とびだせどうぶつの森 QRコード置き場

ここにはおもに『とびだせどうぶつの森』、『GirlsMode4』でネオジオキャラになりきるためのマイデザイン用QRコードやコーディネイト案、それにSNK関連の二次創作テキストなどを置いています。髪型や髪色、瞳の色については『とびだせどうぶつの森』の攻略Wikiを参照してください。

『鳴神屋騒動秋風花』 前段

 旅支度をしている自分の手もとを、妹がそっと肩越しに覗き込んでくるのが気配で判った。
「ねえ、今度はどこに行くの?」
 葉月のその問いに、火月は何の気なしに答えかけ、はっとして兄の顔を見やった。
「――――」
 囲炉裏をはさんで火月と向かい合わせに座っていた蒼月は、先刻から無言のまま草鞋を綯っている。しかし、まさにその沈黙が、火月に対して余計なことはいうなと釘を刺しているかのようだった。

 「おいおい、俺たち忍びがお勤めのことを気軽にほいほい口にできねえことぐらい、おまえだって知ってるだろ? 聞くなよ、そんなこと」
 妹を気落ちさせないよう、冗談めかしていいながら、火月は背中にしがみつく妹の髪をくしゃくしゃと撫でてやった。
 じゃれ合う弟と妹を冷めた目で見つめていた蒼月は、小さく嘆息すると、尺八と天蓋を掴んで立ち上がった。
「――私たちが留守の間、家のことは頼みましたよ、葉月」
「はい、蒼月にいさん。火月にいさんも無茶しないでね?」
「おまえこそ無理すんなよ? 具合が悪けりゃおとなしく寝てろ。な?」
「うん」
「じゃ、行ってくるぜ」
 妹の見送りを受けて質素な家を出たふたりは、どちらからともなく鈍色の空を見上げて歩き出した。
 虚無僧姿の蒼月に対し、火月は、道中合羽に三度笠という渡世人そのもののいでたちをしていた。どちらもよく板についているが、しかし、虚無僧と渡世人では、旅路をともにする仲としてはいさかか腑に落ちない。
「……いまさらいわずもがなのことですが」
 街道筋へ続く鬱蒼とした林の中の小道を歩きながら、蒼月はささやくような小さな声でいった。
「江戸までの道中、目立つ動きは慎みなさい」
「判ってるよ、兄貴」
 そう答える火月の視線は、何度も肩越しに坂道の上のほうを振り返っていた。
「……気になりますか、葉月のことが?」
「当たり前だろ? 兄貴は気にならねえのかよ?」
「私たちが気に病んだところで、葉月の具合がよくなるわけでもありませんからね。余計なことに気を配っている余裕があるなら、そのぶんお勤めに集中しなさい」
「……そういうところ兄貴は冷てぇよなー」
 ぼそりともらし、火月は溜息をついた。
 このところ、葉月の具合がよくない。何日も微熱が続き、夜もよく眠れないという。そんな折、頭領からの命を受けて、火月と蒼月が揃って家を空けることになってしまったのである。火月が妹の身を気遣うのも当たり前だった。
 しかし、兄の蒼月はそれを無用と断ずるのである。
「――そんなことより、早くお勤めをすませ、いい薬のひとつも買って戻ってやったほうがあの子のためになりますよ」
「そりゃそうだけど……」
「おまえにだから打ち明けることですが」
 ふと足を止め、蒼月はあらたまった様子で切り出した。
「――私はいずれ風間の里のすべてを手に入れます」
「は?」
 その言葉の意味が判らず、火月は蒼月を振り返り、しばし呆けた表情で兄を見つめていた。
「里を手に入れるって……そりゃあつまり――」
 風間の里を統べるのは風間一族の頭領にほかならない。すなわち蒼月の今の言葉は、いつか自分が風間忍軍の頭領の座に就くという宣言であった。
「……他言無用ですよ、火月」
 天蓋をかぶっているため、蒼月の表情は見えない。が、その笠の下で兄が浮かべているであろう冷たい微笑みを、火月はまざまざと思い浮かべることができた。

