とびだせどうぶつの森 QRコード置き場

ここにはおもに『とびだせどうぶつの森』、『GirlsMode4』でネオジオキャラになりきるためのマイデザイン用QRコードやコーディネイト案、それにSNK関連の二次創作テキストなどを置いています。髪型や髪色、瞳の色については『とびだせどうぶつの森』の攻略Wikiを参照してください。

『デモリッション・カーニバル』 Act02

 

 階段状に並んだ客席は、メインのレースを前にしてすでに満員に近かった。今はぬかるんだフィールドをサーキット代わりにしたモトクロスレースがおこなわれているが、観客たちのお目当てはこのあとのデモリッション・ダービーだろう。

 「確かにコロシアムだな、こいつは……」
 まるで闘牛場のように、周囲を頑丈な壁で囲まれた直径一〇〇メートルほどのフィールドを見下ろし、ソワレは眉をひそめた。
「けっこう広そうに見えるけど、ここを改造車が一〇台以上も走り回るってことを考えたら、実はさほどでもないよな」
「実際には、ここにセメントを詰め込んだドラム缶が何本も置かれるしな。足場も悪いし、そうそう自由に逃げ回れるわけじゃない」
「やっぱあのオンボロフォードで出場すんのは自殺行為だぜ。ここじゃまともに走らせることだってまず無理だろ」
 ノエルとギャラガーのやり取りを聞いていたソワレは、唇を噛んで立ち上がると、周囲の観客たちを押しのけるようにして歩き出した。
「お、おい、ソワレ! どこ行くんだよ!?」
「ここで観戦するんじゃないのか!?」
「もう一度説得してくるんだよ!」
 すでにローリーはきょうのダービーにエントリーをすませてしまっている。いまさら出走を取りやめても、エントリー料は返ってこないだろう。だが、むざむざマシンを壊され、ローリー自身も怪我をするリスクまで負う必要はない。
 すでにモトクロスのレースも終わり、サーキットの模様替えが始まっていた。それがすめばダービーがスタートしてしまう。焦燥感を胸にかかえたまま、ソワレは出番を待つ改造車の群れの中に割り込んでいった。
「それにしても……みんなピッカピカだな」
 ふつう、デモリッションダービーといえば、出走するのは廃車寸前のマシンに申し訳程度に手を加えたものと相場が決まっている。しかし、サウスタウンという街の気風がそうさせるのか、ここのダービーに出てくるマシンは、いずれも勝つために念入りに改造されているようだった。
 中でもひときわ目を惹いたのは、黒光りするボディに真っ赤なロゴの入った巨大な四駆だった。
 ソワレはノエルの肩に手を回し、いきどおりを交えてささやいた。
「おいおい、いいのかよ、あれ!? ありゃあ軍隊とかで使うようなクルマじゃねえのか!?」
「あー……ハマーか」
「確かに軍用車ならエントリーできないが、あれは一般販売してるハマーだからな。ルール上は問題ない」
「マジかよ……」
「いくら頑丈だからって、ふつうならこんなダービーにハマーで出ようとは思わないけどな。あのグレードのハマーだったら、コンディション次第じゃ中古でも一〇万ドルはするぜ?」
「はぁ? 賞金よりお高いマシンで出場なんてどこの金持ちだよ」
「っつーか、あれがダニーのマシンなんだって」
「何?」
「あのハマーはヤツのショップの広告塔みたいなもんさ。趣味と実益を兼ねてるんだ、一〇万だろうと二〇万だろうと出すだろうよ」
 友人たちの言葉に拳を握り締め、ソワレはくだんのハマーから降りてきた革ジャン姿の男を見据えた。
「……あれがダニエル・リチャードソンだ」
 まるでエルビスのように黒髪をワックスで撫でつけ、目もとにはレイバンのサングラス、口もとにはキザな髭――貿易会社のオーナーというより、モーターサイクルギャングのリーダーといったほうがしっくりきそうなダニー・リチャードソンは、すでに勝った気でいるのか、スタッフらしい作業服の男たちと談笑しながら、クーラーボックスから取り出したコロナビールをあおっている。
「ダニーが勝ち続けてるのは、半分はあの金に飽かせて仕立てたハマーのおかげだが、もう半分はあいつのテクが一流だからだ。どう考えてもローリーさんに勝ち目はないぜ」
「……だから止めようっていってんだよ!」
 ソワレはダニーから視線を逸らし、自分たちが組み上げたフォードトラックのもとへ急いだ。
「――かなり車高落としたつもりだったけど、こうしてくらべると、やっぱウチのマシンは背が高すぎるぜ。横からドカンとやられたらあっさり転がされちまう」
 車高の低いほかのクルマとくらべると、確かにローリーのフォードはその車高の高さで目立っていた。きょうのようなダービーだけにかぎらず、レースでは車高の高さが有利にはたらくことはありえない。
「ローリーさん! カルロス!」
 フォードのボンネットを開けてエンジンのチェックをしていたカルロスが、ソワレの声に顔を上げた。
「――やっぱり考え直したほうがいいぜ。どう見たってあんなごついクルマを潰すとか無理だろ?」
「何も潰す必要はない」
 ダニーのハマーを指差すソワレの手を押さえ、ローリーは首を振った。老いて縮んだ身体にレース用のつなぎを着込んだその姿さえ、今はどこか痛々しく見える。
「フィールドにはたくさんの凹凸があるからな。そこをうまく利用して、あのハマーを引っくり返しちまえばいいんだ。ルール上はそれでもう走行不能とみなされるからな」
「いや、口でいうのは簡単だけどよ……」
「とにかく、もうここまで来たんだ。あとはワシの好きにやらせてくれんか? ワシがこの賭けに勝てば、よくてあと一年ほどだが、エイミーとおだやかに暮らしていける」
「いいたかないけどよ、負ける可能性だってあるだろ? それどころかじいさんが大怪我するって――」
「お、おい、ソワレ――!」
「いいんだよ。そういう覚悟もできてる。もしそうなった時は――そうだな。その時は、病院の先生にわがままをいって、エイミーと同じ病室に入院させてもらうか」
 本気なのか冗談なのか、どちらともつかない言葉を残して、老人はヘルメットをかぶった。
「行くぞ、ソワレ」
 ギャラガーがソワレの腕を掴んで歩き出した。出走三分前のアナウンスが流れ始め、おのおののクルマに張りついていたスタッフたちが散っていく。ここまで来たらもうローリーを翻意させることはできない。
「納得はいかないだろうが、これがローリーさんの選んだ道なんだ。俺たちにはどうすることもできない」
「あとはじいさんのもくろみ通りにことが運ぶのを期待するしかねェよ」
「…………」
 ノエルとギャラガーに引きずられるようにして、ソワレは何度も後ろを振り返りながら、観客席のほうへ引き返していった。

