とびだせどうぶつの森 QRコード置き場

ここにはおもに『とびだせどうぶつの森』、『GirlsMode4』でネオジオキャラになりきるためのマイデザイン用QRコードやコーディネイト案、それにSNK関連の二次創作テキストなどを置いています。髪型や髪色、瞳の色については『とびだせどうぶつの森』の攻略Wikiを参照してください。

『カレーから四時間、薄曇り』

 けさは少し雨が降っていた。その名残か、空には鈍色の雲が未練がましく居座り続け、肌寒さに身震いを覚えるほどだった。
「うう……セーター着てくればよかった」
 キングやエリザベスといっしょに買い出しに出てきたサリーは、今にも降り出しそうな空を見上げて唇をとがらせた。時刻はまだ正午を少しすぎたばかりだが、おそらくきょうはもう太陽が顔を出すことはないだろう。
「店に入っちまえばどうってことないよ」
 年代物のトランスポルターを降りたキングは、サリーたちをうながして駐車場を歩き出した。

 「ついてませんね……せっかくのオーナーの誕生日だっていうのに」
「別にかまやしないさ。何かするわけでなし……第一、誕生日だからってはしゃぐなんて、わたしのガラじゃないしね」
 きょうは四月八日――『イリュージョン』のマスターであるキングの誕生日である。店のスタッフであるサリーとエリザベスは、常連客たちも招いたパーティーをやろうと何度も提案してきたが、キングは頑として首を縦に振らなかった。サプライズで何かやるのも厳禁と、逆にくどいほど釘を刺されてしまっている。
 サリーが思うに、たぶんキングは、そういうことを照れ臭いと考えてしまう女性なのだろう。
 世界的な格闘大会の舞台で大男たちを相手に華麗な戦いぶりを見せる一方で、実生活では思いのほか堅実で慎ましやかなのは、もしかすると、ここへいたるまでのキングの人生と何か関係があるのかもしれない。しかし、あいにくとサリーもエリザベスも、彼女の過去についてはほとんど何も知らなかった。
「……今夜はホットカクテルのオーダーが多くなるかもしれないね」
 オレンジやライム、あるいはミントやタイムといったカクテルの材料を、キングはひとつずつていねいに吟味し、カートに入れていく。完全に自分の誕生日のことなどどうでもいいといった様子に、サリーとエリザベスは無言で顔を見合わせ、静かに溜息をもらした。
「あ、あの……オーナー?」
 エリザベスにそっと脇腹を小突かれたサリーは、小さく咳払いしてキングに切り出した。
「わたし、ちょっとあっちの売り場に行ってきます。チーズとか――あとほら、生クリームとか。その、ホットカクテルに必要でしょ?」
「ああ……そうだね。ストックがもうなかったはずだし」
「そ、それじゃそっちはわたしに任せてください!」
 そっとエリザベスに目配せし、サリーは足早にその場を離れた。
「――あー! ホントに見てらんない!」
 人気のない階段の踊り場までやってきたサリーは、眉をひそめて携帯電話のボタンをプッシュした。
「――――」
 三〇秒近く呼び出し音が続き、それからようやく、波の音をバックにひどく眠たげな声が電話口に出た。
『……ハロー?』
「ハローじゃないですよ! 今いったいどこにいるんですか!?」
『……誰だ、あんた?』
「もしかして寝ぼけてるんですか!? ゆうべも電話しましたよね!? サリーです、サリー!」
『……ああ、あんたか』
 あくびを噛み殺し、電話回線の向こうの男は空気が抜けるような苦笑をもらした。のんびりとしたところがあるとは思っていたが、ここまで来ると本気でイライラしてくる。
「オーナーが悟りを開いちゃう気持ちが判るわ……」
『何だ? 何かいったか?』
「何でもありません! それよりリョウさん、今どこなんです? ちゃんときょう中にお店に来られるんですよね!?」
『どこにいるって……船の上だよ』
「は!?」
 思わずあげてしまった自分の大きな声に驚き、サリーは慌てて声のボリュームを落とした。
