とびだせどうぶつの森 QRコード置き場

ここにはおもに『とびだせどうぶつの森』、『GirlsMode4』でネオジオキャラになりきるためのマイデザイン用QRコードやコーディネイト案、それにSNK関連の二次創作テキストなどを置いています。髪型や髪色、瞳の色については『とびだせどうぶつの森』の攻略Wikiを参照してください。

『デモリッション・カーニバル』 Act01

 

 アルバ・メイラは、大学に通うかたわら、バイトをしている。
 一方のソワレは特にバイトはしていない。定期的にストリートファイトをしたり、知り合いの仕事を手伝ったりして金を稼いでいるが、稼ぐそばから使ってしまうため、いつも財布の中身は空っぽだった。
 だから、きょうもソワレは、いつものように日銭を稼ぐため、近所のスクラップ置き場へ来ていた。

 「あー……」
 ランダムに放置されているようにしか見えないおびただしい数の廃車も、ここのオーナーにいわせれば、きちんとした法則性のもとに並べられているという。問題なのは、その法則を理解できるほど、ソワレはそもそもクルマに詳しくないということだった。
「……ものの見事に判んねえな」
 大好物のダブルダブルチーズバーガーのように積み上がった、錆だらけのクルマの山の上から四方を見渡したソワレは、眉をひそめて舌打ちした。
「おーい、ソワレ! 早く指示してくれよー! どっち行けばいいんだー?」
 下でソワレの指示を待っていたノエルが、少しく苛ついたようにいった。
「いやぁ、シボレーとかコルベットとかいわれても、オレにはどのクルマも同じに見えるんだよなぁ……」
「はァ!? 何だよおまえ、車種も判んねえなら上に登るなよ……」
 がしゃがしゃとソワレのところまで這い上がってきたノエルは、呆れたようにぼやいた。
コルベットの島は――ああ、あのへんだ」
「あそこか……で、何を集めるんだって?」
「状態のいいトリムとミラーと、シフトノブに――」
「ごちゃごちゃいわれても判んねぇって」
 ソワレは不安定なスクラップの上で助走をつけると、かるがると数メートルを跳躍し、コルベットの山の麓へと飛び降りた。
「こいつのミラーでいいのか?」
「えーと……うん、たぶんそれでいいんだと思う。ただ、左右セットで必要なんで――」
 ノエルの言葉を最後まで聞くことなく、ソワレはコルベットのミラーに手をかけ、無造作に引きむしった。
「ああああああ!?」
「な、何だよ、ノエル!? 急に大声出すなって」
「ばっ……駄目だろ、おまえ! 人の話聞いてたのかよ!?」
 ノエルはソワレのもとへ駆け寄り、彼の手からミラーをひったくった。
「交換用のパーツを捜してるんだぞ、オレたち? ちゃんと工具使って根元からはずせよ! ……あー、ほら、こんなバキバキにしちまったらもう取りつけられないじゃんかよ」
「そういう大事なことは先にいえよ」
「いったろ! っていうかカルロスが説明してくれたろ!? おまえなあ、こんな仕事ぶりでバイト代もらうとか許されねェからな、マジで」
「いや、そりゃあ……」
「もうおまえにゃ任せられねェ。パーツはオレが取りはずすから、おまえはカルロスんとこに運ぶのだけやってくれ。絶対に壊すなよ? あんまりひどいとバイト代から差っ引かれるぞ?」
「わ、判ったよ……」
 ふだんは何かというとソワレに泣きついてくることの多いノエルだが、ことクルマ関係に関しては、ソワレがほぼ素人なのに対し、ノエルは愛車のメンテナンスも自分ひとりでやれるくらいに詳しい。ノエルはソワレを押しのけると、腰に下げたポーチから工具を取り出し、慣れた手つきでミラーをはずし始めた。
「ミラーにドアトリムに……ステアリングハンドルも使えそうだな。とりあえずこれだけ先に運んでくれ」
「おう」
「雑にあつかって壊すなよ!」
「しつこいな……判ってるって!」
 パーツを入れたダンボール箱をかかえ、ソワレはガレージに向かった。
 広いジャンクヤードを持つ『ファットマン・モータース』は、〈サンズ・オブ・フェイト〉の最年長メンバー、カルロスが経営する自動車修理工場である。メンバーたちはもちろん、この界隈に住む人々がクルマのことでまず頼るのがここであり、そういう意味では繁盛しているといえるだろう。
「おーい、カルロス! パーツ取ってきたぜ!」
「どれどれ」
 ガレージの奥でコルベットのエンジンをいじっていたカルロスが、額の汗をぬぐってスパナを置いた。
「……ああ、どれも状態はよさそうだな」
 その屋号の通り、もうすぐ四十路のカルロスは体重一〇〇キロを超える肥満漢だが、性格は非常に温厚でめったに怒るということがない。もっとも、ほかの組織との抗争が激しかった頃は、巨大なレンチを片手に先頭を切って暴れ回っていたというから、人は見かけによらないものである。
 塗装を完全に剥がされたコルベットを見やり、ソワレは首をかしげた。
「しっかし判んねぇな……アニキとかもそうだけど、どうしてみんなこんな古いクルマに乗りたがるんだ? やたらでかいしうるさいし、燃費とかも悪いんだろ?」