      ◆◇◆◇◆

 店の開店準備をしながら、シャーリィはアルバにいった。
「そんなに気になるなら会場まで応援に行けばよかったのに」
「別に気になるということはないが」
 そういいながら、アルバはグラスを磨くかたわら、デモリッション・ダービーの中継に注視していた。
 一六台でスタートしたはずのダービーは、開始五分ですでに二台が走行不能におちいっていた。さいわい、そのどちらもローリーのフォードではない。
「ねえ、あの子たちが肩入れしてるおじいさんのクルマってどれ?」
 テーブルを拭く手を止め、シャーリィが尋ねる。
「ノーマークのマシンだからそうそうカメラには映らないよ。……ただ、本命は明らかにこのハマーだな」
 三トン近い漆黒のハマーを見つめ、アルバは目を細めた。
 ほとんどカメラに映らないせいではっきりとは判らないが、激しいぶつかり合いを繰り返すクルマの群れの中に、ローリーのフォードはない。おそらくローリーの狙いは、可能なかぎりほかのクルマとの接触を避けて生き残り、漁夫の利を得ることだろう。あのフォードでどうにか勝とうと思えばそれくらいしか手はない。
 だが、派手な激突を期待して集まってきた観客にとって、そうした消極的な――ある意味では卑怯な戦い方は、決して歓迎されるものではない。そしてそれ以上に、そうしたやり口は、ほかのドライバーたちの怒りを買う行為でもある。
「そういうものなの?」
「ああ。ふつうのお祭りムードのダービーならそういう戦い方も認められるだろうが、ここのダービーには高額の賞金が懸かっている。観客以上にドライバーのほうが殺気立ってもおかしくない」
 画面の隅にフォードがちらりと映ったのを見て、アルバは顔をしかめた。
「……まずいな」
「どうしたの?」
「ローリーの消極的なスタイルが気づかれたようだ」
 老人のフォードは、フィールド中央での激しいぶつかり合いを避けるように、壁沿いを時計回りに周回していた。一番目立つ黒のハマーだけに目を奪われている観客たちには気づかれないかもしれないが、ほんの数十秒でも注目して見守っていれば、このフォードが一度として自分から仕掛けていないことはすぐに判る。
「ダニーを潰せばそれだけで三万ドルだからな。当然、周囲のドライバーたちの意識はダニーに集中する。……だが、動けるマシンの数が減ってフィールドがある程度落ち着いてくれば、ただ逃げ回っているだけのローリーの動きはすぐにばれるだろう。うっかりすると集中攻撃を受けるぞ」
「それってヤバいんじゃないの?」
「確かに状況としてはよろしくはない。が……最初からこういう作戦でいくと考えていたんだろう。なかなかうまく立ち回っている」
 ローリーは助手席側のドアを壁にこすりつけるようにして外周を走っている。ローリーを潰そうと、後ろからいきおいよく突っ込んでくるマシンもあったが、カルロスたちが頑丈さを第一に考えて改造しただけあって、さしたるダメージにはなっていない。
「可能なかぎり今のような位置をキープしていれば、正面からぶつかってくる相手だけに気をつければいい」
「横から追突されたら終わりじゃないの?」
「激しい激突が前提のこのダービーでは、運転席への故意のアタックは禁止されている。違反すればかなりの罰金を取られるんだよ。ローリーのフォードは右ハンドル車だから、右腹を見せて走っているかぎり、横から突っ込まれる可能性は低い」
 後部の荷台周辺に対してなら、右側から突っ込むこともできるはずだが、一歩間違えばルール違反とジャッジされて罰金を支払うはめになる。金が目当てで参戦しているドライバーたちにとって、それはかなりのリスクになるはずだった。
「……ただ、賞金が目的でない相手には、この手は通用しない」
「そんな人いるの? 優勝賞金て五万ドル以上なんでしょ? 特別賞で三万だっけ? 賞金が欲しくなかったらこんな危険な競技に出るはずないじゃない。――ねー、アン? 八万ドルあったら何買う?」
「え~? ……貯金?」
 カウンターの端の指定席で本を読んでいたアンは、顔も上げずに答えた。
「――ママは全部お酒飲むのに使っちゃいそうだから、わたしはちゃんと貯金する」
「あら!? ちょっと、どうしてそんな可愛くないこというの? もしかして現実主義者のアルバに何か吹き込まれた?」
「人を悪魔みたいにいうのはよしてくれ。……堅実でいいじゃないか」
 いったん口もとを苦笑にゆるめたアルバは、しかし、すぐに表情を引き締めてテレビに視線を戻した。
 現時点で生き残っているマシンは七台にまで減っていた。増設したバンパーがはずれたりゆがんだり、かなりのダメージを受けてはいるものの、ローリーのフォードはまだ走行に支障はないらしい。もともと信頼性の高いトラックに、身を守ることだけを考えて改造しただけあって、このくらいで走れなくなるということはないのだろう。
 だが、優勝を目指すにしろ、特別賞を狙うにしろ、逃げて守るだけでは埒が明かない。かならずどこかでほかのマシンを走行不能にしなければならない局面がくる。
 おそらくローリーは、ライバルたちの攻撃を粘り強くしのぎながら、千載一遇のチャンスがめぐってくるのをじっと待っているのに違いない。おそらくノエルのように血気に逸る若いドライバーでは、こうも耐え続けられなかっただろう。
「これも年の功というものか――」
 思わず微笑みかけたその時、アルバの表情が凍りついた。
 フォードの横腹に黒塗りのハマーが突っ込んだ瞬間を、だみ声の解説者がとびきり大きな声で告げていた。

