とびだせどうぶつの森 QRコード置き場

ここにはおもに『とびだせどうぶつの森』、『GirlsMode4』でネオジオキャラになりきるためのマイデザイン用QRコードやコーディネイト案、それにSNK関連の二次創作テキストなどを置いています。髪型や髪色、瞳の色については『とびだせどうぶつの森』の攻略Wikiを参照してください。

『小烏丸』 後段

「父上」
 闇の中でそう呼びかけた息子を、半蔵は無言で一瞥した。それで父のいわんとするところを察したのか、真蔵はすぐに言葉をあらためた。
「……播磨屋に平戸からの荷が届いたそうです、お頭」
「中身は?」
 播磨屋がおもに取りあつかうのは海産物である。そのほとんどは京、大阪でさばかれるが、きょう播磨屋の屋敷に届いたのは、売り物ではなく播磨屋の道楽で買い求めた珍品ばかりだったという。
「阿蘭陀渡りのギヤマンに葡萄酒、遠眼鏡、あるいは清国の漢方や器……脇荷ばかりですが、ご禁制の品はございませぬ」
 出島へやってきたオランダ商館の人間が、この国へ私的に持ち込んで売りさばいた品を脇荷という。商館員にとってはうまみのある小遣い稼ぎといえるが、幕府の目が届きにくいこともあり、脇荷によってご禁制の品が出回ることもしばしばだった。
「よくも悪くも小悪党、か……」
「ですが、京都の町奉行のほうでも、先だっての談合の証拠を押さえたようです」
「ならばいずれにしろ終わりだな、播磨屋は」
「いかがいたしましょう? 次に移りますか?」
「…………」
 真蔵の問いに、半蔵は少しく考え込んでいるようだった。
 次期将軍の座を義弟である家斉にゆずり、みずからは裏方に回った徳川慶寅は、この国の土台を揺るぎないものとするため、幕府内の綱紀粛正を進めている。ただでさえ天変地異が続く中、人々の暮らしを安んずるためには、まずは幕臣たちが襟を正さねばならない。半蔵たちが江戸を離れて各地を飛び回っているのも、飢饉に喘ぐ庶民を尻目にあくどく財をむさぼる役人を捜し出し、誅するためであった。
 それを考えれば、半蔵たちはすぐにでも次のお役目に移るべきだろう。なぜその下知を下さないのか、真蔵には父の意図が判らなかった。
「……お頭?」
 打ち捨てられた小さな堂の前には、半蔵が引き連れてきた配下の忍びたちが一〇人ばかり、膝をついて次の命を待っている。彼らもまた、真蔵と同じことを感じているに違いない。
尾州に発つのはあすの夜とする」
「今宵……いえ、今すぐにでも発てますが」
「あすでよい。……ひとつ、見届けねばならぬことがある」
「は……? 播磨屋のことであれば、町奉行に任せておけばよいのでは――」
 真蔵は眉をひそめ、父が眺める月を何とはなしに見上げた。

      ◆◇◆◇◆

 細い灯明のかたわらで、右京は明礬の匂いが染みついた書物を開いていた。そこに記されている文字は異国のもので、何と読めばいいのか、右京には見当もつかない。
 ただ、文字といっしょに描かれている花々の絵が、この国ではついぞ見たことのない珍しいものばかりだということは判る。播磨屋が阿蘭陀語の読める学者か通詞を捜してくれているが、それまでは絵だけを眺めて思いを馳せるしかない。
「…………」
 灯明の芯を切ろうと顔を上げた右京は、ふと胸騒ぎを覚え、異国の書を閉じて部屋を出た。
「……!」
 障子戸を開けたとたん、右京は眉をひそめた。夜風の中に、ほんのわずかだが血の臭いが混じっている。尋常なことではない、何かが起こっているようだった。
 右京は腰に刀を差し、玉砂利の敷かれた庭に音もなく飛び降りた。
 ――とほぼ同時に、もう一度大きく飛んで刀を一閃させた。
「……前に会ったな?」
 池のほとりにふわりと降り立った右京は、屋根の上にしゃがみ込む影を見上げた。
「まさかここでまた顔を合わせるとは思わなかったぞ」
 宙に舞った長巻を受け止めたのは、播磨屋を訪ねたあの夜、仏塔の上にいたのを見かけた大鎧姿の男だった。