「そういうセリフを吐いていいのは、自分の足を自分で用意できるヤツだけなんじゃないのか?」
「そりゃあまあ……」
 ソワレは自分のクルマを持っていない。それどころか免許すら持っていない。どこかへ出かけようということになれば、ノエルたちにクルマを出してもらうのがつねだった。そんな身分で人のクルマの趣味にケチをつけるのは、確かに筋違いだったかもしれない。
 ペットボトルのコーラをあおり、カルロスはいった。
「――そういえば、おまえはどうして免許を取らないんだ?」
「オレは別にクルマに興味とかないし……それに、兄貴からおまえは運転とかしちゃダメだって。性格的に」
「アルバが?」
「ああ。オレに運転させると絶対に事故を起こすってさ」
「そいつは判らんでもないなあ」
 小さくおくびをもらしたカルロスは、軽く嘆息して視線を転じた。
 スクラップの山の間を縫うようにして、一台のワゴンがやってくる。綺麗に磨かれてはいるが、クルマに詳しくないソワレの目から見ても、かなり野暮ったく感じる一台だった。
「ローリー? ローリーじゃないか」
 コーラのボトルをソワレに押しつけ、カルロスはワゴンから降りてきた老人に駆け寄った。
「久しぶりだな、ローリー! あんたまだくたばってなかったのか?」
「やれやれ……相変わらず口が悪いな、おまえさんも」
 白髪に白髭、枯れ枝のように細いワゴンの老人は、顔のしわの数を倍に増やして苦笑した。
「――どうしたんだ、ソワレ?」
 残りのパーツをはずして運んできたノエルが、懐かしそうに肩を叩き合うふたりを見て首をかしげた。
「よく判んねぇけど……カルロスの知り合いらしいぜ」
「ふぅん……にしても年代モンのワゴンだな。オースティンか」
 やはり興味があるのか、ノエルはすぐに老人が乗ってきたワゴンに視線を移した。
「そんなに古いのか?」
「ああ。オースティン・ランドロブスターっていったかな? 六〇年代だか七〇年代あたりのイギリス車だよ。オレもそんなに詳しくねェけどさ」
「イギリス車か。だからハンドルが右についてんだな」
「確かかなりレアなクルマだぜ?」
「そうなのか? けど、オレはおまえの中古のほうが好きだな。こんな屋根のあるクルマじゃせま苦しくて仕方ねえよ」
「おまえは無駄に手足が長いからな」
「無駄っていうな」
 ノエルの尻に軽く蹴りを入れ、ソワレはガレージの隅に積み上げられたタイヤに腰かけた。
「――それで、いったいどうしたんだ、きょうは?」
「実はおまえさんに、こいつを見てもらいたくてなあ」
「こいつがまだ現役だったとは驚きだよ……ずいぶんとていねいに乗ってるんだな」
 カルロスは老人のワゴンに歩み寄り、ボンネットを開けてエンジンルームを覗き込んだ。
「……エンジンはオリジナルのままか? そのわりには調子がよさそうじゃないか。特に修理が必要とは思えないが……」
「だったらいいんだ。きょうは一年ぶりの遠出でな」
「さすがあんただ、よく手入れされてるよ」
 ボンネットを閉め、カルロスは老人を見やった。
「――さっきこいつを見てくれといったが、まさか売るつもりなのか?」
「その気はないよ。……どのみちたいした値はつかんだろう?」
「ん……」
 老人の言葉に、カルロスは即答せずに黙り込んだ。
「……なあ、ノエル」
 見つくろってきたパーツを磨きながら、ソワレはそっとノエルに尋ねた。
「あれ、珍しいクルマなんだろ? だったら高く売れるんじゃないのか?」
「どうだろうな……状態のいいのをホントに欲しがってるコレクターなら、それなりの価格で買ってくれるかもしれねェけど、もともとが高級車ってわけじゃねえし、そもそもランドロブスターってのは人気がなくて生産が打ち切りになったクルマだぜ? 台数が少なくて珍しい理由がそれじゃあ欲しがる奴だってそうはいねェって」
 ミラーを分解して汚れを落としていたノエルは、軽く嘆息して老人の愛車を見つめた。
「……でも、カルロスがいうように修理が必要とは思えねえし、かといって売りにきたんでもないとすると、いったい何なんだ?」
「単に昔馴染みに会いたくて訪ねてきたとかじゃねぇの?」
「何年も音沙汰なかったじいさんが、急に思い立ってわざわざ訪ねてくる理由がそれってか? ふつうはほかにもっと何かあるだろ?」
「ほかにっていわれてもなあ――」
 カルロスと老人はオフィスに入り、ソファに座って何ごとか話し合っている。ソワレは横目でノエルを見やり、無言でうなずき合うと、パーツを放り出してそっとオフィスのドアに近づいた。
「……おい、何か聞こえるか、ソワレ?」
「しーっ! 静かにしろって! ……何だかあのじいさん、レースがどうのダービーがどうのっていってるぜ?」
「レース? まさかあのワゴンでレースに出る気か?」
「……今度は病院がどうとか治療費がどうとか――」
「は? ワケ判んねェな。ちょっと場所代われよ、オレにも聞かせろ!」
「おっ、押すなって、おい!?」