      ◆◇◆◇◆

 老人が救急車に運び込まれるのを遠巻きに眺めていたソワレは、会場のあちらこちらに設置されたモニターが、ダービーのハイライトシーンを繰り返し流していることに気づいて奥歯を噛み締めた。
「ふ、ふざけんなよ……っ! ありゃあルール違反じゃねえのか!?」
 壁際を走っていたローリーのフォードに、ダニーのハマーがまともに激突した。運転席側のドアパネルが大きくへこみ、そのボディが壁とハマーの間で悲鳴をあげる。ダニーが運転席を狙って突っ込んでいったのは明らかだった。
「確かにルール違反だが、それで失格になるわけじゃない」
 ギャラガーが沈痛な面持ちで呟くと、優勝したダニーのインタビュー映像がモニターに映った。
『うっかりしてたよ。悪いことをしたな』
 コロナビールの瓶を片手に、ダニーが無数のマイクを前に薄笑いを浮かべている。
『――だが、こんなカオスな状況じゃ仕方ないとは思わないか? それに、ウチの店にもフォードはたくさん並んでるが、みんな左ハンドルだ。まさか右ハンドル車が混じってるなんて思ってなかったしさ』
 狙って運転席側にぶつけたわけではないとうそぶくダニーは、カメラの前で小切手帳を取り出し、ペンを走らせた。
『しかしまあ、ルール違反はルール違反だからな。罰金はちゃんと払うよ。ただ、わざとやったわけじゃないってことは判ってもらいたいね。……罰金一万ドルに、ウチのショップからの見舞金もつけるよ。誰かそのじいさんに渡してやってくれ』
 その場で小切手を切るパフォーマンスを見せると、ダニーはカメラに向かってウインクを飛ばして去っていく。老人をひとり病院送りにしたことに対しては、梅雨ほどの罪悪感もいだいていないようだった。
「あの野郎……っ! 絶対にわざとだろ!」
 拳を握り締めるソワレの肩を押さえ、ギャラガーがいった。
「だとしても、罰金を払えば許されるのがこのダービーなんだ。……考えてみれば、ダニーにとっては一万ドルなんてはした金だし、逃げに徹してたローリーさんを潰すために、こういう手に出ることも予想してしかるべきだった」
「冷静にいってんじゃねえよ! どうすんだよ、これ!?」
「落ち着けよ、ソワレ。いまさらここで騒いだって仕方ないだろう? とにかく病院へ急ごう」
「……あ、ああ、すまねえ」
 ギャラガーになだめられ、ソワレは静かに怒気を吐き出した。確かに今は、ローリーの容体のほうを気に懸けるべきだろう。
「ソワレ! ギャラガー!」
 ちょうど駐車場から出てきたワーゲンバスのドアが開き、ノエルが顔を覗かせた。
「――早く乗れ!」
「救急車を追えるか!?」
「このへんで急患がかつぎ込まれる病院は決まってる。そう慌てなさんな」
「慌てるなっていわれてもよ……!」
「いいから落ち着け」
 ハンドルを握るカルロスは、友人が病院送りになったというのに、さほど慌ててはいないようだった。やはり〈サンズ・オブ・フェイト〉の重鎮――荒っぽい日々から遠ざかっていても、さすがに胆が据わっている。
 ソワレはワーゲンバスの後部座席に背中を預け、頭をかかえた。
「最悪だぜ……賞金はゼロ、エントリー料を取られてクルマ壊されて、おまけにじいさんは病院送りでマジでこれで終わりなのかよ――」
「気休めにしかならねーけどよ……一応、ダニーが払う罰金はローリーさんの懐に入るはずだぜ?」
「そんなもん、焼け石に水だろ? あんなふうに横っ腹に激突されたんだぜ? 一万ドルなんて治療費でなくなっちまうだろうが!」
「ローリーもそれは覚悟の上だ。……あいつは賭けに負けちまった、ただそれだけだよ」
「ダニーの野郎はこのままおとがめナシってことかよ?」
「死人が出ればさすがに警察の捜査が入るだろうが、実際のところ、病院送りになるヤツはそう珍しいわけじゃないからな。そもそもあんな危険な競技だ、参加者はみんな、ケガをしても自己責任だって誓約書にサインしてる。いまさら文句はいえん」
「……!」
 そういうルールの競技に自分の意志で参加した以上は、それにしたがうべきだろう。しかし、ソワレとしては納得できない。故意の反則が罰金一万ドルの支払いで帳消しになるのだとしても、ダニーは明らかにローリーを病院送りにするためにハマーをぶつけていた。
「あの野郎……絶対にこのままにしちゃおかねえからな」
「軽はずみなことはするなよ、ソワレ」
 重苦しい溜息を吐き出し、カルロスがいった。
「――ダニーがいまだに“ファミリー”とかかわりを持っているかもしれない以上、おまえが迂闊に動けばフェイトにまで迷惑がかかる可能性がある。何より、ローリーだって復讐なんか望んでおらんだろう」
「…………」
 ソワレは何もいわず、窓の外に視線を移した。
 日没間近い空は茜色に黒のペンキを垂らしたかのような陰鬱な色に染まり、すれ違うクルマのヘッドライトが排気ガスにぼんやりとにじんでいる。ソワレは長い脚を組み替え、テンガロンハットを顔に乗せて静かに目をつぶった。

      ◆◇◆◇◆

 イーストアイランドにあるサウンドビーチが水着の男女であふれかえるには、まだひと月ほど時期が早い。人影もまばらな砂浜にテーブルを並べ、ビールとホットドッグを売っている屋台の親父も、きょうは暇そうにあくびをしていた。
「チリドッグとペリエを頼む」
 労働意欲の薄そうな親父から、数枚のドル札と引き換えにホットドッグを買い求めたフェイトは、パラソルの下で新聞を読んでいるセスのもとへ歩み寄った。
「――どうやらきのうも派手にやってくれたらしいな」
 新聞を広げたまま、セスは溜息混じりにいった。
「最近は、あの男がダービーに出るたびに、アクシデントで死んでくれないものかと祈っているんだがね。さすがにそううまくはいかないものだ」
「だろうな」
 セスの向かいの席に腰を降ろしたフェイトは、でき立てのホットドックにかぶりついた。
 セスはそのさまを見て目を丸くし、
「……意外に」
「何だ?」
「いや。意外に子供っぽいなと思っただけだ。――サウスタウンの“キング”と呼ばれる男にしては」
「俺は昔からこんなもんさ」
 次のひと口でホットドッグをたいらげ、フェイトは口もとをぬぐった。
「――別に“キング”になりたくてなったわけじゃない。街をまとめるのにそういう称号が必要だとチャンスがいうから、あいつがいうままにここまで来ただけだ。できることなら毎日チビどもの相手をして、呑気に笑って暮らしていたいんだが、立場上、そういうわけにもいかなくなった」
「サウスタウン最強の男は、チャンスが作り上げた偶像ってわけか。……それで、きょうはどうしたんだい? 決心がついたのか?」
「まあ、いろいろ考えたんだが」
 ペリエを軽くあおり、フェイトはうなずいた。
「やはり表立ってダニーをどうこうするのに手を貸すわけにはいかない」
「きのうのダービーでダニーに病院送りにされた老人は、おまえさんの古馴染みだそうじゃないか」
「よく調べたな」
「知り合いが重傷を負わされても、答えは変わらないのか?」
「〈サンズ・オブ・フェイト〉としてはな」
「おまえさん個人としては?」
「もちろんダニーを病院送りにしてやりたい気持ちはある」
 フェイトは今の心境を隠すことなく正直に吐露した。しかし、だからといって、今のフェイトがダニーを襲撃して叩きのめすわけにはいかない。今のフェイトは、個人としての復讐などという言い訳を使える立場ではないのである。
「……だいたい、俺がほいほいと闇討ちできるほど、ダニーは不用心な男じゃないんだろう? もし俺ひとりで闇討ちできるような相手なら、とうの昔にあんたがやってるはずだ。アーリントンのお友達を呼ぶまでもない」
「州政府や麻薬取締局は無関係だっていったはずだぜ?」
「だが、俺がいってることは間違いないだろう? あんたが実行していないということは、少数でダニーを襲撃し、ひそかに身柄を確保することが困難だからだ」
「ああ、その通り。この前も説明したよな?」
 地元警察や議会に話を通さずにセスが動かせる人員にはかぎりがあるのだろう。もしその動きを事前に察知されてしまえば、ダニーは金でつながった政治家や警察上層部の人間を通じ、セスの作戦に横槍を入れてくるはずだった。
「……俺なりに、つてを使ってダニーのことを調べてみた」
「ほう?」
「派手好きな男のように見えて、実はかなりの慎重派で抜け目がない。人の恨みを買っている自覚があるせいか、オフィスには社員という名目の用心棒を常駐させ、自宅との行き来にも帯同している。もちろん自宅にも複数のボディガードがいて、四六時中目を光らせてるらしいな?」
「ああ。その自宅にも、外部の人間が入り込むチャンスはほとんどない。定期的にパーティーを開いて夜通し騒ぐこともあるが、招かれるのは古くからの知人とコンパニオンの女たちだけで、一見の人間が参加するのは不可能だ」
 かたくなに肯定せずにいるが、セスのクライアントはどこかの政府機関と見て間違いない。フェイトが調べたくらいのことなら、いまさら聞かされるまでもなく百も承知だろう。
「……型は古くていい。頑丈なクルマを一台用意できるか?」
「クルマ?」
「結局、ダニー・リチャードソンが一番無防備になるのは、あいつの好きなダービーの最中ってことじゃないのか?」
 空になったペリエの口を指ではじき、フェイトは目を細めた。