「いや、その――船の上ってもしかして、フェリーで来てるんですか?」
『ああ、たまには船旅もいいかなって』
 あっけらかんと答えるリョウの声に、サリーは一気に怒気がしぼむのを感じた。
 リョウ・サカザキ――この空手家にはおよそ悪意や邪気といったものはない。いってしまえば、単に気が利かない、気が回らない男なのである。男性として魅力がないわけではないのは判るが、ときどきサリーは、こんな天然の朴念仁と長い間つかず離れずでやってこられているキングを、恐ろしく忍耐強い女性だと思ってしまう。
「と、とにかく」
 サリーは呼吸をととのえ、うわずる声を抑えた。
「もうフェリーに乗ってるんですよね?」
『ああ。あいにくの空模様だが、波はそう高くない』
 カレーからの船旅なら、ドーバーの港まで二時間もかからない。そこからさらにロンドンまで陸路で約二時間――夜までには余裕を持って店に到着するだろう。
「……一応聞きますけど、店までの道順は判ってますよね?」
『俺だってキングの店には何度もお邪魔してるんだぜ? 場所くらいちゃんと覚えてるよ。――それにしても、何だって急にロンドンに来いなんていい出したんだ? それもキングには知らせるなって――』
 もともとリョウは、ひさしぶりの武者修行とやらでオランダに滞在していた。それを小耳にはさんだサリーが、キングの誕生日に合わせてロンドンまで来てくれとこっそり頼み込んだのである。
 もっとも、今のセリフを聞くかぎり、リョウはきょうがキングの誕生日だということにまるで気づいていない。気づいていれば、なぜこの日にロンドンに呼びつけられたか判るだろう。
「……ホント、こんな空手バカのどこがいいんだろう……?」
『すまん、波の音でよく聞こえないんだ、もっとはっきりいってくれ』
「別に何でもないです。とにかく、ロンドンに着いたら寄り道しないでまっすぐにお店に来てくださいね? で、店に入る前にわたしに連絡ください!」
『どういうことかよく判らないが……ま、あんたらにはユリが何かと世話になってるしな』
「お願いしますよ、ホントに!」
 リョウに最低限の段取りだけを説明し、サリーは乳製品売場へ急いだ。
 リョウをロンドンに呼んでキングの誕生日を祝福させるのは、叱られるのを承知でサリーとエリザベスが仕組んだサプライズだった。リョウが店の扉を開けて花束とともに現れるまで、何があってもキングにばれてはならない。
「ああいう不器用なふたりには、周りが気を遣ってあげなきゃダメなんだって、うん」
 軽く自分の頬をはたき、サリーは気合を入れ直した。

      ◆◇◆◇◆

 それに最初に気づいたのは、くたびれたレンジローバーの助手席に座っていたスタンレーだった。
「――おい、サリーじゃねえか、あれ?」
 信号待ちの間に、壊れかけのカーステレオを叩いて直そうとしていたブロディは、その言葉に顔を上げた。
「ほら、そこのスーパーのエントランスのところ」
「……ああ」
 ブロディは目を細め、顎を撫でた。
「どうする? いっそさらってっちまうか?」
「おまえ……あんな防犯カメラの多いところで何いってんだよ。それに駐車場を見ろよ」
「あん?」
「キングの店のバンが停まってる。おおかた買い出しにでも出てきたんだろ。……見つかったら血ダルマだぞ、俺たち?」
「う……」
 太い眉をひそめ、スタンレーは言葉に窮した。
 ブロディとスタンレーは、この界隈を縄張りにしているストリートギャングのメンバーである。半年ほど前までキングの店に通っていたが、ほどなく出入り禁止になった。サリーやエリザベスにちょっかいを出そうとしてキングの逆鱗に触れたのが原因だったが、自分たちが悪いとは思っていない。むしろ、サービスの足りない店側が悪いと思っている。
 その後ブロディたちが街で見かけたサリーに迫ったところ、いっしょにいた東洋人らしい空手家にあっさり叩きのめされ、仲間内でひどい恥をかくはめになった。きょうのように冷え込む日は、あの時殴られた顎がしくしくと痛み出す。あれ以来、噛み合わせも悪くなった。