      ◆◇◆◇◆

 壊れかけのシーリングファンがゆるやかに空気をかき混ぜるオフィスに、安いコーヒーの香りがただよい始めた。
「……エミリーがな」
 大ぶりのマグカップを受け取ったローリーが、ぼそりと呟いた。
「実はもう長くない」
「何だって?」
 自分のカップにコーヒーをそそいでいたカルロスは、老人の言葉に思わず手を震わせた。
 ローリー――ローランド・ライリーは、カルロスにとっては二〇年来の年上の友人で、その妻エミリーとも顔見知りである。そのエミリーが病で長くないと聞いて、カルロスは驚きを隠せなかった。
「本当に……もう手遅れなのか?」
「もう少し若ければ手術でどうにかできたのかもしれんが……エミリーももう七〇だ。そう何回も手術に耐えられるほどの体力はないさ」
「そ、それで、どうするんだ?」
「延命治療はしないことに決めた」
 老人はどこか達観したような表情を見せている。おそらく夫婦で何度も話し合った結果なのだろう。
「――その時が来るまで、おだやかにすごさせてやりたい。もちろん確証はないが、同じようなケースで、一年ほどもった患者もいると聞いた」
ターミナルケアってヤツか……」
「ああ。……だが、費用は決して安くはない」
「そいつは何となく想像がつくが……そのためにあのワゴンを売るってことじゃないんだろう?」
 それが焼け石に水にしかならないことは、すでにローリー自身も判っているだろう。あのオースティンでは、たとえ売れたとしてもたいした額にはなるまい。
「……カルロス。おまえさん、『ホイーラーズ・コロシアム』は知ってるかね?」
「そりゃあもちろん――おい、待てよ、ローリー!? あんた、あそこのダービーに出るつもりなのか!? いくら治療費を作るためとはいえ、いくら何でもそいつは無茶だ!」
 カルロスはカップを置いてソファから腰を浮かせた。
「――考え直せ、ローリー。あれはまともなレースじゃないぞ? 金を稼ぐ方法ならほかにいくらだってあるだろう?」
「借りられるところからはあらかた借りちまったのさ。だが、それでもまだ足りなくてな」
 ローリーは弱々しくかぶりを振った。
「危険なのは承知の上だよ。だが、それでもワシは、エミリーのために金を作らにゃならんのさ」
「だとしてもだ! ……あんたまさか、あのワゴンでレースに出るなんていうんじゃないだろうな?」
「それも考えないではなかったんだが、さすがにきょうまで大事にしてきたあのワゴンを壊すのは忍びなくてな……そこでどうだろう? あのワゴンはおまえさんにゆずる。安物で申し訳ないが、その代わり、レース用の手頃なクルマを組んでくれんか?」
「――――」
 のどの奥から絞り出すような老人の願いに、カルロスは即答することができなかった。