      ◆◇◆◇◆

 いざバイトが休みになってみると、アルバは意外に暇をもてあますことに気づいた。自分では意識していなかったが、ふだんかなり過密なスケジュールですごしているらしい。
 ただ、そういう空いた時間で馴染みの人々の手伝いをするのも悪くはない。きょうのアルバは、入院中のローリーを見舞うためにカルロスが出かけている間、『ファットマン・モータース』の留守を任されている。ここに置かせてもらっているマスタングをいじるにはちょうどいい機会だった。
 この古いマスタングは燃費も悪く、維持していくのに手間も金もかかる。学生の身分では不相応な持ち物といえるだろう。
 しかし、それでもアルバはこのクルマを手放そうとは思わなかった。チャンスからゆずられたからということもあるが、アルバ自身、この古いクルマをとても気に入っていたからである。
 足回りのメンテナンスをすませたアルバが、傷ひとつない真紅のボディを磨いていると、不機嫌そうな排気音を引き連れたポンティアックがやってくるのが見えた。
「……エンジンの調子が悪いようだな」
 作業の手を止め、アルバは来客を出迎えた。
「ちょっとこいつを見てもらいたいんだが、いいかな?」
 ポンティアックから降りてきたのは、この手のマッスルカーにはいささか不釣り合いな、上等だが没個性なスーツ姿の中年男だった。
「あいにくとオーナーは留守なんだが……」
「それでもクルマのことは詳しいんだろ?」
「それなりには」
「実は、私は金融業をやってるんだがね」
 ポンティアックのルーフに肘をかけ、男はいった。
「――少し前、友人に金を貸したんだが、その返済がとどこおっていたんだ。昔からの知り合いだからと借用書を用意しなかった私も悪かったんだが、まあ、とにかく金がないから返せないと開き直られてね。で、話し合いの末にこいつをもらうことにした」
「あなたのクルマじゃないということか?」
「いや、八〇〇〇ドルの借金と相殺した。書類もきちんと揃ってる」
「要は八〇〇〇ドルでこいつを買った、と」
「そういうことになるね」
「私なら五〇〇〇でもためらうところだが」
「何?」
 男は眉をひそめ、アルバの顔とポンティアックとを見くらべた。
「――こういう古いスポーツカーは人気があるんだろう? なのに五〇〇〇ドルの価値もないのか?」
「古いといっても、このクルマは九〇年代のトランザムだ。残念だが、マニアが欲しがるのはもっと古いクルマでね」
 アルバは自分のマスタングの隣に置かれていたノエルのポンティアックを指差した。
「――同じポンティアックでも、あの六九年式のGTOなら状態次第でかなりの値がつくと思う。それに、詳しく見てみないと断言はできないが、たぶんあなたのクルマはエンジンに何か大きなトラブルをかかえているはずだ。ボディには錆も浮いているし……」
「そういうのをひっくるめて、たとえば綺麗にレストアすればどうかな? それなりに高値で売れるんじゃないか?」
「どうかな……この年式のトランザムなら、レストアするまでもなく、程度のいい中古車がまだ市場にたくさんあるかもしれない」
 このポンティアックを高値で売りたいなら、錆を落としてボディを再塗装し、エンジンを完全に分解してからリビルドするくらいのことをしなければならないだろう。ボディを塗り直すだけでも数千ドルからの費用がかかるのは間違いない。
「たとえば塗装も込みで修理費に一万ドルかかるとして――あなたが買い取った額の八〇〇〇ドルにそれを上乗せした価格でこのクルマが売れるかといわれたら、私は売れないと思う」
「修理に金をかけるだけ無駄ということかい?」
「あくまで私の考えだよ」
 もっとも傷が浅いのは、これをこのままどこかのディーラーに転売することだろう。五〇〇〇ドルでも売れないだろうが、修理するよりはましなはずだった。
「――ただ、しょせん私はここのバイトだ。正確な見積もりはカルロスにやってもらうしかない」
「太っちょのオーナーだろう? いつ戻る?」
「夜までには帰ると思うが」
「なら、こいつはここに置いていくよ」
 男は懐から名刺を取り出し、クルマのキーといっしょにアルバに渡した。
「――オーナーの見積もり次第でレストアしてもらうかどうか決める。詳しい数字が判ったら遅くてもいいからすぐに連絡をくれないか?」
「判った」
「それと、もし誰かポンティアックが欲しいという人間がいたら、このまま売るのでもかまわない。四〇〇〇――いや、三五〇〇ドルまでは値引きすると伝えてくれ」
「ああ」
 いったいどこから来たのか知らないが、男はブリーフケースだけを持ってジャンクヤードを去っていった。
「……しかし、本当にこれに八〇〇〇ドルも払ったのか? もったいないというか何というか――」
「――おーい、兄貴!」
 アルバがトランザムのボンネットを開けてエンジンルームを覗き込んでいると、カルロスのワーゲンバスに乗ってソワレたちが帰ってきた。
「おかえり。……ローリーさんの容体は?」
「精密検査の結果、脳には異状ないそうだ」
 愛車から降りてきたカルロスは、溜息混じりにかぶりを振った。
「……といっても、右腕と右太腿、それに肋骨が何本か折れてるからな。間違いなく重傷だ。老人にはきつかろう」
「奥さんと同じところに入院できたのがせめてもの救いだけどよ」
「ところでアルバ、そのポンティアックは?」
「ああ、ついさっき、レストアの見積もりをしてくれといって――名刺ももらっている」
 カルロスにキーと名刺を渡し、アルバは先刻の男とのやり取りを説明した。
「……確かにこいつのエンジンは、一度完全にバラして組み直したほうがよさそうだな」
「ボディのほうもいったん塗装剥がさねェと駄目だぜ、これ。あちこち錆びてるし。ブラストかけて錆落として、ボディワークすませてから再塗装コースだな。手間かかるよ」
「そこまでやったとして、どれくらいで売れると思う?」
「ふむ……さほど珍しい車種でもなし、最近の流行から考えると、せいぜい一五〇〇〇ドルってとこか」
「客はこれを八〇〇〇ドルで手に入れたといっていたが」
「ああ、なら、自分でキープするならともかく、転売のためにレストアするのはお勧めできんな。持ち出しのほうが多い」
「その可能性については私も説明したんだ。その場合、このまま転売してもいいといっていた。最低価格は三五〇〇ドルだそうだ」
「三五〇〇か……それでも買う人間がいるかな?」
「三五〇〇? 三五〇〇ドルでいいのか!?」
 アルバとカルロスの会話に大きな声で割り込んできたのは、ワーゲンバスのボディに寄りかかって何か考え込んでいたソワレだった。
「マジか、兄貴? このクルマ、三五〇〇ドルで売ってもらえるのか?」
「クルマの持ち主はそういっていたが――どうした、ソワレ? 買い手に心当たりでもあるのか?」
「いや、オレが買う!」
「何?」
「はァ!?」
 驚くアルバを押しのけ、ノエルがソワレに問いただした。
「――こいつを買うっていったって、そもそもおまえ、免許持ってねェじゃねえか! 買っても意味ねえだろ!」
「あのなあ、兄貴がやめとけっていうから取ってないだけで、取ろうと思えばいつでも取れるんだよ、天才のソワレさまならな!」
「ソワレ……おまえに免許が取れるかどうかはともかく、なぜ急にそんなことをいい出した?」
「いや、ちょっとな……」
 ソワレは鼻の頭をかき、くすんだシルバーのポンティアックフェンダーに手をかけた。
「オレ、思ったんだけどよ……ローリーのじいさんの仇を討ってやるには、あの胸糞悪い野郎と同じリングに立たなきゃならねえらしいからさ」
「は!? まさかおまえ、ダービーに出るつもりかよ!?」
「確かに免許がなくてもダービーには出られるはずだが……」
 自分では自信があるようなことをいっているが、ソワレにあのダービーで生き残れるほどの運転技術があるとは思えない。まして、このポンティアックをどう改造したとしても、ダニーのハマーは潰せないだろう。
 しかし、アルバがその懸念を口にするより先に、ソワレはにやっと意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「そりゃあオレだって、あのバカみたいに金かけたマシンに勝てるとはおもってねぇさ。けど、それでもやりようはあるだろ? 別に優勝を目指そうってわけでもないしな、こっちは」
「……何か考えがあるんだな?」
「ああ」
「カルロス」
 アルバは眼鏡を押し上げ、カルロスにいった。
「……このポンティアック、私が買おう」
「おまえが?」
「ああ。どのみちソワレには三五〇〇ドルも貯金はない」
「ちょっ……おいおい、兄貴」
「あるのか?」
「あ、いや、ないけど――」
「それに、ダービー用に改造する資金もないだろう? その費用も私が出してやる。本当にダニーを潰せるというのなら、特別賞の三万で返してくれればいい」
「ホントか!? 恩に着るぜ、兄貴!」
「おい、いいのかよ、アルバ?」
 ノエルは眉をひそめ、アルバに耳打ちした。
「……ソワレのためにそんな金出したって、全部ドブに捨てるようなもんだぜ? 何より、ダービーに出てダニーとやり合わせるなんて無茶だって! おまえだって中継観てたんだろ?」
「ああ」
 確かにソワレには言葉の軽いところがある。幼い頃からできもしないことをできるといって恥をかくことはたびたびあったし、今でもやや自信過剰気味な一面は残っている。
 だが、ダニーに対してソワレがかかえているいきどおり、義憤はまぎれもなく本物だった。今のソワレが、何の根拠もなしにダービーでダニーを倒せるというはずがない。そこにはかならずソワレなりの勝算があるはずだった。
 カルロスはドラムのような腹を撫でながら、
「……正直、俺としてはソワレの大口は信用しがたいんだが、ほかならぬアルバがそういうのなら、ここはおまえを信じることにしよう」
「アルバもカルロスも考えが甘いよ……俺はどうなっても知らねェぞ? ダービーはストリートファイトとは違うんだからな、おい!」
「それは承知している。だが、今回はソワレのわがままにつき合ってやってほしい」
「……!」
 額に手を当てて溜息をついたノエルは、やがて弱々しく首を振り、
「だったら、オレもソワレじゃなくおまえを信じて手を貸すよ。……確かに、オレだってダニーの野郎には仕返ししてやりてェからな」
「そうと決まれば早いところこいつをカスタムしようぜ!」
「ったく……それはオレたちに任せて、おまえはまずクルマの運転を覚えろ。いっとくが、こいつはAT車じゃねェんだからな?」
「は? ATって何だ?」
「そこからか……」
 アルバはノエルと顔を見合わせ、苦りきった笑みを浮かべた。