 それもこれも、もとを正せばあの女たちのせいだった。
「久しぶりに思い出しちまったぜ……」
 顎を撫でながら低い声でひとりごち、ブロディは荒々しくローバーをスタートさせた。
 バックミラー越しに、サリーが慌てた様子で店内に戻っていくのが見えた。おそらくキングと合流するのだろう。
 安いタバコに火をつけ、スタンレーはブロディに聞いた。
「で、どうすんのよ?」
「どこだかの田舎から来たっていう新顔がいたよな? あいつを使おう」
 ブロディの胸中では、キングたちに対する復讐心がどす黒い渦を巻いていた。

      ◆◇◆◇◆

 リョウも携帯電話は持っているが、それを使って現在地点を調べるようなことはしない。というより、思いつきもしない。
 実家の道場を離れて武者修行の旅をする時は、たいていはこれといった計画は立てずに、漠然とした目的地だけを定めて列車に飛び乗るか、もしくは愛用のバイクにまたがる。あとのことはその時次第、たとえどこかで日が暮れ、移動の手段がなくなったとしても、それも修行のうちと考えられる、平然と野宿するという選択ができるのが、リョウ・サカザキという男であった。
 元来がそういう男であったから、たとえ列車やバスが定刻通りに運行しなくても、リョウは特に腹は立てたりしない。少し遅れそうだとメールで知らせたところ、店の営業時間中であるにもかかわらず、サリーから長文の文句が即座に返ってきたが、そんなことで腹を立てるサリーの考え方も、リョウにはよく理解できなかった。
「文句なら俺じゃなくロンドンの交通局にいってくれ。……だいたい、遅れたといったってせいぜい二、三時間てとこだろうに」
 数か月ぶりのロンドンをぶらぶらと見て回っていたことは棚に上げ、リョウは首をすくめた。日が暮れるとともに気温はさらに下がり、吐く息は白かった。
「……?」
 記憶を頼りに最寄りの駅からキングの店へと急いでいたリョウは、ニットキャップを目深にかぶった小柄な人影の妙な動きに気づいた。
 冷え込みのせいで人出が少ないために、その少年がやたら目についたが、どうやら本人は、自分が目立っているという自覚はないらしい。ただ、ひどく緊張しているということだけは傍から見ていてよく判った。まだ一〇代のなかばといった年頃だが、着ているものは粗末で薄汚れ、あまり食べていないのか、ずいぶんとやせ細っている。
「ここでも似たような連中はいるか。……いるよな、そりゃあ」
 目立たないように背中を丸めて身を縮こまらせ、あたりをきょろきょろと警戒しながら歩いていく少年たちを、リョウはサウスタウンでよく目にしてきた。たいていは、食い詰めた挙げ句にひもじさに負け、これからひったくりやかっぱらいをやらかそうという手合いである。よほどふてぶてしい人間でないかぎり、初めての犯罪には躊躇があるのが当然だった。
 だが、最初のうちこそ罪の意識と緊張感からおどおどしていても、一度うまくいってしまうと、次第に犯罪にも慣れ、やがては抜き差しならないところまでいってしまう。どこかで誰かが止めてやらなければ、誰かを殺す、あるいは殺されるということもありえなくはない。
「誰も相談できる相手がいなかったのか――」
 短い髪をかきむしり、リョウはやるせなさに舌打ちした。
 リョウの直感が間違っていなければ、目の前の少年も、これから何かしでかそうとしている。それをそのまま放っておくことができず、リョウはサリーとの約束を後回しにして、そっと少年を追いかけることにした。もし本当に少年が何かあやまちを犯すようなら、腕ずくでもそれを止めなければならない。
「……?」
 距離を置いて少年のあとをつけ始めたリョウは、ほどなくして、自分が見覚えのある路地を歩いていることに気づいた。
「ここは……キングの店の近くじゃないか」
 少年は窓からそっと店内の様子を窺っている。しかし、この手の店でアルコールを注文するには、少年は少しばかり若すぎた。おそらくキングなら門前払いにするだろう。