「…………」
 不意に投げつけられた長巻を咄嗟に打ち返すことができたのは、右京の研ぎ澄まされた勘があればこそだろう。刀を振るった右手にわずかに残るしびれが、今の一撃の強さをうったえていた。
「さっきの用心棒どもとは格が違うな……播磨屋の縁者にこれほどの使い手がいるとは意外だった」
「縁者ではない。……が、一宿一飯の恩義ならある」
 律儀に答えながら、右京は素早く視線を走らせた。
 これだけ血の臭いがするということは、おそらく、離れにいた用心棒たちはすでにこの男に倒されたと考えるべきだった。播磨屋や屋敷の者たちの安否も気に懸かるが、悠長に様子を見にいっている暇はない。
「用心棒だろうが縁者だろうがどうでもいい。俺の邪魔をするというのなら斬るまでだ。……立ち去るなら今のうちだぞ?」
「恩義があるといった」
「あたら死に急ぐか……」
 男――烏天狗は、肩にかついでいた千両箱を屋根の上に置き、虚空へ飛んだ。
「上等!」
 黒い翼を思わせる外套がひるがえり、星明かりをさえぎる。次の刹那、さながら獲物を狙う鳶のごとく、烏天狗は右京の頭上から襲いかかってきた。
「速い……!」
 単に屋根の上から降ってきたというより、上から下へと飛んできた――そんな、獲物を狙う猛禽のごとき速さだった。すばやく後ろへ跳びすさった右京の目の前で長巻の切っ先が地面をうがち、無数の玉砂利をあたりに飛び散らせていた。
「せいっ!」
 間髪を入れず、烏天狗が踏み込んできた。白刃が細長い弧を描いて右京の脇腹へと伸びる。右京はほとんど迷うことなく、その一刀を受けに回らずさらに後ろへ跳んだ。
「…………」
 咳を強引に抑え込んだ右京は、刀の柄に右手を添え、じっと烏天狗を見据えた。声からすれば、おそらく右京よりも若いだろう。単なる力くらべとなれば、病身の右京に勝ち目はあるまい。あの長巻の重い一撃をまともに受けるのは――刀が折れることはないにしても――あまりにあやうかった。
「その身体でよくやる……」
 烏天狗のくぐもった笑いが聞こえた。右京が病を押してここに立っていることはすでに見抜かれているらしい。長丁場になれば、ますます右京が不利になる。
 もっとも、長引かせたくないのは烏天狗のほうでも似たようなものだろう。
奉行所に嗅ぎつけられる前に、さっさと片をつけて退散させてもらう」
 烏天狗が大きく踏み込むと同時に、長巻の穂先が地面すれすれのところからすさまじい速さで駆け上がってきた。
「……ぬ」
 右京が後ろへ跳びすさるのに合わせ、烏天狗はさらに踏み込み、長巻を繰り出してくる。縦横に走る切っ先をかわし、隙をついて右京も刀を抜き合わせるが、すると一転、烏天狗はまさしく化鳥のように高く飛んで右京の間合いから逃れるのだった。
「――――」
 のどに絡んだ痰を吐き捨て、右京は呼吸をととのえようとした。だが、そこへまた烏天狗が突っ込んでくる。
「く……!」
 確かに烏天狗の太刀行きは速く鋭いが、かわせないほどではない。しかし烏天狗は、おそらく右京にかわされるのを承知の上で長巻を振り回している。肺を病んでいる右京にとっては、烏天狗の一刀をかわす動きのひとつひとつが、余人には窺い知れぬ苦痛をもたらし、無慈悲なまでに体力を奪っていくと理解しているからである。
「!」
 ふたりの武芸者の立ち合いによって、白い玉砂利が敷き詰められた庭先に、初めて赤い血が飛んだ。七度目の踏み込みで、ついに烏天狗の刃が右京を捉えたのである。右京の肩口に開いたのは、半寸にも満たないほんの小さな傷だったが、それはとりもなおさず、右京の足が先ほどよりも重くなっているということをしめしていた。
「やむをえぬ――!」
 これ以上かわし続けるのは無理だと察した右京は、薄い唇を噛んでその場に踏みとどまり、愛刀を抜いた。
「浅い!」