      ◆◇◆◇◆

 サウスタウンの郊外にある『サウスタウン・モーターパーク』は、この街で最新の複合娯楽施設である。一二万人規模の収容員数を誇る巨大なサーキットを中心に、大小のコース、自動車博物館やショッピングセンターなどが併設されており、週末には多くの人出でにぎわう観光スポットのひとつだった。
 そこに、『ホイーラーズ・コロシアム』と呼ばれるダートコースがある。正式には何というのか、モータースポーツにうといソワレの知るところではないが、そう呼ばれている理由を聞けば、何となく納得がいった。
「――デモリッション・ダービー?」
 クロムメッキのほどこされたフロントグリルを熱心に磨きながら、ソワレはノエルに聞き返した。
「ああ。そこのコースは、ふだんはモトクロスレースとかエクストリームスポーツの会場に使われてるんだけど、月に二、三度、派手なデモリッション・ダービーを開催してるんだよ。ケーブルテレビの中継も入ってるし。……知らねェのか?」
「ああ。興味ないからな」
「おまえ、ホントにストリートファイトのことしか考えてねえんだな」
 ノエルは作業の手を止めて溜息をついた。
「つーか、いまさら学校に行けとはいわねェけどよ、少しはアルバを見習って見聞を広めたらどうなんだ?」
「おまえにいわれたくねぇよ。……で、そのダービーが何だって?」
「デモリッション・ダービーってのはさ、単純にいえば、クルマ同士をがつんがつんぶつけ合って、最後まで走っていられたヤツが勝ちってゲームなんだよ。ふつうのレースじゃなく、一種のショーっつーか、クルマでやるバトルロイヤルみたいなもんだな」
「だからコロシアムなんて呼ばれてんのか。……けど、そんな物騒なレースにあのじいさんが出場するってのか?」
「らしいぜ、どうやら」
 カルロスの旧友ローリーが訪ねてきてから三日が経過している。あの日、ドア越しにふたりが盗み聞きした話にノエルが集めてきた情報を加えると、どうやらあの老人が直面している現実はかなり深刻らしい。
「さすがに気が引けたから、詳しい病名とかはオレも聞けなかったけどよ、とにかく重病らしいんだ。年が年だから手術で治すのも無理らしくて――ほらあれ、何ていうんだ? 終末治療っつーの?」
「痛みをやわらげるとかいうヤツか?」
「そう、それ。ローリーさん、奥さんにその治療を受けさせることにしたんだとさ。けど、あれってかなり金がかかるらしいんだよ」
「だからって、それをそのダービーだかで稼ぎ出せるもんなのか?」
「賞金額だけ見れば可能なんじゃねェの?」
「え、マジかよ? そんなに儲かるもんなのか?」
 さらりと返ってきたノエルの言葉に、ソワレは目を丸くした。
「その時によって多少の差はあるけど、優勝賞金はだいたい五万ドルくらいかな? 視聴率がけっこう稼げるからテレビ局からも賞金が出るし、地元のパーツショップも協賛してるしよ」
「五万ドルか……けどよ、そう簡単には優勝できないんじゃねぇの?」
「そりゃあ難しいさ。ポンコツ寸前のクルマをテキトーにいじってお祭り感覚でやるダービーなら、あちこちの街でしょっちゅう開催されてるけど、この街のダービーは賞金がデカいからやるほうもガチだし、そもそもエントリーするのにも金がかかるしな。お遊びでもお祭りでもねェよ」
 そんな危険なレースに、もう七〇の老人が出るというのである。素人のソワレにも無謀としか思えなかった。
「だからせめてマシンだけはマトモなのを用意したいって、カルロスに頼みにきたんだろ? ……まあ、マシンをどうにかしただけじゃハナシにならねェけどな」
「カルロスは受けたのか、その仕事?」
「……まあ、仕方なくってとこかな」
 ちょうどそこに、ごとごとと大きな音を立ててカルロスのトレーラーが戻ってきた。その荷台には、薄汚れたトラックが積まれている。
「お、フォードじゃん」
 ノエルは仕事を中座し、トレーラーから降りてきたカルロスに駆け寄った。
「――カルロス! どうしたんだよ、これ?」
「知り合いのディーラーから安くゆずってもらったんだよ」
「もしかして、こいつをダービー用に改造するのか?」
「ああ。ウチのジャンクヤードにある錆のカタマリみたいなトラックをベースにしたんじゃ、今ひとつ信頼できんからな。乗るのはローリーなんだ、とにかく安全性を第一に考えないと」
 カルロスを手伝ってトレーラーからトラックを降ろしたノエルは、ソワレとふたりでそれをガレージの中へと移動させた。
「へえ……汚れてるけど確かに程度はよさげじゃん。錆も少ねェし」
「おい、このトラック、そのへんでよく見るヤツに似てるけど、何かちょっとおかしくないか?」
 ソワレはトラックの車内を覗き込んで首をかしげた。
「……ほら、これもハンドルが右についてるぜ?」
「そうだよ。イギリス向けの右ハンドル車だ」
「確かにタイプ100は今も人気のあるトラックだけど、国内で使うんだったら左ハンドルじゃねェと。右ハンドル車はほとんど需要ないぜ」
「だからそのぶん安く買えたんだよ。内装はボロボロだが、もともとダービー用のマシンには関係ないからな。エンジンとトランスミッションは問題ないし、こいつをベースにすれば、さほど金をかけずに頑丈なマシンに仕立てられるはずだ」
 コーラでのどを潤したカルロスは、フォードをリフトの上に移動させ、ボンネットを開けた。
「なあ、カルロス。――あのじいさんとは長いつき合いなのか?」
「ああ」
 エンジンをチェックしながら、カルロスはソワレの問いにうなずいた。
「おまえらがこの街に来る前の話だがな。――もともとこの修理工場を切り盛りしてたのはローリーなんだ。俺もフェイトも、最初は客としてここに出入りしてたんだんだよ」
「へえ」
「バイクの乗り方が悪いとかメンテぐらい自分でできるようになれとか、ローリーにはさんざん怒鳴られたもんさ。――で、一五年くらい前だったか、ローリーがエイミーといっしょに田舎に移り住むことになって、その時、〈サンズ・オブ・フェイト〉が金を出してここを買い取ったんだ。思えばあの引っ越しも、身体の弱いエイミーには、この街の空気がよくないと思ってのことだったのかもしれんな」
「そんなことがあったのか……」
「けど、いいのかよ? そんな古い知り合いが、危険だって判ってるレースに出るっていってんだろ? 止めないのかよ?」
「……ローリーは思慮深い人間だからな」
 ボンネットを閉めたカルロスは、その表面に直接マジックで何かを書き込み始めた。
「そう決断するまでには長いこと考え抜いたんだと思う。その上で出場すると決めたのなら、俺が何といおうが考えは変わらんだろう。だったら俺にできるのは、頑丈な一台を完成させてやることくらいだからな」
「ったく……人がいいな、カルロスは。どうせカスタムの代金だって、後払いでいいってことにしてんだろ?」
「当たり前だ。ローリーが賞金にありつけなきゃエミリーの治療だってあきらめなきゃならんのだ、そんなこといってる場合じゃない」
「お人好しでいいじゃんか。オレも手伝うよ」
 いったいいつからここにあるのか、バックミラーから吊るされたサイコロのマスコットを指でつつき、ソワレは肩をすくめた。
 とはいえ、〈サンズ・オブ・フェイト〉のメンバーたちがそういう人間揃いであることが、ソワレにはとても嬉しかった。それは、ソワレが尊敬するリーダーのフェイトの考え方が、仲間たちに受け入れられ、共有されているということだからである。