      ◆◇◆◇◆

「――ソワレが次のダービーに出る? 本当か、それは?」
 アルバやソワレたちが帰ったあと、もうカルロスもベッドに入ろうかという夜更けにやってきたフェイトは、改造途中のトランザムを見て眉をひそめた。
「ああ。俺も止めたんだが……ソワレはとにかくやるといって聞かないし、アルバにも手伝ってやってくれと頭を下げられてなあ。先にあんたに話しておくべきだったかもしれんが」
「いや、あいつらだってもうガキじゃない。いちいち俺がああしろこうしろといわなくたって、自分で考えて行動できる歳だ。――しかし、そうか。ソワレがなあ」
「ダニーのやりようを目の前で見せつけられたからな。あと一〇歳若けりゃ、俺も同じことを考えてたかもしれん。……おまえだってそうじゃないのか、フェイト?」
「というか……今夜ここへ来たのは、実はその話だったんだよ」
「何?」
 フェイトは少しばつの悪そうな表情で頭をかき、オフィスの窓からトランザムを指差した。
「――あんたにだけは打ち明けるが、あのトランザムは、本当は俺が買うはずだったんだ」
「どういうことだ?」
「セス……知ってるよな?」
「ああ、確か――チャンスから聞いた覚えがある。おもに政府の依頼で動くエージェントだって話だが」
「つい先日、そのセスから、ダニーを押さえるのに手を貸してくれと話があったんだよ」
「……受けたのか?」
「ああ。結果的にローリーの件がきっかけにはなったが、どのみちダニーを放っておくわけにはいかなかっただろうしな」
 そのためにフェイトがセスに要求したのが、あのポンティアック・ファイアーバード・トランザムだった。
「……おそらくソワレも、俺と似たようなことを考えてるんだろう」
「どうするんだ、フェイト?」
「すまないが、あいつらのいう通りマシンを仕上げてやってくれ。本当なら俺たちの計画にソワレを巻き込みたくないんだが――案外、かえってソワレに任せたほうがいいかもしれない」
 ダニーはデモリッション・ダービーに絶対の自信を持っているはずだが、そこにフェイトが出場するとなれば、それなりに警戒はするだろう。それよりはむしろ、完全な素人のソワレが出たほうが、ダニーが油断する可能性は高い。
 もう一度トランザムを見やり、フェイトは呟いた。
「あとは――そうだな、ソワレにひと言アドバイスしておけばいいか」