 やがて少年は、もう一度あたりを見回してから、こそこそと店の裏のほうへと回っていった。どうやら少年の目的地はほかならぬキングの店だったらしい。
「――――」
 リョウは目を細めて少年を追った。細い裏路地の奥、ゴミを入れておくポリバケツのそばに、少年が小さな背中を縮こまらせてしゃがみ込んでいるのが見える。いったい何をしているのか、その手もとに、断続的に赤い光がともっていた。
「おい」
 ほとんど足音を立てずに大股で少年の背後へと迫ったリョウは、頭上から声をかけるなり、少年の襟首を掴んだ。
「ひ!?」
 突然のことに驚き、反射的に振り返った少年の手には、安いライターと何かの液体が入った酒瓶があった。瓶の中身は半分ほど減っている。あたりにただよう臭いからすると、おそらくガソリンだろう。
「……ここが俺の知り合いの店じゃなかったとしても、さすがに見すごせないだろ」
 リョウは少年を力任せに立ち上がらせ、引っこ抜くようにして投げ飛ばした。
「……っ」
 背中から地面に叩きつけられた少年は、肺の中の空気を残らず吐き出し、悲鳴をあげることもできずにしばらく仰向けに倒れて呻いている。
 地面に転がったライターと瓶を拾い、リョウは少年を見下ろした。
「かっぱらいのほうがましとはいわないが……放火とはさすがにおだやかじゃないな。この店に何か怨みでもあるのか?」
 胸のあたりを押さえて咳き込みながら身を起こした少年は、怯えた様子で首を振った。
「ならどうしてこんな真似をする? だいたいおまえ、家族は?」
「家族は――」
 もはや逃げる気力もないのか、少年はその場にへたり込んだまま、リョウの問いに答えていった。
 どうやら少年は、コッツウォルズあたりのひなびた小さな村の出で、すでに両親はなく、祖父母といっしょに暮らしていたらしい。しかし、多くの若者がそうであるように、変化の乏しい田舎の閉塞感を嫌って、何の伝手もないままにロンドンへ来てしまったという。
「親戚も知り合いもいないのか?」
 いつしかリョウはその場にしゃがみ込み、少年と視線の高さを合わせて話し込んでいた。
「――じゃあ、仕事とか住む場所はどうしてる?」
「今は……は、橋の下とか、廃ビルとか」
「それは住んでるっていわないだろ。ただのホームレスだ」
 そんなところで寝起きしているのなら、仕事もなく、おそらく満足に食事もしていないのだろう。この薄汚れた風体とやつれた面差しにも納得がいく。
「しかし、それがどうしてこの店に放火する流れになるんだ? 空腹に耐えかねて残飯を漁りにきたとかならまだ判るんだが」
「それは……その、た、頼まれて――」
「頼まれた?」
 リョウの眉間にしわが寄る。その変化に少年が首をすくめた。
「誰にだ?」
「きっ、きのう、オレに寝る場所と食事をくれた人たちが、こっ、ここに火をつけてこいって……ちょっとしたイタズラだって――」
「あのなあ……店に火をつけてイタズラですむはずがないだろ? いったい何者なんだ、そいつらは?」
「お、オレもよく知らないけど、田舎から出てきたんならウチのグループに入れっていってくれて――それで、そのためにはまず“儀式”が必要になるからって、ライターとガソリンと、ここの住所渡されて……」
「おまえ……それはどう考えてもストリートギャングの入団式だろ」
「えっ!?」
 あまりにも世間知らずな少年に軽いめまいすら覚える。リョウはかぶりを振って少年にいった。
「もしおまえが本当にこの店に火をつけていたら、確かにおまえはそのグループの一員になれてただろう。……そして、もう二度と抜け出せない」
 犯罪に手を染めるサウスタウンのストリートギャングたちの多くは、新しく仲間に入りたい者にも犯罪を強要する。まさに“儀式”だった。強盗や放火、場合によっては殺人といった重大犯罪をさせることで、その人間が警察の潜入捜査官ではないという確証を得るためだが、それ以上に、将来の裏切りを未然に防ぐ手段という意味合いが強い。おそらくこの国でも、そこは似たようなものだろう。