      ◆◇◆◇◆

 アルバ・メイラの日常は密度が高い。
 まず、朝から昼すぎまで大学で講義を受ける。夕方にはバイト先の『サウスベイ・キッチン』に移動し、夜の営業時間まで中国拳法の稽古。バイトが終わって帰宅するのはつねに深夜で、そこからさらに勉強をして、日付が変わってからベッドに入る――。
 こうした日々を、アルバはほぼ毎日続けている。ソワレはもちろん、フェイトやシャーリィからもストイックすぎるといわれるが、アルバ自身は特にこれが負担だとは感じていない。いったんそういう生活に入ってしまえば、あとは単なるルーチンワークのようなもので、むしろ規則正しい生活を送るほうが精神的にも肉体的にも調子がよかった。
 そんなアルバにとって、これからの数日間は、いささかイレギュラーなものになるだろうという予感があった。バイト先のレストランが、改装工事のためにしばらく休みになるのである。
 そこでアルバは、夕方まで大学に居残り、きょうのぶんの勉強と拳法の稽古を先にすませると、〈サンズ・オブ・フェイト〉のメンバーたちが集まる『カサブランカ』に久しぶりに顔を出した。
「あら、ご無沙汰だったじゃない、アルバ」
 カウンターの内側にいたシャーリィが、やってきたアルバを見て口もとをほころばせた。時刻はまだ夜の六時すぎ、開店直後で客の数は少ない。カウンターの一番端の席に座っていたアンが、母の言葉に反応してアルバを振り返った。
「アルバ!」
「やあ、アン」
 スツールから飛び降りて駆け寄ってきた少女をかるがると抱き上げ、アルバは笑った。
「学校はどうだ? ちゃんと勉強してるか?」
「うん! ママがね、勉強をサボるとソワレみたいになっちゃうよって。わたしはソワレみたいになっても別にいいんだけどさ」
「ちょっと、やめてよ、アン。仮にも女の子なんだから、毎日路上でケンカとダンスに明け暮れるようなのを手本にされたら本気で困るから」
 シャーリィはそういって笑ったが、その声はすぐに小さな咳に変わった。
「具合でも悪いのか、シャーリィ?」
「あ、大丈夫。ちょっと風邪気味なだけ」
 口もとを押さえてかぶりを振ったシャーリィは、あらためて小さく咳払いをすると、カウンターの上にコースターを置いた。
「――でもあなた、バイトは?」
「店の改装工事で数日は休みなんだ」
「あら、それじゃその間はウチを手伝ってもらおうかしら」
「最初からそのつもりで来たんだよ。……ソワレがかなりツケを溜めてるんじゃないかと思ってね」
「そりゃもう、あなたが考えてる以上にね」
「やはりそうか」
 アンをもといたスツールに座らせたアルバは、シャーリィから渡されたエプロンを身につけ、シャツの袖をまくった。
「――ソワレたちはいつ頃来るんだ?」
「そうね……いつもならもうとっくに来てるはずなんだけど、きょうは遅いわね。何かあったのかしら?」
「あいつらならじきに来る」
 携帯電話を片手に店に入ってきたデュードが、アルバに軽くあいさつしてそう告げた。
「……さっき、ノエルから連絡があった。もうすぐ着くから食事の用意をしておいてくれだとさ」
「三人いっしょなの?」
「ああ。どうやらカルロスのところでバイトをしていたらしい」
「カルロスの店はそんなに忙しいのか?」
「かもしれないわね。何だかダービー用のマシンを組んでるって」
 シャーリィの言葉にアルバは首をかしげた。
 このところ、ソワレはアルバが帰宅する頃にはもう寝ていて、朝は逆にアルバより遅くまで寝ているために、あまり話ができていない。最近のソワレが何をしているのか、アルバにはよく判っていなかった。
「いったいどういうことなんだ?」
「それがね――」
 アルバがシャーリィからことの次第を聞いていると、ちょうどそこへソワレとノエル、それにギャラガーの三人が顔を見せた。
「お! アルバじゃん、久しぶり~」
 あちこち機械油で汚れたノエルが、アルバを見て無邪気に笑った。
「話は聞いた。ノエルとギャラガーはともかく、ソワレがいても役に立たないだろう?」
「そりゃねえだろ、にい――兄貴! オレだってそれなりに役に立ってんだぜ?」
「それなりにって自己申告するだけマシかな」
 カウンターに寄りかかり、ギャラガーが溜息をついた。ソワレとノエル、それにギャラガーの三人が揃ったら、おのずとみんなをまとめるのはギャラガーの役目になる。おそらく肉体労働で疲れる以上に精神的に疲れた一日だったのだろう。
 その目の前にビールのグラスを置き、アルバは尋ねた。
「――で、実際どうなんだ? デモリッション・ダービーに出ると聞いたが、見込みはありそうなのか?」
「ま、できるだけのことはやるつもりだが」
「んー、たぶん無理じゃねェかな」
 さっそくホットドッグにかじりついているソワレに代わって、コーラを片手にノエルが大きくひと息ついて答える。
「――いくらマシンを頑丈に仕立てるっていっても、さすがに限界があるからな。そこそこいいところまでは生き残れるとは思うけど、優勝ってのは望みすぎだって」