 抜き放たれた右京の一刀は、大きく飛びのいた烏天狗には届かない。しかし、右京はすり足で烏天狗に追いすがると、続けざまに二の太刀を繰り出した。
「な、に――!?」
 面頬の奥から驚きの声がもれる。右京は地に降り立つ寸前の若者の脛へとためらうことなく二の太刀を打ち込んだ。
「!?」
 だが、次に驚愕で息を呑んだのは右京のほうだった。右の脛を斬り飛ばされて地に落ちるはずだった烏天狗は、目に見えない足場を踏んでもう一度大きく後方に飛びのき、紙一重で右京の一刀をかわしてのけたのである。どう考えても人間にできる芸当ではなかった。
「無駄だ!」
 驚愕する右京を見下ろし、烏天狗は勝ち誇ったようにいい放った。
「――しょせん貴様の剣では俺の風を捉えることなどできん! どんな恩があったか知らないが、播磨屋などに肩入れしたおのれの不明を呪うがいい!」
「口数が多い……烏というより雀だな」
 烏天狗の饒舌さは、もしかすると、間一髪の窮地を脱した安堵感のせいだったのかもしれない。いずれにせよ、神速の太刀をかわしきったと豪語する烏天狗に、ほんのわずかな気のゆるみが生じたのを、右京は確かに見て取った。
「…………」
 空を薙いだ刀を流れるような動きで鞘に納めた右京が、砂利を蹴って夜空の烏天狗を追いかけた時、すでにその右手には、夜目にも赤いものが握られていた。
「な――」
 右京がぽんと放り投げたそれが赤く熟したりんごだと、烏天狗はすぐさま気づいた。気づいたからこそ、今宵ふたたび彼は目を見張ったのだろう。なぜそんなものがここで出てくるのか――そのささやかな疑問が、烏天狗の動きに一瞬の隙を生じさせた。
 そして、その時にはすでに、右京の細い身体は烏天狗よりも高みにあった。
「! させるか――っ!」
 目の前のりんごを叩き落とし、返す刀で右京を斬り伏せようとした烏天狗に、空に架かる三日月のようにあざやかな剣閃が襲いかかった。
「……遅い」
「ぐっ!?」
 せいぜいまばたきをひとつかふたつ、そんなごく短い間に六度、車輪のように身体を回転させながら繰り出された右京の刀が、烏天狗の手から長巻を弾き飛ばし、さらにその左胸へとめり込んだ。
「っぐふ……っ」
 背中から地面に叩きつけられた烏天狗は、胸を押さえて身をよじった。
 一方の右京も、着地と同時に膝をつき、激しく咳き込んでしまった。口もとを押さえる手の下からあふれてきた血が、白く細い顎を伝って襟もとを赤く染めていく。
「く、ぉ……」
 震える手で長巻を掴み、それをささえに烏天狗が立ち上がった。左手をだらりと垂らしたまま、苦しげに右京を睨みつけている。
「ふ、不明は、俺のほうだったか……どうやら貴様を甘く見すぎていたよう、だ……」
 かろうじてそう自嘲した烏天狗の鎧は、右京渾身の一刀を受けたためか、胸板が砕け散っていた。
「くっ……」
 烏天狗は胸板の内側からひと振りの刀を取り出し、眉をひそめた。
「まさか平氏に救われるとは――口惜しい」
 腹立たしげな呟きとともに烏天狗が打ち捨てたのは、きらびやかな鞘に大きなひびが入ったあの小烏造の懐刀だった。本来なら鎧を砕いて心の臓まで達するはずだった右京の一撃を、あやういところで防ぎ止めていたのは、烏天狗が盗み出して懐にしまい込んでいたその刀だったのである。
「…………」
 口もとの血をぬぐい、右京もまた立ち上がった。
 刃こそ臓腑に届かなかったものの、おそらく烏天狗の左の鎖骨は折れている。右腕一本になった烏天狗と激しく血を吐いた右京、今一度激突すれば、果たして生き残るのはどちらか――。
「口惜しいが……俺にはまだやらねばならぬことがある」
 烏天狗は長巻を背負い、松の老木の枝へと飛び上がると、そこからさらに屋敷の屋根の上へと飛び移った。
「この痛みをいましめとして、俺はこれからも戦い続ける。もしまたどこかで会うようなことがあれば、その時こそ今宵の決着をつけるぞ」
「神夢想一刀流橘右京――」