      ◆◇◆◇◆

 峠の茶店で熱い茶と団子を注文し、柳生十兵衛はようやくひと息ついた。
 すでに季節は夏から秋へと移り変わり、朝夕の風にもそれらしい冷ややかさが混じり始めていたが、さすがにこれだけ歩き詰めでは汗もかく。何しろ肥前を出立して以来、日に一〇里ずつほども歩いているのである。
「やれやれ……これならいっそ、どこぞで仕掛けてきてくれぬものかな? そのほうが気が楽だが」
 そう自嘲した十兵衛と背中合わせになるように、大きな風呂敷包みを背負った男が腰を降ろした。
「……十兵衛どの」
 背中の荷を下ろした男が、十兵衛にしか聞こえぬほどの小さな声でいった。
「お早いお着きで」
「半蔵か。久しいな」
「十兵衛どのも息災のようで――」
「噂に聞いたぞ、鬼退治の件。……けりはついたのか?」
「……私事でございますれば」
「そうか」
 十兵衛はそれ以上問わなかった。男――服部半蔵とは、ともに幕府をささえるためにはたらく間柄であり、同じお役目に就くことも少なくなかったが、さりとてそこまで踏み込むほどの深い仲でもない。
「――いずれにせよ、おぬしが来てくれたのは心強い」
「配下の者どもからあらましは聞いております。……すでに何匹か小物が釣れたとか。やはり餌がよいのでしょう」
「餌? 儂のことか?」
「いかさま」
 半蔵のいいように、十兵衛は茶をすすりながら笑った。
「――その小物、どこの手の者か判るか?」
「忍びの技から見て、おそらくは風間一族の手の者ではないかと――我らが捕らえた者、みな仔細を問う前に自害して果てましたゆえ、まだ確証はございませぬが」
「風間一族……確か肥前、肥後のあたりの忍びであったな」
「は」
「となれば、誰ぞに雇われるにしても、あのあたりの大名家か、豪商か――まあ、商人風情が儂の命をつけ狙うとも思えぬが」
「いずれにしても、十兵衛どのの平戸来訪をこころよく思わぬ者の仕業かと……」
「ふむ」
 この年の夏、江戸参府を終えたオランダ商館のカピタン一行につきしたがい、十兵衛は長崎の平戸へとおもむいた。表向きは、南蛮趣味で知られる徳川慶寅への献上品を見つくろうためとなっていたが、その裏に別の目的があると考えた者が、どうやら少なからずいたらしい。
 袂から数枚の銭を取り出した十兵衛は、それを床几の上に置くついでに、小さく折りたたんだ紙片を半蔵の風呂敷包みの隙間に押し込んだ。
「儂はもうしばらく餌役を続けるとしよう。乱波どもの目が儂に向いておる間に、おぬしは慶寅さまにその書状を届けるがよい」
「承知」
「ではな。――娘、馳走になった。お代はここに置いておくぞ」
 腹のあたりを叩いて立ち上がった十兵衛は、腰に大小を差し、茶店の娘に声をかけて歩き出した。
 長崎を出立して江戸へと向かう十兵衛の旅は、ようやく姫路へさしかかったところだった。十兵衛の健脚なら、きょう中に京都に入り、あしたからはいよいよ東海道を東進することになるだろう。
「――しかし、詰め腹を切らされる者がどれだけ出ることやら……人の欲とはまこと厄介なものよな」
 空を流れゆく雲を見上げ、十兵衛は溜息交じりにもらした。