「そうか」
 自分で出ようとは思わないが、アルバもモータースポーツには興味があるし、この街のデモリッション・ダービーがどういうものかということも知っている。
「確かあのダービーは、出場者は数千ドルのエントリー料を支払うんだったな?」
「ああ。エントリー料が五〇〇〇ドルで、それが優勝賞金のベースになってる。平均していつも一〇台以上はエントリーがあるから、賞金は最低でも五万ドル、実際には六、七万ドルくらいになるんじゃねェかな?」
「それを優勝者が総取りというわけか」
 モータースポーツとはいえ、デモリッション・ダービーは、単純にいえばクルマ同士の潰し合いである。最後まで生き残った優勝者を除けば、明確に順位をつけづらいせいもあって、二位以下には賞金が出ないことが多い。
「何だよ、そういうシステムなのか?」
 シャーリィの作ったホットドッグをあっという間に片づけたソワレが、コーラのグラスを掴んで不満げな声をあげた。
「――それじゃじいさんが賞金を手に入れるなんて無理だろ!」
「だからカルロスも止めたんじゃないのか?」
 うっすら生え揃った顎鬚を撫で、ギャラガーが嘆息する。
「よそのダービーはお祭りみたいなもんかもしれないが、この街のデモリッション・ダービーは本気の潰し合いだからな」
「なるほど……五〇〇〇ドルが七万ドルに化けるか、さもなければ五〇〇〇ドル払ってマシンをスクラップにされるだけか――どちらにしろ、かなりリスキーなギャンブルには違いないようだな」
「なあにいちゃん、どうにかならねえかな?」
「にいちゃんはよせ」
 確かにデモリッション・ダービーは七〇近い老人が出場するには危険すぎる。もっとほかの方法で金を作れるならそうすべきだろう。だが、一介の大学生であるアルバにはどうすることもできないのが現実だった。
「――私にどうにかできるくらいなら、とうの昔にフェイトがどうにかしているはずだ。その老人は、フェイトにとっても昔馴染みなんだろう?」
「うん。そう聞いてる」
「にもかかわらず、フェイトが何もしないというのは、何もしてやれることがないからじゃないか?」
「何だよ、フェイトってそんなに金に困ってんのか?」
「……そういう単純な問題じゃない」
 金があるかないかということでいえば――世間一般がイメージするギャングのボスほどではないにしても――おそらくフェイトにはそのくらいのたくわえはあるだろう。しかし、〈サンズ・オブ・フェイト〉のリーダーとしては、おいそれと金貸しのようなことをするわけにはいかなかった。
「フェイトはこの一帯を仕切るリーダーなんだ。そういう立場にある以上、誰かひとりだけを特別あつかいするわけにはいかない。もしフェイトがその老人に治療費を融通したいのであれば、フェイトの庇護の下で生きる貧しい人々にも、同じように金をばらまかなければならなくなる。逆にいえば、それができないなら安易に救いの手を差し伸べてはならない」
「いや、ほかのことならそうかもしんねぇけどさ、この場合は――」
「例外はないんだ、ソワレ。フェイトは“キング”なんだ。みんなに平等でなきゃいけない」
「…………」
 アルバが説明しても、ソワレはまだ釈然としていないようだった。その気持ちはアルバにも判る。だが、上に立つ人間は感情のみで動いてはならない。中途半端な温情は、“キング”としてのフェイトの評価をかえって落としかねないのである。
「俺たちなんかより、実際につき合いのあったフェイトのほうが、内心じゃずっとやるせない思いをしてるはずだ。俺たちは俺たちにやれることをするしかないだろ?」
「……ああ」
 ギャラガーの言葉に、ソワレはうつむいたままうなずいた。
 陽気で人懐こいソワレは、反面、他人の気持ちに寄り添いすぎるきらいがある。ほとんど話したこともないであろう、知り合ったばかりの老人の境遇に同情し、義憤を覚えるのは、それはアルバにはないソワレの美徳といっていい。
 しかし、同時にアルバは、それがソワレを傷つけることを恐れてもいた。アルバなら他人ごととして淡々と流せることを、ソワレは我がことのように受け止め、本人といっしょに嘆き哀しんでしまうのである。
「ソワレー、元気出しなよー」
 事情も判らないまま、アンがソワレの二の腕をぺたぺたと叩く。
「――ソワレの取り柄なんて明るいことくらいじゃない?」
「ああ……そうだな。アンのいう通りだ」
 赤いリボンで飾られた少女の頭を撫で、ソワレは溜息混じりに笑った。
「あれこれ細かいこと考えたって仕方ねえよな。オレはオレにできることをやるしかないんだし」
「せいぜいノエルたちのお荷物にならないようにな」
「おい、兄貴! オレだってちゃんと役に立ってるってさっきもいっただろ? なあ、ギャラガー?」
「……ああ、そうだな」
 ぎこちなくうなずくまでの微妙な間が、ギャラガーの気苦労を物語っているような気がする。ギャラガーの今夜の支払いを自分につけてくれるよう、アルバはそっとシャーリィに耳打ちした。