「その名、覚えておこう。……俺の名は鞍馬夜叉丸。次はかならず勝つ!」
 右腕一本で千両箱を肩にかつぐと、烏天狗はそういって甍を蹴った。
「…………」
 烏天狗――鞍馬夜叉丸の姿が消えたあとも、右京はぼんやりと夜空を見上げていた。
「月冴ゆる、甍の波間――烏、小烏、か」
「――たっ、橘さまっ!」
 右京の息遣いもようやくいつもの落ち着きを取り戻してきた頃、何人もの奉公人を引き連れて播磨屋がやってきた。
「ごっ、ご無事でしたか!?」
「……何かございましたか」
「何かあったかではございませぬ! 私どもが寝ているところに、ぞっ、賊が踏み込んできたのです! あああああ……ついにあの忌々しい小天狗めが!」
 要領を得ない播磨屋の話をまとめると、どうやら烏天狗に寝込みを襲われ、播磨屋をはじめとした家人や奉公人たちはまたたく間に昏倒させられてしまったらしい。刀をたずさえていた用心棒たちでさえ、悲鳴をあげる暇もなく倒されたことを思えば、それもむべなるかなというところだろう。
「だっ、旦那さま! 蔵が荒らされております!」
 大慌てで駆けてきた番頭の言葉に、播磨屋は目を剥いた。
「何っ!? 先生がたは何をしている!? わざわざ蔵のそばの離れに部屋を用意していたのに――」
「そ、それが、用心棒のかたがたも、こっ、こ、殺されておりまして……」
「こっ……」
 播磨屋は顔を青ざめさせ、へなへなとその場にへたり込んだ。
 夜叉丸は、播磨屋たちを殺すことなくただ眠らせておくだけにとどめていた。その用心棒たちも、あるいは夜叉丸と戦おうとせずに刀を捨てていたなら死なずにすんだかもしれない。が、いまさらそれをいったところで詮ないことだった。
 右京は乾きかけの血にまみれた小烏の懐刀を拾い上げ、播磨屋に差し出した。
播磨屋どの、これを」
「――ぅえっ!?」
 自慢の懐刀を見て、播磨屋は頓狂な呻きをこぼした。
 贅を尽くして仕上げた拵はひびだらけで、かろうじてばらばらになるのをまぬがれているといったありさまだったし、中の刀身にもゆがみや刃こぼれができているのは間違いない。折り紙をつければひと財産にもなったであろう懐刀の変わり果てた姿に、播磨屋は完全に言葉を失っていた。
「…………」
 自分の秘太刀を受けてそうなったのだとはさすがにいえず、右京はわざとらしく咳払いをしながら、縁側に腰を下ろしてひと息ついた。
「――そのまま聞け」
 まったく動かなくなった主人に代わり、奉公人たちがあわただしく走り回るのを眺めていた右京は、不意に頭上から降ってきた低い声に眉根を寄せた。
「……いつからいらしたのです?」
 姿の見えぬ声の主――服部半蔵は、たくみに気配を殺したまま、どこかに身をひそめて右京と夜叉丸の戦いを見ていたに違いない。右京も夜叉丸も、たがいの敵にかまけすぎていたために、それに気づかなかったのであろう。
 無論、半蔵の助太刀など欲する右京ではない。しかし、解せないのは半蔵が夜叉丸を逃がしたことだった。人間離れした体術の持ち主とはいえ、右京との立ち合いで手傷を負った夜叉丸ひとり、半蔵であればとどめを刺すのも捕えるのもたやすいだろうに、なぜ半蔵は夜叉丸をそのまま行かせたのか。
「下命さえあればすぐにでも捕えようが、今はその時ではない。……が、もっとありていにいえば、橘右京烏天狗の立ち合いに興をそそられたからかもしれぬな」
「それは……思いもかけぬお言葉」
 たとえば――右京の知己である覇王丸のような男なら、右京と夜叉丸が立ち合うと聞けば、一もにもなく間近で見たいというだろうし、もしくは俺も交ぜろといい出すやもしれぬ。剣士とはそういうものだろう。
 だが、半蔵は剣士ではない。なまじの侍などよりはるかに腕が立つのは確かだが、剣士としての強さや矜持になどいっさいこだわらない、こだわってはならない忍びなのである。
 それだけに、右京には半蔵の言葉が意外だった。