      ◆◇◆◇◆

 江戸でも指折りの人気役者である千両狂死郎は、同時に薙刀の達人でもあり、斬った張ったの修羅場でさえも芸の肥やしとうそぶくような、根っからの傾奇者であった。武士でこそないが、そのへんの侍よりよほど腕が立つ狂死郎を、覇王丸もひとかどの剣客と認めている。
 そうしたこともあって、根なし草のような日々を送っている覇王丸も、江戸に来た時は、かならず木挽町の千両屋を訪ねることにしていた。もちろん、ここに来れば寝床や酒、あたたかい飯にありつけるという下心もある。
 この日、日暮れも間近という頃になって覇王丸が千両屋へ現れたのも、旅に疲れた身体を剣友のところで癒そうと考えてのことだった。
 ところが、いつもならすぐ奥座敷に通してもらえるのに、きょうにかぎって覇王丸が案内されたのは表座敷だった。どうやらすでに先客がいるらしい。
「ま、天下の千両屋だ、ご贔屓筋が会いにくるのも珍しくはねェだろうが……」
 ひとり覇王丸が膳で出された酒をちびちびと飲んでいると、廊下を近づいてくる足音が聞こえてきた。
覇王丸
「よう。邪魔してるぜ」
 ようやく顔を出した狂死郎に、覇王丸は杯を軽くかかげてあいさつした。
「――どうやら先客がいるみてェだが、いいのかい、そっち放っておいて? 俺なら別にかまわねェぜ? 勝手に手酌でやってっから」
「その先客のことなのだがな」
「?」
 ふと狂死郎を見ると、何やら神妙な顔をしている。
「……おぬしにも話を聞いてもらいたいのだが、かまわぬか?」
「俺に?」
「うむ。詳しい事情を話すゆえ、その上でおぬしの考えを聞きたいのじゃ」
「よく判らねェな。だいたい、俺はこいつをブン回すことしか知らねェんだぜ? そんな奴の考えが役に立つのかい?」
 かたわらに置いた河豚毒に手をかけると、狂死郎はかぶりを振り、
「おぬしがただの武辺者でないことは儂がよう知っておる。……とにかく来てくれ。あちらにはもっとうまい肴も用意させておるでな」
「そういうことなら話は別だ」
 覇王丸は杯を置いて立ち上がると、河豚毒を掴んで狂死郎のあとについていった。
「――先に聞いておきてェんだが、奥座敷にいる客ってのは誰だい?」
「儂の古い知り合いでな。……鳴神弥九郎といえば判るか?」
「おめえの知り合いで鳴神弥九郎といやあ……ひょっとして、あの鳴神屋かい?」
「うむ」
 鳴神一座の鳴神弥九郎といえば、今の江戸で千両狂死郎と人気を二分するほどの歌舞伎役者である。荒事師で知られる狂死郎に対し、江戸では珍しい和事を演ずることに長けた二枚目として知られていた。
「弥九郎とは、たがいの親父どのの代からのつき合いでな」
 坪庭をぐるりと回り込む長い廊下を歩きながら、狂死郎はいった。
「――今では儂も弥九郎も一座を率いる身ゆえ、餓鬼の時分のように、たがいの家に行き来をするようなことものうなってな。ここしばらく顔を合わせることもなかったのじゃが……」
「その鳴神屋が、急におめえを訪ねてきたわけかい?」
「いかにも。……儂の知らぬ間に、とんでもないことに巻き込まれておってな」
 覇王丸を連れて奥座敷へとやってきた狂死郎は、襖を静かに開けて覇王丸を中に招き入れた。
「待たせたな、弥九郎」
 奥座敷にいたのは、浮世絵の中から抜け出してきたかのような細面の色男だった。この男がくだんの鳴神弥九郎その人に相違ない。
「――これがさっき話した覇王丸だ。ただの無頼に見えて、なかなかの切れ者でな」
「鳴神弥九郎ございます」
 慇懃に頭を下げる弥九郎に対し、覇王丸はかぶりを振って空いていた膳の前に腰を降ろした。
「かしこまったあいさつとかは苦手なんでね。……それより、早く俺をここに呼んだわけってのを聞かせてもらいてェんだが?」
「実はな」
 膳に置かれた小さな鍋の中では、山鯨の肉がうまそうに煮えている。さっそく箸を取った覇王丸に、狂死郎と弥九郎はあらためてことの仔細を話し始めた。
「――おめェさんのところの若衆が殺された?」
「はい」
「狂の字みてェな物騒な役者ならともかく、おまえさんみてェな真っ当な役者のところで人死にたァ解せねえな」
覇王丸……儂の一座でも人死になど出たことはないぞ?」
「あー、判ってるって」
 覇王丸は上目遣いに弥九郎を見据えたまま尋ねた。
「……で、下手人は?」
「判りません。ただ、おそらくは侍ではないかと……あれはどう見ても刀傷でしたし」