      ◆◇◆◇◆

 単純な反射神経でいうなら、ソワレは出場しているドライバーの誰にも負けはしないだろう。ただ、それが運転技術に直結しないのだということは、すでにソワレ自身が痛いほど思い知らされている。
 大雑把にいってしまえば、ソワレは本能で動くタイプの人間である。咄嗟の判断、行動が求められる時、頭で考えるより先に身体のほうが勝手に動いてくれる。ファイターとしてのソワレの強さはそこにあるといっていい。
 が、それはあくまで直接身体を動かす格闘技においてのことであって、それが何かを操作するということとなると、話は大きく変わってくる。
「もうちょい真面目ににいちゃんの話聞いとくんだったぜ――!」
 三つあるペダルのどれがどれかを忘れかけていたソワレは、ヘルメットの下で舌打ちした。もしクラッチ操作をミスしてエンストでも起こせば、たちまちほかのマシンの餌食になるか、さもなければ走行不能と判断されて即座に敗退してしまう。そういう意味での緊張感は、ソワレに馴染みのあるストリートファイトでのそれを上回っていた。
「くそっ……せめてもう少し時間がありゃあ――」
 完全なゼロからスタートして、ソワレは三日ほどでクルマの運転をマスターした。といっても、それは行動を安全に走るにはほど遠いレベルで、せいぜいエンジンのかけ方と切り方、ハンドルやクラッチの操作といったごくごく基本的なものでしかない。運転がうまいか下手かということでいうなら――最初に手ほどきをしてやったアルバいわく――それを論ずることさえ早すぎる。
 あらゆるものにリズムを見出し、身体で覚えていくタイプのソワレなら、このダートコースをあと四、五日も走り回れば、ここでの最適な走り方を身につけることも可能だったかもしれない。しかし、さすがに今回は時間がなさすぎた。きょうを逃せば、次のダービーはさらに半月後――そしてそこにダニエル・リチャードソンが出場するという保証はない。
 ヘルメットのバイザーにこびりついた泥をぬぐい、ソワレはダニーのハマーを捜した。
 エントリーした一四台のマシンのうち、走行不能になっているのはまだ五台ほどだった。ソワレは前回のローリーと同じように、外周をゆっくりと移動しながら、全体の動向を窺っている。とにかく前に出たいソワレにとっては苛立ちがつのる時間帯だった。
「ソワレーっ!」
 観客席の最前列で叫ぶノエルの姿がソワレの視界の隅をよぎっていく。だが、それに応えている余裕はない。
「!」
 後ろのほうから尻を突き上げられるような衝撃が来た。ミラーの中に、趣味の悪い紫のクルマが見える。いつまでもここで様子を窺っているトランザムに気づいたほかのドライバーが、ソワレを次の獲物に選んだのだろう。
「のやろっ……!」
 ソワレは罵倒の言葉を奥歯で噛み殺し、シフトレバーの代わりに発煙筒を握り締めた。

      ◆◇◆◇◆

 観客席の最上段に陣取り、フェイトと並んでソワレのダービーを見守っていたアルバは、トランザムの車内からもれ出てきた白煙に気づいて思わず腰を浮かせた。
「――ソワレ!?」
「心配しなくてもいい。……あれは発煙筒の煙だ」
「発煙筒?」
 呑気にホットドッグを頬張っている兄貴分を見下ろし、アルバは腰を降ろした。
「……どういうことだ、フェイト?」
「いや、ソワレがダービーに出るっていうから、ひとつ簡単なアドバイスをさ、しておいたんだよ」
「アドバイス?」
「この手のダービーでクルマが走行不能になるとしたら、原因は何だ?」
「それは……」
 激しい激突を何度も繰り返すのであれば、駆動系のトラブルがもっとも多いだろう。ドライブシャフトが破損したり、ガソリンタンクに穴が開いてガス欠になる可能性もある。場合によってはマシンが横転するということもなくはない。
 だが、フェイトはアルバのその答えを聞いて、マスタードのついた指をなめながらかぶりを振った。
「確かにおまえのいう通りだが、ことダニーのハマーにかぎっては、どれもまず期待できないな」
 ダニーのハマーは、もともと頑丈なマシンに金に糸目をつけずに改造を加えている。軍用車並みの耐久性を持つ上に、三トンの車重ではそう簡単にひっくり返ることもない。あのハマーを走行不能に追い込むには、それこそ戦車か装甲車でもぶつけるしかないだろう。
「だが、ソワレは私に秘策があるといっていたんだ」
「ああ、俺も聞いたよ。……というより、もし俺がこのダービーに出るなら、ソワレと同じ手を使うだろう」
「本当にそんな起死回生の手があるのか?」
「おまえにだって少し考えれば判ると思うがな。……ソワレが真っ先にそのことに気づいたのは、ま、あいつがおまえと違って横着者だからなんだろうさ」
 空になったコーラの瓶を足元に置き、フェイトはそっとアルバにささやいた。
「ハマーを走らせるのに必要なパーツの中で一番壊れやすいのは、ドライブシャフトでもギアボックスでもなく、ハンドルを握ってる人でなしだよ」
 そういって笑ったフェイトは、携帯電話を取り出し、誰かに向けて簡単にメールを送信した。

