千穐楽まで舞いきった心持ちじゃわいのう」
 覇王丸の肩を借りて歩き出した狂死郎は、疲れきったような溜息をもらして呟いた。
「そりゃまあおめえはな。……ずいぶんと気持ちよさげにくるくる回ってたしよ」
「貴公も人のことはいえまい?」
 シャルロットはじろりと覇王丸を睨みつけた。
「――それもこれも、わたしをかばおうなどとするからだ。以降、そのような気遣いは無用にしてもらおうか」
「いや、気遣いっていうか……要はアレだ、おまえさんのお国でいうところの、騎士道精神? とかいうヤツだよ。まさかおまえさんも、わたしは女じゃないとはいわねェだろ?」
「む……」
 シャルロットが渋い表情で口を閉ざしたのを確認し、覇王丸はふと唇の端を吊り上げたが、すぐにその口もとを引き締めた。
「……冗談はともかく、あの鬼女がいってた主上ってェのがくだんの暗黒神だかその眷族だとすると、恐山から遠く離れたこんな信濃の山奥にまで影響が出てるってのはまずいぜ。このぶんじゃ、あちこちで死人がよみがえるだの化けて出るだのってことになりかねねェ」
 応仁の乱から戦国乱世をへて、江戸幕府が開かれるまでに恨みを呑んで死んだ者がどれほどいたことか――それらがすべて亡者となってよみがえるようなことになれば、この国は確実に滅びる。
「一刻も早く北に向かったほうがよさそうだな」
「まさか貴公、ひとりだけ先に発つなどというのではないだろうな?」
「悪いが、夜が明けたら俺はひと足先に江戸へ向かうとするぜ」
覇王丸――」
「代わりに」
 色めき立つシャルロットをさえぎり、覇王丸は続けた。
「十兵衛の旦那につなぎを取っておいてやるよ。狂死郎だって、まさか北の果てまで一座を引き連れていくわけじゃあるめぇ?」
「それは……あやうきに身を置くのはワシひとりで充分じゃ。一座の者まで巻き込むわけにはいかんしのう」
「となりゃあ、江戸から先は一座を隠れ蓑にして進むってわけにはいかねえ。どうあってもご公儀の手を借りなきゃならねえだろ?」
「……確かに、十兵衛どのの助力を得られるならそれに越したことはないが、本当に大丈夫なのだろうな?」
「少しは信用しろよ」
 冷ややかな美女のまなざしに苦笑し、覇王丸は夜空を見上げた。
 ようやく空のてっぺんに昇ってきた月が、白く静かに、冴え冴えと輝いていた。山中の澄んだ空気の中に、吐く息も白く立ち昇っていく。
 だが、おそらく陸奥の地はここよりもさらに寒いだろう。それを思うと、おのずと全身に震えが走る。
「こんな時でなきゃ、あの月を眺めて――」
「……貴公、また酒のことを考えているな?」
 シャルロットの刺すようなまなざしに、覇王丸はぷいとそっぽを向いた。
                                ――完――