「しかし、芝居小屋で人殺しねえ……」
「いや、小屋で起こったことではないのだ」
「何?」
「ことが起こったのは、私どもが真壁さまのお屋敷に招かれ、そこで芝居を披露していた折のことでして……」
「真壁さま?」
勘定奉行の真壁将監だ。芝居好きで知られておる」
勘定奉行の屋敷だったら、刀持った武士なんざ掃いて捨てるほど出入りしてるじゃねぇか。下手人はそいつらのうちの誰かだな」
「それがだ、覇王丸
 狂死郎はずいと身を乗り出し、低い声でいった。
「――真壁将監はな、ろくに調べもせずに下手人は鳴神一座の中の何者かに違いないと断じおった。それかあらぬかこの弥九郎に、ことが明らかになるまで江戸でのいっさいの興行は許さぬ、家で謹慎しておれなどといってきおった」
「は? いやいやいや、そりゃおかしいだろ」
 人が殺されたとなれば、それを取り調べるのは南北いずれかの町奉行である。百歩ゆずって、惨劇の場となった屋敷の主人として口を出すというのならまだ判らなくもないが、鳴神屋の興行取り消しうんぬんにまで首を突っ込むのはさすがにお門違いというものだろう。興行のあれこれを取り仕切るのは勘定奉行ではなく、これもまた町奉行だからである。
覇王丸どののおっしゃる通り、本来なら、真壁さまからそのようなお指図を受けるいわれはないのですが――」
「実は、真壁将監がそのような横車を押し通してくるのには、弥九郎のほうにも心当たりがあってな」
「ほう?」
「芝居好きとは申しますが、この真壁さまは……いささか、贔屓がすぎるところがございまして――」
「は?
「弥九郎、覇王丸にはもっとはっきりいってやったほうがよい。細かいことは気にせぬ奴じゃからな」
「あのなあ……」
「ありていに申せばな」
 不満げな声をあげた覇王丸を制し、狂死郎が続けた。
「――真壁にはすでに贔屓にしておる役者がおるのじゃ。黒川雉之助といって、儂にいわせれば、役者というより幇間のほうが似合いの手合いがな」
「この雉之助というのが、また私とは非常に仲が悪く……」
「ちょっと待て、それもまた妙な話じゃねぇか?」
 覇王丸は眉をひそめて箸を置いた。
「――その真壁ってのには贔屓の役者がいるんだろ? どうせ呼ぶならそっちにしときゃいいのに、わざわざ自分のご贔屓と仲の悪いおまえさんを呼んだってのか?」
「はい。……そして、その日のうちに私の一座の者が殺されたのです」
「どうじゃ、覇王丸? 匂わぬか?」
 徳利を覇王丸のほうへ差し出し、狂死郎がいった。
「弥九郎も儂も、これは最初から鳴神一座をおとしいれるための罠だったのではないかと思ってな」
「確かに怪しいな……だが、そもそも何だっておまえさん、その真壁って野郎の招きにほいほい応じちまったんだ? 何か理由をつけて断りゃよかっただろ?」
「それが、これもはめられたとしか申せませんが……池田筑後守さまを饗応するための席とのことでしたので、これはさすがに断れぬと考えた次第です」
 その弥九郎の言葉をおぎなうように、狂死郎が横からつけ足した。
「池田筑後守というのは、あらたに南町の奉行職に就くことになったおかたでな。その祝いの席に顔を出せといわれたら、儂らにはなかなか断れぬわ」
「ですが、実際に真壁将監の屋敷におもむいてみれば、池田さまは所用あっておいでになれぬと申すのです」
「ますます怪しいな……池田筑後を饗応するってのは真っ赤な嘘で、はなっからおまえさんを呼びつけて難癖をつけるのが狙いだったんじゃねえか?」
「おそらくそうでしょう」
 膝の上に置かれた弥九郎の白い拳が、怒りのためか、小さくわなないている。
 狂死郎は弥九郎の肩を叩き、
「……こう見えて、弥九郎は意外に気性の激しい男でな。相手が勘定奉行であろうが将軍家であろうが、泣き寝入りだけはしたくないと申すのじゃ」
「へえ」
「とはいえ、弥九郎には、奉行所よりあらためて謹慎せよとのお沙汰が下されてしもうた。こうなると一介の役者にできることなどたかが知れておる。そこで、どうにかならぬものかと儂のところへ来た次第でな」
「で、おまえさんたちが額を突き合わせてるところに、折よく俺が遊びにきたってわけか」
「いかにも」
 狂死郎はにやりと笑ってうなずいた。
「――どうじゃ、覇王丸? 性悪な勘定奉行と役者崩れ懲らしてうまい酒が飲みたいとは思わぬか?」