      ◆◇◆◇◆

「っと……」
「おい、ソワレ! そいつはまだ売りモンになるんだからな、落として割ったりすんなよ?」
「判ってるって。売れるパーツは全部売って、少しでもカスタム代の足しにするってんだろ?」
 フォードのフロントウィンドウをはずして慎重に運び、ソワレはひと息ついた。競技の性格上、開始直後に破損することが判りきっているため、ウィンドウやライトといったガラス製のパーツは最初からすべてはずしておくのだという。
「……ふぅ」
 あれから三日、カルロスを手伝って、ソワレたちはフォードの改造を続けてきた。すでにオーバーホールをすませたエンジンは組み込みずみで、足回りも仕上がっている。残るは内装と外装――といっても、デモリッション・ダービーに出るクルマに、革張りのシートやご機嫌なペイントは無用である。むしろ必要なのは、ドライバーの安全を守るための装備だった。
 車体の剛性をたもつため、カルロスとノエルが車内にロールケージを溶接しているところに、どこか青ざめた顔つきのギャラガーが駆け込んできた。
「――おい、ノエル! 聞いたか!?」
「あ? 何だよギャラガー? 今までどこで油売ってたんだ?」
「それどころじゃないぞ! じゃあまだ聞いてないんだな、今度のダービーの話!」
「どうしたんだよ? 何があったんだ?」
「次のダービー、ダニー・リチャードソンが出るらしいぞ!」
「マジかよ!?」
 溶接用のマスクを上げ、フォードの車内からノエルとカルロスが驚きの表情で出てきた。
「おいギャラガー、その話、本当か?」
「ああ。エントリーしてるメンツによっては、作戦次第で勝ち目があるんじゃないかと思って事務局に行ってきたんだよ。そしたらダニーがエントリーしてるって――」
「誰なんだ、そのダニーとかってのは?」
「まあ、クルマに興味のねえソワレが知らねェのも当然か」
「ダニーか……厄介なヤツが出てきたな」
 マスクをはずしたカルロスが、まるまるとした腹を撫でながら呟いた。
「今でこそ貿易会社の社長に収まっているが、もともとダニエル・リチャードソンてのは、ストリートギャング上がりの荒っぽい男なんだよ」
 ダニーはスクラップとして輸入したクルマを修理して格安で売りさばく一方、カスタムショップも経営しており、自社で作ったパーツを輸出してなかなかの稼ぎを得ているという。
「まあ、かつてのチンピラがそのまま大人になったような奴らしくてな。で、こいつがまた、デモリッション・ダービーが好きときてる」
「ゴツくて頑丈なマシンで出場しては、当たり前のように優勝をかっさらっていくって話だ。しかも、ほかのマシンを徹底的に潰していくやり方でな。……さらに面倒なのは、ストリートギャングだった頃の”ファミリー”とのパイプをまだ持ってるんじゃないかってところだ。まともなビジネスマンじゃないんだよ」
 カルロスとギャラガーの説明に、ソワレは眉をひそめた。
「……それ、マズくないか?」
「マズいなんてもんじゃねェって! ダニーが出場して勝てなかったダービーなんてないってくらいだし、何よりあいつは何人ものドライバーを病院送りにしてるんだぜ? いくらデモリッション・ダービーだからって、ドライバーまでブッ壊すことはねェだろうによ!」
「カルロス、ローリーさんにダニーのことを説明して、あきらめさせたほうがいいんじゃないのか?」
 ギャラガーは完成間近のフォードを一瞥し、カルロスにいった。
「――ローリーさんの事情も判るが、ダニーが出るとなると、まず優勝は無理だ。ほかにもそこそこダービーに慣れてる連中が揃ってるようだし、素人のローリーさんが出場しても、ヘタをすれば真っ先に潰されてエントリー料の五〇〇〇ドルが水の泡だ。少なくとも今度のダービーは見送ったほうがいい」
「そうだな……もうじきローリーがこいつの仕上がりを見にここへ来る。その時に――」
「いや、もう来たみたいだぜ」
 ノエルの視線を追いかけると、前にも見たことのある珍しいイギリス車が、独特の排気音を引きずってスクラップの山間を縫ってやってきた。
「ローリー!」
 ディスカバリーから降りてきた老人を、カルロスが引きずるようにしてオフィスの中に連れ込んだ。
「――今度のダービー、出場を見合わせたらどうだ? ダニー・リチャードソンが出るらしいじゃないか」
「そうだよ、ローリーさん。さすがに危険すぎる」
「ダービーは定期的に開催するんだろ? なら今回は見送ったっていいじゃねェか、なあ? 次のダービーに賭けようぜ?」
 みんなが口々に説得するのを、老人は黙って静かに聞いていた。老人の出場理由がプライドなどといったものではなく、あくまで賞金にあるのなら、手強い優勝候補が出場するダービーを回避するのは間違いではない。ソワレはローリーが首を縦に振るのを期待し、その言葉を待った。
「……いや、すまんがワシの決心は変わらんよ」
「はあ!?」
 深く溜息をつきながらローリーがかぶりを振るのを見て、ソワレは思わず大きな声を出してしまった。
「――何でだよ、じいさん!? 正直勝ち目ねえっていってんだろ!? 賞金が欲しいなら今回はパスしろよ!」
「そうだぜ、ローリーさん! ダニーの出てねェ時に――」
「そうじゃない。むしろワシは、ダニーが出場すると思って今度のダービーにエントリーすることにしたんだ。ダニーが出るのならワシも出るよ」
「ど、どういうことだ、ローリー?」
「ワシだって馬鹿じゃあない。出たことこそないが、この街のデモリッション・ダービーについてもそれなりに知っとる」
 かぶっていたハンチングを膝の上に置き、ローリーはいった。
「……正直なことをいえば、たとえダニーがいなくとも、ワシが優勝するのはまず無理だろう。そんなに甘いもんじゃあないことは判ってる」
「だったらなおさらダニーが出るダービーを狙う必要はないだろう?」
「ワシが狙っとるのはそのダニーなんだよ」
「何だって?」
「そうか……特別賞か」
 何かに気づいたように、ギャラガーが低い声で呟いた。
「――ローリーさん、あんたの狙いは最初から特別賞なのか?」
「そうだ」
「は? 特別賞なんてのがあるのかよ?」
「ああ。ダニーはいつもダービーに出場する時、自分のカスタムショップを冠スポンサーにして賞金を出すんだ。で、そいつは優勝とは別に、ダニーのマシンを走行不能にしたドライバーにあたえられるんだよ」
「そんなもんがあったらみんなダニーを集中して狙うだろ、ふつう?」
「それがダニーの狙いなんだろうな。そうすれば中継のカメラはダニーばかり追いかける。つまりは自分のショップの宣伝になるってわけだ」
「だからよ、ダニーはそうやって、自分に突っかかってくるほかのマシンを返り討ちにして潰すのがシュミのえげつない野郎なんだよ。実際、特別賞をもらったヤツなんてほとんどいねェからな」
 一〇台以上のマシンが出場するダービーでは、いかにあがこうともローリーに優勝など望めないだろう。だが、うまく立ち回れば、序盤から集中して狙われて疲弊したダニーのクルマを潰すくらいのことはできるかもしれない――そんなローリーの考えはソワレにも理解できた。だが、そううまくいく保証はどこにもない。
 ソワレはそっとギャラガーに尋ねた。
「……特別賞っていくらもらえるんだ?」
「その時によって違うが、だいたい三万ドルくらいだな。よほどほかの奴に取られない自信があるんだろう、ダニーは」
「優勝の五万ドルよりはハードル低い……のか、それ?」
「似たようなもんだろう。……どっちも不可能に近いって意味でな」
 ローリーの説得をあきらめたのか、ギャラガーは肩をすくめてオフィスを出ていった。
 考えてみれば、ローリーがマシンの完成をこんなに急いだのも、次のダービーに間に合わせるためだったのだろう。最初からローリーは覚悟を決めていたのである。
 ギャラガーを追って外に出たソワレは、ロールケージの溶接に取りかかっていた友人に尋ねた。
「……なあ、このダービーって、金賭けられるのか?」
「ああ。ほとんど儲けにならないだろうけどな」
「みんなダニーに賭けるから、か……」
「なけなしの金を張るならほかのギャンブルにしておけ。ダニーに賭ければまず損はしないだろうが、それはローリーさんが賞金をもらいそびれることでもあるからな」
「判ってるよ」
 ソワレは大仰に溜息をつき、鈍色の空を見上げた。