「とまれ、面白いものを見せてもらった。その礼というわけではないが、おぬしに忠告しておこう」
「何でしょう?」
播磨屋への義理を果たしたのなら、面倒に巻き込まれる前に、すぐにでもここを発つがいい」
「面倒……とは?」
京都町奉行播磨屋太夫を捕らえにくるのだ。……先日教えたろう? 播磨屋は存外に腹黒い商人だと」
「それは……困りました」
 右京は文机の上に置かれている異国の書物を一瞥した。あれを訳してもらえる学者なり通詞なりを、右京はまだ紹介してもらっていない。
「確か覇王丸の知り合いに、蘭学を修めた老学者がいるという」
 まるで右京の胸中を見抜いたかのように、半蔵がいった。
「――あいにくと名前までは知らぬが、武蔵野の片田舎で阿蘭陀語を話せる老人などそうはいまい。そのあたりで聞けばすぐに住まいは知れよう」
「そうでしたか……かたじけない」
「……おぬしも息災でな」
 半蔵が去ったのをかすかな気配で察した右京は、部屋の中に取って返すと、文机の上の書物を懐にしまい込み、なけなしの荷物をまとめて網代笠を手に取った。
「――播磨屋どの」
 手早く旅支度をすませた右京は、落胆から立ち直れずにいる播磨屋に声をかけた。
「ことここにいたっては、もはや私の出る幕はございますまい」
「ああ……はい、そうでございますな、確かに……」
 のろのろと右京を見上げた播磨屋は、弱々しくかぶりを振って立ち上がった。
「正直、こうなってはこれまでのように橘さまをおもてなしすることもできぬでしょうし、通詞を呼ぶという話も……」
「……それは私のほうでどうにかつてを捜してみます」
「は? いや、しかしそのいでたちは……まさか」
「短い間でしたが、お世話になりました」
「ど、どちらへいらっしゃるのです? それもこんな刻限に……」
 長旅をする者であれば、夜も明けきらないうちに出立するのは珍しいことではない。だが、夜明けまでまだ一刻はある。播磨屋がいう通り、旅に出るにはさすがに早すぎるかもしれない。
 しかし、右京は逸る自分の心を御せなかった。
「こ、このありさまではろくなものは用意できませぬが、すぐに朝餉の準備をさせますので、せめて腹ごしらえをすませてからでも……」
「どうかおかまいなきよう……そのお心遣いだけで充分です」
「では、せ、餞別くらい――」
「すでにいただいておりますゆえ」
 自分の胸に左手を添え、右京は播磨屋に頭を下げた。
「それではこれにて御免」
「たっ、橘さま!」
 どこか裏返ったような播磨屋の声を背中で聞き流し、右京は足早に歩き出した。
 ひとりの人間として見るなら、播磨屋は決して悪辣というわけではなかった。少なくとも右京に対しては――下心があったとはいえ――親身になってくれた。
 ただ、吝嗇家で財をむさぼるのも、やはりあの男の素顔なのだろう。結局はそれが播磨屋を滅ぼすことになったのだと思うと、どこかやるせない気持ちになる。
「――――」
 夜明け前の京の大路を、右京はひたすらに東へ東へと歩いていく。少し前にあれほどの派手な立ち回りを見せたというのに、今は不思議とその疲れも感じない。
 何とはなしに後ろを振り返ると、あれは愛宕山か、その山影の向こうに沈みゆく月が見えた。
「月冴ゆる――か」
 月を見て作りかけの句のことを思い出した右京の脳裏に、初めて夜叉丸と出会った時の光景がよぎった。
 あれこれと考えながら、黙々と東海道を歩くこと一刻半ほど――東からまばゆい朝日が射し始める頃には、右京は早くも大津の宿に差し掛かっていた。
「…………」
 餌でも捜しているのか、可愛い雀たちが路傍で跳ねながらさえずっている。それを見た右京は、卒然として矢立を取り出すと、播磨屋からもらってきた書物の裏表紙に、たっぷりと墨を含ませた筆を走らせた。

      ◆◇◆◇◆

 月冴ゆる 甍の波間に飛ぶ鳥は 雀にあらじ夜の小烏――。
                               ――完――