「一度大きなあやまちを犯しちまうと、まっとうな暮らしに戻るのは難しいんだよ」
 将来、もし少年がグループを抜けたいといい出しても、おそらく仲間たちはそれを許さないだろう。少年が犯罪から足を洗ってまともな新生活を始めたとしても、放火の前科があると彼らに吹聴されれば、少年はあらたな居場所を失うことになる。
「そうやって連中は、おたがいの過去の汚点でおたがいを縛り合ってる。誰かがどん底から抜け出すことなんか許すわけがない。そういう世界に一度足を踏み入れたら、抜け出すのは簡単なことじゃないだろう」
「そ、そんな――」
 少年は青ざめた顔を押さえて絶句した。
 一五か一六、ハイスクールに通うような年齢でそんなことにも思いいたらないというのは、やはりこの少年は世間知らずすぎる。少年の祖父母は彼を過保護気味に育てすぎたのかもしれない。世間の薄汚れた側面をいっさい見せず、おだやかだが変化の少ない田舎で大事に育てていれば、こういう世間知らずな、それでいて大都会への渇望だけは人一倍強い人間に育つこともあるだろう。
 愕然としてぶるぶる震えている少年に、リョウはいった。
「おまえはまだ運がいい」
「……え?」
「だって、おまえはまだ実際に火をつけちゃいなかっただろ? なら、充分に引き返せるさ」
「で、でもオレ、住むところも、はたらき口もなくて――」
「そもそもおまえ、まだ学校で勉強してなきゃいけない年頃だろう? ひとり暮らしにはまだ早いし、だいたい、これまで育ててくれたじいさんたちに対してあまりに不義理すぎるとは思わないのか?」
「…………」
「ロンドンだろうがニューヨークだろうが、おまえがそういう大都会で暮らしてみたいって思うのは自由だ。……でもな、ふつうは、いい大学を出てロンドンでの就職先を捜すとか、ロンドンで暮らせるだけの貯金をして住む場所を確保するとか、そういう地味な努力が必要なんだよ。そのへんを省略して、無計画にいきなり田舎から出てきてどうにかなるほど世の中甘くないぞ?」
 ろくに学歴もない自分が少年に説教することの滑稽さを自覚しつつ、リョウはナップザックを開いた。サイフの中から数枚の紙幣を取り出し、ライターと並べるようにして少年の目の前に置く。
「……旅費は出してやるから、いったんじいさんたちのところへ帰れ。自分がやらかした軽率な行動を詫びてこい」
「で、でも、オレ――」
「その上で、それでもやっぱりロンドンで暮らしたいって思うなら、ちゃんと話し合うべきだ。たとえばおまえが猛勉強してロンドン大学に入りたいとかいったら、おまえのじいさんたちだって、きっと喜んで応援してくれるだろ。……それとも、ここで犯罪者に成り下がるか? 一生田舎にも帰れずじいさんたちにも顔向けできない、そんなことになってもこのままロンドンに残りたいか? あいつらの仲間になって、下っ端としてこき使われたいか?」
「――――」
「……おれはもうこれ以上は何もいわない。おまえが好きなほうを選べ」
 もし少年が帰りの旅費よりもライターを取るなら、リョウは即座に少年を殴り飛ばし、警察に突き出すつもりでいた。結局、最終的には少年の人生なのである。
 リョウにできるのは、少年が思いとどまる瞬間をあたえてやることだけで、 そしてその最後のチャンスはすでにあたえた。
 少年は、上目遣いにじっとリョウの顔を見つめたまま、震える指先を伸ばした。

      ◆◇◆◇◆

 キングの店は、24時間営業をしていない。日付が変わるタイミングで一日の営業も終わる。
「……ホント信じられない!」
 あらかた客のいなかった店内でテーブルを拭きながら、サリーは窓の外の闇を睨みつけた。
 結局、リョウからの連絡はいまだにない。予定より3時間遅れでもうじき店に着くというメールがあってから、さらに2時間以上が経過している。ここまでるると、もはやのんびりしているとかおおらかだとか、そういう言葉で片づけられるレベルを超えていた。
「……どうしたんだい、サリー?」
 グラスを磨いていたキングが、ぴりぴりしているサリーに気づいて首をかしげた。