      ◆◇◆◇◆

 五分おきに列車が通過する高架下の、どこかじめっとしたコンクリートの壁に寄りかかったまま、フェイトは静かにメールを読んでいた。
 最近、あまりグループの若い連中と話ができていない。別段、何か重要な相談をしたいとは思わなかったし、彼らをそういったことに巻き込むのはまだ早すぎるとも思っている。
 だが、そういうことは抜きにして、弟分たちが何を考え、何をしようとしているのかフェイトは知りたかった。だからフェイトの代わりに店で彼らと接する機会の多いシャーリィやデュードが、こうして時たまメールをくれる。まだ独身のフェイトは子供を育てた経験はないが、メールで知らされる若者たちの日常に一喜一憂するのは、もしかしたら、仕事が忙しくて家にいつけない父親の感情に似ているのかもしれない。
 フェイトが無言で微笑み、画面をスクロールさせていると、横合いから射してきた強い光が断続的に明滅した。
「……時間通りか」
 携帯電話といっしょに笑みをしまい込んだフェイトは、ゆっくりと停車したAMGの助手席側に回り込んだ。
「待たせちまったかな?」
 開いたドアから顔を覗かせたのは、モヒカン頭の黒人だった。フェイトに負けずおとらずの見事な体格の持ち主で、おだやかなその口ぶりとは裏腹に、ときおりその目に鋭い光が宿る。
 フェイトは助手席に座ってドアを閉めると、小さく嘆息して男を一瞥した。
「あんたの今のクライアントが誰なのかは知らないが――」
「おっと、まあ待ってくれよ、“キング”。最初からそう警戒することはないだろう?」
「あんたと会う時には決して油断するな――親友からはそう忠告されてるんでね」
「チャンスか……俺もできることなら、こういう話はおまえさんじゃなくチャンスに振りたかったんだがね。あっちのほうが何かと話が早いというか、融通が利くだろう?」
 モヒカンの男――セスは、AMGのアクセルを踏み込み、高架下を飛び出した。
「対して、よくも悪くもおまえさんは潔癖すぎる。おまけに情が深くて甘い。人に慕われるリーダーとしては悪くないが、たちの悪い連中と渡り合っていくには計算高い参謀が必要だ。――おまえさんにとってはチャンスがまさにそうだった。チャンスがいなくなっちまったのは痛すぎる損失だ」
「俺にダメ出しをするために来たのか? 凄腕エージェントっていうわりには意外に暇なんだな」
「すまんね。つい説教臭いことをいっちまうのは年を取った証拠らしい。少し控えないとな」
 ふたりを乗せたクルマは、かつてのダウンアンダーエリアを駆け抜け、街を東西につらぬく大通り――通称サウスタウンストリップへと向かっている。セスはハンドルを握ったまま、フェイトにいった。
「――グローブボックスの中に資料がある。まずはそいつを見てもらいたいんだが」
「何の資料だ?」
「ダニエル・リチャードソンのことは?」
「カスタムショップのオーナーだろう? ストリートギャング上がりで、確かウエスベイエリアに店を構えてると聞いたことがあるが」
 ついさっき、シャーリィからのメールで同じ名前に接したことはおくびにも出さず、フェイトはグローブボックスの中から大きな封筒を取り出した。
「その男がどうかしたのか?」
「おまえさんも噂くらいは聞いてるだろ?」
 きょうのサウスタウンは薄曇りで、今にも雨が降りそうな空模様だった。スモークのかかった車内はなおさらに暗く、クルマの振動のせいで、封筒の中の資料の文字が踊っているように見えた。
「――表向き、ダニーのビジネスは中古車関係のものがほとんどってことになってる。輸出先は南米諸国だが、あっちの人間はなかなか新車なんか買わないからな。こっちから交換用のパーツを持ってって修理するほうが商売になるらしい。で、こっちじゃ見なくなったような古くて人気のあるクルマがあれば、今度はそいつを買いつけてアメリカに持って帰り、レストアして販売する」
「マニアにはありがたいだろうが、そこまで儲かるような商売でもなさそうだな」
「その通りだよ。……ダニーがアメリカに持ち帰ってるのは中古車だけじゃない。メインの積荷は麻薬なんだ」
 資料をめくっていた手を止め、フェイトは目を細めた。
「今、この街は、南米ルートの麻薬が北米に流れ込むあらたな玄関口になりつつある。もちろん、真っ先に汚染されるのはこの街の人々だ。おまえさんだってうすうすそれは感じてただろう?」
「……確かに去年より売人の数が増えてるのは感じてる。だが、それが本当にダニーのせいだといいきれるのか?」
「ほぼ間違いない。――が、逮捕して立件できるだけの証拠がない。証拠を押さえようとして送り込まれた捜査官が、これまでに四人も死んでる。地元警察が動かないのは……まあ、お察しだろう?」
 ダニエル・リチャードソンがセスのいう通りの人間なら、おそらく地元の警察や市議会の議員たちにも、たっぷりと袖の下を渡しているに違いない。市の主導でダニーの犯罪行為を止めるのは難しいだろう。
「……あんたのクライアントは州政府か? それとももっと上の人間か?」
「そいつは秘密だよ。特に、これから俺がおまえさんに頼むことを考えればね」
 フェイトの問いに、セスはサングラスをかけて答えた。それはまるで、自分の胸中をフェイトに読ませまいとするかのようだった。
「いっておくが、俺は――俺たちは殺し屋の真似事はしない」
「誰もそんなことを頼むつもりはないよ。……だが、よく考えてみてくれ。クスリ欲しさに金を作ろうとする人間が増えれば、サウスタウンの犯罪件数も増えていくだろう。何も正義のためなんて大袈裟なことはいわんが、この街の人間のためには、今すぐにでもダニーを排除しなきゃならん。法にのっとってたんじゃ手遅れになる」
「確かに州知事の立場じゃそんなことはいえないだろうな」
「おいおい、誰もクライアントは州知事だなんていってないだろ? 勘繰るのはよしてくれ」
「……まあ、あんたのいいたいことはだいたい判ったよ」
 資料を封筒にしまい、グローブボックスの中に戻したフェイトは、シートに身を預けて静かに深呼吸した。
「あんたの話に乗るかどうかは別として、この街を綺麗にすることには俺も賛成だ」
「少しは前向きになってくれたかい?」
「ただ、ダニーが”ファミリー”とかかわりのある人間だとすれば、俺たちもおいそれとは手が出せない。これをきっかけに、また”ファミリー”と全面抗争なんてことになれば、さらに多くの人間が血を流すことになる」
「ああ、判るよ。……だが、今じゃ”ファミリー”もかつてほどの力はない。ダニーもそれを知っているから、”ファミリー”を通さず自分たちだけで麻薬を売りさばき、莫大な利益を上げてる。こっちの調べでは、今のダニーと“ファミリー”の間に協力関係はない」
「だとしてもだ」
 ダニーの麻薬組織を追いつめることで、旧知の仲である“ファミリー”と手を組んでしまう可能性もある。迂闊に手を出すことはできない。
 フェイトはセスに静かに尋ねた。
「……仮にだ。もし仮にあんたがダニーの組織を潰すとしたら、どういう手段を使う?」
「そうだな……地元警察の協力は得られないと考えておくべきだろう。うっかり共同作戦なんてやろうとすれば、事前にすべてダニーに筒抜けになりかねない。俺の“お友達”に手を貸してもらって、ダニー本人の身柄を確保するしかないな」
 セスのいう“お友達”が誰なのか、フェイトには何となく想像がついたが、だとしてもそうたやすい計画だとは思えない。
「荒っぽいことにも慣れている、おまけにいつも警戒しているであろう男を誘拐するわけか?」
「だから難しいんだよ。絶対に失敗できない」
「しくじればあんたのクライアントが失脚する――か?」
「もしくは代わりに誰かが生贄にされるかだ。ただ、どちらにしろそんな事態になれば、おそらくダニーを捕らえることはほぼ不可能になるだろうな」
 気づけばAMGは、フェイトが見慣れた灰色の貧民街を走っていた。サウスタウンの中心街をぐるりと一周して、もとの高架下へと戻ってきていたのである。
「……だからこそ、この街の裏も表も知り尽くしたおまえさんに手を貸してもらいたい。俺のクライアントがどうのじゃなく、ここに住む人々のためになることだ」
「いつ実行するつもりだ?」
「まだ決まってない。というより、おまえさんの回答待ちだよ。あんたが断るといえば、残念だが、俺たちだけでやらざるをえなくなる」
「……そうか」
 高架下の冷ややかな影の中でAMGを降りたフェイトは、ドアに手をかけたまま少し思案し、セスにいった。
「もう少し時間をくれないか?」
「そりゃあいいが、そう長くは待てんぜ?」
「ああ」
 フェイトはドアを閉め、走り去るAMGを見送った。
「……確かにこういう時、おまえがいてくれたらと思うよ、チャンス――」
                                ――つづく