      ◆◇◆◇◆

 トランザムの車内で焚かれた発煙筒の煙が、コロシアム全体を白く包み込んでいく。ソワレは激しくむせながらも、細めた目でダニーのハマーを見据え、ハンドルを大きく切ってアクセルを踏み込んだ。
「派手なペイントのおかげで、この煙の中でもよく見えるぜ――!」
 挙動のおかしくなったトランザムをどうにか御して、ソワレはダニーのハマーに真正面から突っ込んでいった。
「――!」
 フロントウインドウがないおかげで、ハマーのハンドルを握っていたダニーがよく見える。無論、ヘルメットをかぶっているから細かい表情までは判らないが、その目もとを見れば、ダニーが笑っていたのは明らかだった。おそらくダニーは、ソワレのトランザムが相手なら、まともにぶつかってもさして問題ないと判断しているのだろう。
 そしておそらくそれは間違いない。スタート前にノエルがしつこく繰り返していたが、ソワレのトランザムとダニーのハマーとでは、車重が倍ほども違う。ふつうに激突すれば、吹っ飛ぶにしろ潰れるにしろ、負けるのはトランザムのほうだった。
 だが、ソワレは左右によけもしなければ減速もせず、アクセルペダルを踏み込む力をゆるめることなく、左手でシートベルトをはずした。
「じいさんの仇だ! 思い知りやがれっ!」
 真正面からハマーに激突する寸前、ソワレはシートを蹴ってトランザムから飛び出した。
「!?」
 両者の相対速度をそっくりそのまま乗せて、ソワレはハマーのハンドルを握るダニーの胸へと飛び蹴りをお見舞いした。
「がっ――」
 ダニーのヘルメットのバイザーが内側から赤く染まる。ハンドルを握っていた男の手がずるりとすべり落ちた。
「ざまァ――っとぉ!?」
 トランザムとハマーが衝突し、今度は逆にハマーの車内から放り出されたソワレは、それでもどうにかトランザムのルーフにしがみついた。
「どっ、あ、ああっ、あぶねっ!」
 エンジンルームが大きくひしゃげたトランザムを押し戻し、なお一〇メートルほども進んだところで、ダニーのハマーはようやく停まった。
「…………」
 ソワレはヘルメットを脱ぎ、マスク代わりに口もとにタオルを巻いた。
 少し前に発煙筒は燃え尽き、風に押し流されて白い煙も徐々に薄れ始めている。完全に視界がクリアになった時、ほかのドライバーや観客たちが目にするのは、相討ちになるような形で動きを停めたトランザムとハマーの姿だろう。
「……こいつまでじいさんたちと枕並べて入院したら笑えるけどな」
 ヘルメットを片手に、トランザムのルーフに腰を降ろしたソワレは、白煙のあわいに覗く青空を見上げて嘆息した。

      ◆◇◆◇◆

 大方の予想を裏切り、今回のダービーはダニエル・リチャードソンの優勝で幕を降ろすことはなかった。まったくノーマークの選手が優勝し、八万ドル近い賞金を手に入れ、そして彼に賭けたごく一部の物好きもまた大金を手にしたことだろう。
 しかし、それ以上に観客たちが注目したのは、あのダニーが敗れ、なおかつ救急車で病院にかつぎ込まれるはめになったという事実だった。
 いまだにうっすらと白煙の残るフィールドに乗り入れてきた救急車に、ハマーから引っ張り出されたダニーが、ストレッチャーに固定された状態で運び込まれていくのを、観客たちが固唾を呑んで見守っている。
「ぐっ、ぶっ……あぐぁ、あっ、あの、ガキ……が」
 ヘルメットを脱がされたダニーは、自慢の髭を血に染め、何度も咳き込みながら怨嗟の呻きをもらしている。おそらく胸骨が砕け、その破片が内臓を傷つけているのだろう。ただ、意識ははっきりしている。命に別状はなさそうだった。
 救急救命士バックドアを閉め、運転席に座る同僚に救急車を出すように指示した。
「く、くそ、何だ、あ、あの、がっ――い、いきなり、俺を……ルール違反だろうが……」
「ルール違反? 相手のドライバーが?」
「ふ、ふざけやがって――」
「ああ、動かないほうがいい。頸椎も捻挫してるからな」
 コルセットで首から上を固定されているダニーの口もとをタオルでぬぐってやった救命士は、鎮痛剤を用意しながら低い声でいった。
「……しかしまあ、考えようによっては、あんたもついにつけを支払う時が来たってことじゃないか?」
「な、何……?」
 天井を見つめていたダニーの目が、ぎょろりと救命士に向けられた。そこには明らかな戸惑いと、ほんの少しの恐怖の色がある。
「ルール違反はおたがいさまだが――少なくとも俺たちは、あんたほど悪辣じゃあない。最低限の治療はしてやるんだからな」
「き、貴様――!?」
「おいおい、だから暴れるなって。折れた骨が肺に大穴でも開けたら命にかかわるからな」
 ヘルメットを脱いだ救命士は、愕然とした表情のダニーの耳もとでささやいた。
「……なあ、あんたのバックには誰がいる? “ファミリー”とは別の、もっとデカい組織がついてるんじゃないのか?」
「そ、それは――何者、だ、おま、おまえ、は……!?」
「いろいろ調べてみたんだが……“ファミリー”との関係を断った今のあんたひとりで、これほどの仕事ができるとは思えないんでね。この国だけじゃない、もっと世界的な、隠然とした力を持つ組織が、あんたに手を貸してるんじゃないかい? たとえば――〈アデス〉、とか?」
「――――」
「……ま、今はいいさ。おいおい話してもらうよ。それまでしばらく眠っててもらおうか」
 かっと大きく目を見開いたダニーに鎮痛剤を打つと、救命士はモヒカン頭を撫でつけた。
「あ、ぐ――」
 見開かれていたダニーの双眸がふっと力を失って閉ざされた。これで少なくともあと三時間は目を醒ますまい。次にダニーが意識を取り戻すのは、特別病棟の特別室、拘束用のベルトがついた特別製のベッドの上ということになるだろう。
「それにしても……本当に中古のトランザム一台でこの男を確保できちまうとはねえ」
 モヒカンの救命士――セスは、簡易シートに座って壁に背を預け、溜息混じりに笑った。
「チャンスが消えてどうなることかと思ったが……〈サンズ・オブ・フェイト〉、将来有望な連中がいるようじゃないか」