「別に何でもないです」
「そうかい? ……何だかきょうは昼間から様子がおかしかった気がするけど――」
「いえ、ホント、何でもないですから――」
 サリーが強引に苛立ちを笑顔に切り替えた時、カウンターの端に置かれていた店の電話が鳴った。
「ハロー、『イリュージョン』――」
 キングが電話に出た次の瞬間、彼女の唇からこぼれてきた言葉に、サリーは思わず絶叫しそうになった。
「――おや、珍しいね。誰かと思えばリョウじゃないか。元気にやってるのかい?」
「はあぁ!?」
 作ったばかりのサリーの笑顔がこわばった。あれほど念入りに、店に来る前には自分に連絡しろといい含めておいたのに、リョウはそれを無視して仕事中のキングに直接電話をかけてきたのである。
「ちょっと、サリー! 落ち着いて」
「こっ、これが落ち着いていられるわけ!? あれだけ何度もサプライズですよって念を押したのに、あの空手バカは――」
「仕方ないでしょ、リョウさんてそういう人なんだよ、きっと」
 この期におよんでリョウをかばうエリザベスにすら腹が立ち、サリーはキングの手から受話器をひったくろうとカウンターへ向かったが、しかし、そこでふと気づいた。
「――は? ひさびさに電話してきて一発目が金を貸せだって? そもそもあんた、今どこにいるのさ? えっ? ロンドンに来てるのかい?」
 電話の向こうの好敵手と言葉を交わしながら、キングは何度も溜息をついたり肩をすくめたりしている。おそらくリョウの言動に飽きれているのだろう。
 だが、その一方で、キングがとても嬉しそうな、おだやかな笑顔を見せていることにサリーは気づいた。
「まったく……なけなしの旅費をホームレスの子にあっさりくれてやっちまうなんて、あんたは少し人がよすぎるよ。そういう詐欺だったらどうするのさ? ――いや、確かにそうだけど……さてはあんた、最初からわたしをあてにしてそんな気前のいい真似をしたんだね?」
 いったいリョウとどんな話をしているのか、カウンターに寄りかかって壁の時計を見上げているキングの横顔はいつになく楽しげだった。
「……仕方ないねえ。いいよ、待ってるから早く来な。残り物でよければ何か用意できるし」
 小さくうなずき、ようやくキングは受話器を置いた。
「……? どうしたんだい、サリー?」
「あ、いえ……い、今の電話、リョウさんからですか?」
「え? あ、うん。……あいつ、今ロンドンに来てるんだってさ」
 ほんの少しうろたえたように、キングはすぐにサリーに背を向けた。サリーも、今初めてリョウの話を耳にしたかのように、咄嗟にいいつくろった。
「そ、そうなんですか。……きっとほら、またいつもの武者修行とかじゃないんですか?」
「どうやらそうみたいなんだけど――それがさ、ロンドンまで来たところで、ホームレスの子にあらかた所持金をくれてやっちまったっていうんだよ」
「へえ」
「で、ホテルに泊まるどころか食事する金もなくなったからって、それでここへ電話してきたんだってさ」
「ホント考えなしなんですねえ」
「ま、リョウは空手のことしか考えてないからね。根はいいヤツだけどさ」
 キングは表のネオンサインのスイッチを切ると、冷蔵庫の中を覗き込んだ。
「――ろくなモンが残ってないけど……たいていのものは文句をいわずに食う人間だから、ま、いいか」
「リョウさんの食事ですか? わたし何か作りますよ」
 エリザベスがそう申し出ると、キングはかぶりを振り、
「いや、あるもので適当に作るからいいよ。――ふたりは閉店の準備をしてくれるかい?」
「はーい」
 きょうはもう客は来ないだろう。少し早めに店を閉めてもいいかもしれない。カウンターの内側で鼻歌混じりにナイフを使い始めたキングを見やり、サリーとエリザベスは肩をすくめた。

      ◆◇◆◇◆

「さて、と――」
 携帯電話をしまい込み、リョウはあらためてあたりを見回した。