      ◆◇◆◇◆

 次期将軍と目されていた頃ほどではないにせよ、今の徳川慶寅には自由というものがない。まだ幼い将軍――義弟でもある家斉の治世をささえるため、自身は表舞台に出ることなく、幕政の隅々にまで目を行き届かせなければならないからである。
 その慶寅が、ろくに供回りの者も連れずにふらりと出かけたのは、慶寅の剣の師でもある柳生十兵衛が、長崎から戻ってきた次の日のことであった。
「……いい小春日和だぜ」
 船縁から竿を伸ばし、呑気にあくびをしながら、慶寅は呟いた。
 三十間堀川に小舟を浮かべ、川面に釣り糸を垂れているその姿は、暇をもてあました旗本の次男坊のように見えたかもしれない。つきしたがうのは十兵衛ただひとりで、ほかの供回りの者は岸辺に取り残されておろおろしている。
「あれじゃ河岸ではたらく連中の邪魔になるぜ。だからついてこなくていいといったのによ……」
「仕方ありますまい。それがあの者たちのお役目でございますれば」
「そりゃそうだ。……にしても、おまえがうらやましいよ、十兵衛」
「なぜでございます?」
「そのお役目ってやつで、大手を振って平戸に行ってこられたんだろ?」
 それを命じたのはほかならぬ慶寅である。いまさら何をいうのかと、十兵衛は胸のうちで小さく笑った。
 要するにこの若者は、自由のない我が身が口惜しく、そのことで十兵衛をうらやんでいるのである。下々の者であれば、生きていくのに何不自由ない立場の将軍の兄をこそうらやむはずだが、ほかの人間とまったく違う生き方をしている徳川慶寅にとって、今何よりも欲しいのはその自由というものなのだろう。
「……何がおかしいんだ、十兵衛?」
「いえ」
 十兵衛は懐から一通の書状を取り出すと、それを慶寅に差し出した。
「半蔵に託した書状にて、ことのあらましはお判りいただけていると存じますが」
「あれじゃ大雑把にしか判らねえって」
 竿をかたわらに置き、慶寅はしばしその書状に見入った。
長崎奉行所に阿蘭陀商館、御用商人、か……こりゃあかなりの数の人間がかかわってるな」
「そのすべてを処罰するとなると、慶寅さまが考えておられる以上の難事になるのではないかと……」
「そうだな。ここんところ飢饉だ何だで俺たちもその対応に追われてる。そこへ来て、この件にかかわった連中を上から下までみんな処罰しちまったら、幕政に大きなほころびが生じることも考えられる――」
 書状をたたんでしまい込み、慶寅は溜息をついた。
「……といって、このまま見逃すわけにもいかねえよな。庶民はいうまでもなく、大半の役人は真面目にやってんだ。狡賢い奴だけがおいしい思いをして何のおとがめもなしってぇのは道理に合わねえ」
「では……?」
「いい方は悪いが、見せしめは必要だろうな」
 餌をつけ替え、慶寅はふたたび竿を振るった。水面にあらたな波紋が広がり、そしてすぐに流れて消えていく。
「それで我が身を律して足を洗うのなら、ま、一度だけなら見逃してやらなくもない。……ただ、それでもまだ続けるってふてぶてしい奴なら、身分の上下は関係ねえ、片っ端からふん縛ってくしかねえよ」
「それではそのように。……伊賀者をお借りしてもかまいませぬか?」
「そいつはいいが……半蔵たちの出番があるってのかい?」
「裏で風間一族が動いておるやもしれませんので……」
「今度は忍者相手かよ。……おまえがうらやましいぜ」
 風にそよぐ前髪を軽くかき上げ、慶寅は繰り返した。
 もしおのれの立場というものを考えなくてよいといわれれば、おそらく慶寅は、一も二もなくみずから刀を取って出張っていただろう。
 将軍として立つことを固辞し、さりとて剣士として生きることもできなくなったこの若者は――その気性を思えば――実は、とても不幸な人間なのかもしれない。
                              ――つづく――