      ◆◇◆◇◆

 病院のそばの花屋でちょっとした花束を買い、ソワレたちはローリーの病室に向かった。いつもソワレたちがケンカのたびに世話になる、ミス・カラスの診察所と違って、さすがにこの病院には、消毒薬の匂いが染みついた静謐な空気が満ちていて、騒々しさが服を着て歩いているようなソワレやノエルも、おのずと声のトーンを落としてしまう。
「……それにしても、見ていてホントひやひやしたぜ」
 首の後ろを撫でながら、ノエルはほっと溜息をついた。
「そうかぁ? 自分じゃあの短期間でかなり上達したと思ってんだけどな」
「何をいってるんだ? おまえの運転技術の話じゃない」
 ギャラガーは溜息混じりにソワレの頭を小突いた。
「――あの日、もう少し風が強くて煙が流れるのが早かったら、おまえがダニーに飛び蹴りをお見舞いするところがばっちり撮られてたかもしれないんだぞ?」
「もしそうなってたら特別賞どころのハナシじゃなかったよなあ」
「いいじゃねぇか、結果オーライで」
 白煙にまぎれてソワレがダニーを闇討ちした件については、今のところ発覚していない。ほかに目撃者がいない以上、その事実を知るのは、ソワレたちを除けば当事者のダニーだけだろう。
「けど不思議だよな。いくら証拠がねェっていったって、ダニーが何もいってこねえってのは」
「だってあの野郎、まだ入院してんだろ?」
「らしいけどな。どこの病院で治療してるんだか、さっぱり情報が出てこないからな」
 ダービーで負傷したダニーがしばらく治療に専念するという話は、彼の会社の広報を通してその日のうちにマスコミに通達されたが、どこの病院に入院しているのか、どの程度の怪我なのかといった情報は明かされなかった。
 もちろんマスコミ各社はそのあたりの詳細を知りたがったが、その直後、まるで辣腕の社長の不在を急襲するかのように、ダニーの会社に税務調査が入り、それどころではなくなったのである。
「いい気味じゃねェか。何があったのか知らねぇけど、病院から刑務所へ直行でいいだろ、あんな悪党」
「それについては同感だが――何にせよ、すぐに小切手換金しておいてよかったな。一日遅れたら不渡りになるところだったぞ」
 対外的に、ダニーはソワレのトランザムと激突した際、ハンドル部分に胸を強打して胸骨を骨折し、負傷したと発表されている。実態はともかく、それにのっとるのであれば、ダニーのハマーを止めたのはソワレということになる。そのため、ソワレは特別賞として三万ドルの小切手を受け取っていたのである。
 そこからトランザムの代金やカスタム費用――要するにアルバから借りていた金を返し、「カサブランカ」のつけを清算した残りを、ソワレは見舞いとしてローリーに渡すつもりだった。
「――だが、正直、焼け石に水かもしれないな。ローリーさんの治療費にはともかく、奥さんのほうは……」
「っていたって、オレにできるのはこれくらいだしよ」
「お? おい見ろよ、あそこにいるの、アルバじゃねぇ?」
 三階まで吹き抜けになっている広いロビーまでやってきたソワレたちは、ノエルに手を引かれて足を止めた。
「に……あ、兄貴! 何してんだ、こんなとこで?」
「おまえたちか」
 カウンターで何か書類を書いていたアルバは、ソワレたちに気づくと、眼鏡を軽く押し上げて薄く笑った。
「――ローリーさんの見舞いか?」
「え? ああ、うん。兄貴もか?」
「いや、私はカルロスに頼まれて、ローリーさんの代わりに手続きをしていただけだ」
「手続きって?」
「病室を移ることになったんだよ」
「え!? やっぱ金が尽きたのか!?」
「そうじゃない」
 ペンを置いたアルバがテラス状の二階フロアを見上げる。何とはなしにその視線を追いかけたソワレは、ローリーとエイミーが看護師に車椅子を押されてどこかへ向かうのを見た。
「――どうにか金が工面できたから、ローリーさんの希望に沿った治療が受けられることになったんだ」
「工面できたって……え? どこにそんな金があったんだよ?」
「私の主義には反するが、おまえが出場したあの時のダービーで稼いだんだよ」
「はァ!?」
 ソワレが知るかぎり、アルバはギャンブルともっとも縁遠い人間のはずだった。そのアルバが、まとまった金を作るためとはいえ、賭け事をするとは驚きだった。
「私の貯金すべてと、それにフェイトとカルロスからも少しずつ金を借りて出た大勝負だったからな。おまえがダニーを潰したいきおいのまま優勝したらどうしようかと、あの時は本気で焦ったよ」
「何だよ、兄貴……そこは負けを覚悟でオレに賭けるべきところだろ?」
「いっ、いくら張ったんだ、アルバ!? いくらもうけた!?」
 ソワレを押しのけ、ノエルがアルバにしがみつくようにして問いただす。すでにここが病院だということも忘れているようだった。
「いっておくが、浮いたぶんはすべてカルロスに渡したよ。ローリーさんたちの後見人を任されたそうだ」
「べっ、別にオレは、分け前をくれっていってんじゃねぇぜ? ただよ、おまえがいくらもうけたのか――」
「うるさいぞ、ノエル」
 アルバからノエルを引き剥がし、ギャラガーは別棟に向かう老夫婦を見送った。
「――要するに、これで俺たち、もう後味の悪い思いをしなくてすむってことだろ?」
「ああ」
「結局それが一番だよな」
 あの老夫婦に残された時間があと一年だろうと半年であろうと、その最期の瞬間まで笑っていられるのであれば、ソワレたちがしたことにも、多少なりとも意味はある。
 気が抜けたように小さく笑っていたソワレは、ふと、手にしていた花束のことを思い出し、
「……今オレたちが顔出しちゃ、かえって迷惑かな?」
「だろうな。病室を移ったばかりだし、こまごましたことはカルロスがやっておくといっていた。私は手続きをすませて店に戻るところだったんだが、おまえたちはどうする?」
「店? 昼間から飲むのか?」
「シャーリィのところじゃない、カルロスの店だ。夕方には戻るといっていたから、それまで店番を頼むといわれている」
「ちょうどいいじゃないか。ソワレ、それにノエルもいっしょに行こうぜ」
「は? 何でだよ?」
「ガレージに置きっぱなしになってるおまえの“愛車”、あれをどうにかしないとカルロスが仕事にならないだろう?」
 ソワレが特別賞を手に入れるために活躍してくれたトランザムは、ハマーと激突した衝撃でエンジンが壊れ、ボディ全体が大きくゆがんでしまった。ダービーが終わったあと、トレーラーに積んでカルロスのガレージまで運んできたが、素人同然のソワレから見ても、あれが綺麗に修理できるとは思えない。
「……ああいうの、どうすりゃいいんだ?」
「もともと不要なパーツははずしてあったしな……まあ、あれはもう鉄屑としてカルロスに買ってもらうしかねえんじゃねェの?」
「そっかー……やっぱ修理は無理か」
「どうした? 多少なりと愛着が湧いたのか?」
「何だったら、小金のある今のうちに免許取ったらどうだよ?」
「いやー、やっぱオレはノエルとか兄貴のクルマに乗せてもらうのが向いてるわ。兄貴のいう通りだ。オレの場合、運転に慣れる前に誰か轢き殺しそうだもん」
 ソワレは無遠慮にノエルの頭の上に手を置き、ぽんぽんと叩いた。
「――んじゃまノエルくん、帰りも運転を頼むよ」
「うるせえ! ぜってーおめェは乗せてってやらねえ! 乗りたきゃアルバに頼むんだな!」
 ノエルはソワレの手を払いのけると、唇をとがらせ、ひとりだけ先に足早に去っていってしまった。
「おい、ノエル!」
「俺たちも帰ろう」
 マスタングのキーを指先に引っかけ、アルバは歩き出した。
「――そういやこの花どうすっかな。カルロスの店に飾るのもなあ」
「だったらアンにプレゼントしてやってくれ。――何しろ大穴を当てたのはアンだからな」
「え?」
「ダニーとおまえ以外の誰に賭けたらいいか迷ったから、何も知らないアンに選んでもらった」
「ぜ、全財産賭けるのに、アンの気まぐれに任せたってのか……?」
「どうせ私にはギャンブルのことは判らない。アンがいなければダイスを振って決めていたさ」
「……オレにゃ兄貴の考えが理解できねえよ」
 アルバの肩を軽く拳で小突き、ソワレは苦笑した。

                                 ――END