 あの少年から彼をそそのかしたギャングたちの溜まり場を聞き出したリョウが、話をつけるために単身ここへ乗り込んできて、まだ三〇分とたっていない。
 古い倉庫を不法に占拠して作られた男たちの根城は、テーブルやソファ、それにコンポやテレビといった家電まで勝手に持ち込まれていて、それなりに居心地がよさそうな空間だったが、それもリョウとギャングたちの乱闘の舞台となり、もはや見る影もない。今はいたるところに家具の残骸が散乱し、青痣だらけの男たちが転がって苦しげに呻いている。
「て、てめえ、よくも……!」
 ひっくり返ったソファの下敷きになって苦悶していた男が、恨みがましいまなざしでリョウを睨んでいた。
「おいおい、仕掛けてきたのはそっちだろ? 俺はただ、もしあんたらがキングに何か怨みがあるんだったら、綺麗さっぱり水に流してくれないかって頼みにきただけだぜ?」
 あくまでリョウは話し合いで解決するつもりでいたが、刃物を持ち出したギャングたちにいっせいに襲いかかられては応戦せざるをえなかった。その結果、一方的にギャングたちが叩きのめされたとしても、それはもう自業自得としかいいようがない。
「しかしなあ……この様子だと、あんたらどうせキングにちょっかい出したとか、キングの店で酔って暴れたとか、そんなつまらんことであいつに痛い目見せられたんじゃないのか?」
 ひっくり返ったテーブルの陰にビールの空き瓶やいかがわしい注射器が転がっているのを見て、リョウは大きな溜息をついた。
「――ドラッグなんかやってるうちはあいつに勝てっこないぞ? それにタバコの吸いすぎもよくない。あんたらみんな、すぐに息が上がって動きが悪くなってたしな」
「う、うるせぇ……っ、ま、また、やりやがっ、て……」
「また?」
 リョウは男の声に首をかしげ、その場にしゃがみ込んだ。
「またって……あんた、前にどこかで会ったことあったか? いわれてみれば見覚えがあるような気もするんだが――」
「こっ、こんちくしょ、ぉ……」
 ソファの下から這い出し、男はどうにか立ち上がろうとしていたようだが、そこが限界だったのか、ついに力尽きて昏倒した。
「デカい図体してだらしないな。……ま、いいか」
 この連中とキングの間にどんな因縁があったかは知らない。いずれにしてもこの男たちはキングに対して含むところがあり、だからこそあの少年を使って意趣返しをしようとした。そういう姑息なやり方を選んだのは、単純なケンカではどうやってもキングに勝てないと知っていたからだろう。
 結果的にそれを阻止し、ギャングたちに利用されかけていた少年を故郷に送り返すこともできた。武者修行というには歯応えがなかったのは残念だが、それでもリョウは満足だった。
「これをきっかけにできるかどうかはあんたら次第だ。……って、誰も聞いちゃいないか」
 照明をすべて落とし、リョウは倉庫をあとにした。
 あまり治安のよくないこのあたりは、深夜に空いている店も少なく、冷え込みのせいもあって人出は皆無に近い。どんよりと曇って星のまたたきすらない暗い夜道を、リョウはひとりキングの店へと急いだ。
「さすがに腹が減ったな」
 ドーバー海峡を渡るフェリーの中でホットドッグを食べたのを最後に、ミネラルウォーターさえ飲んでいないことを思い出し、リョウは苦笑した。
 ふとその時、しんと静まり返った夜に、列車の汽笛が鳴ったような気がした。
 その場に立ち止まってあらためて考えてみると、リョウはあの少年の名前を知らない。リョウも少年に対して名乗らなかった。おそらく、それでよかったのだろう。
「――よくよく考えてみたらぜいたくな話だろ、自分を大切に育ててくれるじいさんやばあさんがいるのに、退屈だなんて理由で家を飛び出すなんてなあ。もしおれがあいつのじいさんだったら、すごすご戻ってきたところで5。6発は殴ってやるところだぞ」
 いまさらのように少年に対する愚痴をもらしながら、ぐうぐう鳴り続ける腹を撫で、リョウはふたたび歩き出した。
                                ――完――