とびだせどうぶつの森 QRコード置き場

ここにはおもに『とびだせどうぶつの森』、『GirlsMode4』でネオジオキャラになりきるためのマイデザイン用QRコードやコーディネイト案、それにSNK関連の二次創作テキストなどを置いています。髪型や髪色、瞳の色については『とびだせどうぶつの森』の攻略Wikiを参照してください。

『鳴神屋騒動秋風花』 後段

 町人たちが足しげく通う盛り場ならともかく、武家屋敷が建ち並ぶこのあたりは、日暮れとともに人気がなくなり、静かな夜の帳が下りてくる。寛政の改革によって質素倹約が叫ばれる昨今、武家たちが灯明の油すら惜しむために、この界隈一面、星明かりのみの闇に包まれていた。

 「……よくよく考えてみりゃあよ」
 甍の波に身を伏せ、大きくひと息ついて覇王丸はいった。
「俺とおめえで、本気でこんな芸当がうまくいくと思ってんのか、おめえ?」
「いや、思っているというか……や、弥九郎のために何が何でもやらねばならぬと……うおぅ!?」
 足を踏みはずしかけたのか、瓦を割るごりっとした音がして、狂死郎が小さく悲鳴をあげた。
「おい、静かにしろよ!」
「ちょっ、ちょっと待て……」
「ったく……」
 覇王丸はうんざり顔で天を仰いだ。
「これなら十兵衛の旦那にでも相談しときゃよかったんじゃねえか?」
「そ、それは儂も考えた!」
 覇王丸の隣へやってきた狂死郎は、ほっとひと息ついて額の汗をぬぐった。
「……したが、柳生さまは長く江戸を留守にしておるとのことでな、連絡がつかなかったのじゃ。あの御仁も何かと忙しいのであろう」
「そりゃまあ――ってかよ、おめえ、どうしてそんな舞台に上がるようななりで来たんだよ?」
 今宵の狂死郎は、白塗り隈取の化粧はもちろん、赤と金の派手な衣装を身に着け、その上さらに愛用の薙刀をかかえている。やたら悪目立ちするのはいうまでもなく、とても梁上を歩き回るのにふさわしいいでたちではない。
「もっとこう……あるだろ、もっと目立たねェ恰好がよ!」
「何をいうか、覇王丸。友のためとはいえ、儂にとってはこれも芸のひとつじゃ。役者が舞台で芸を披露するのに、それにふさわしき装束をしつらえるのは当然であろうが」
「役者馬鹿ってのはこれだから始末に負えねえな……」
「何じゃと!? おぬし今、儂のことを馬鹿と申したか!?」
「うるせえな、いちいち。……おら、真壁某の屋敷はすぐそこなんだろ? ここで騒いで見つかりでもしたら意味ねェだろうが」
「おっとっと……」
 覇王丸にいわれてようやく肝心なことを思い出したのか、狂死郎はまさに芝居がかった仕種で口もとを押さえた。
 真壁将監におとしいれられた鳴神弥九郎の身の潔白を明らかにするため、覇王丸と狂死郎は、真壁の屋敷へと向かっていた。聞くとはなしに聞こえてきた噂によれば、真壁将監と黒川雉之助の仲は前にも増して親密なものとなり、このところは三日と置かずに会っているという。今宵もまた、雉之助は真壁将監の屋敷に招かれ、酒宴をともにしているという話だった。
「鳴神屋の興行を差し止めたってんなら、てめえの一座が代わりに同じ演目でもやってみせろってんだよ。そうすりゃ嫌でもどっちが上か判るだろうに……」
「雉之助の腕では恥をかくだけよ」
「何だい、やっぱ鳴神屋のほうが上かい?」
「贔屓目でいうのではないがな。――先代からみっちり仕込まれた弥九郎の芸は、この儂でさえ見惚れるほどのものよ。弥九郎と雉之助とでは、そもそもくらべること自体が間違っておるわいな」
「そりゃまあ、芸も磨かねェで贔屓筋の酒の席に顔を出すほうが好きってんじゃな、腕のほうも知れてるってか」
 あたりが暗く静かなだけに、明々と灯のともされた真壁将監の屋敷はよく目立つ。耳をすませば、三味線の音曲まで聞こえてくるようだった。
「黒川雉之助という男は、芸はつたないくせに、ねたむそねむということでは人一倍という話じゃ。おそらくは、同じく和事を得意とする弥九郎の評判をおとしめようと、真壁将監と組んではかりごとをめぐらせたのであろう」
「だがよ、その証拠がなきゃどうにもならねェだろ」
「それを見つけるためにもぐり込むのじゃ」
「そううまくいくもんかねえ?」
「酒の席で何ぞ口をすべらせるやもしれぬ。聞き逃すなよ、覇王丸
「はいはい」
 狂死郎の話にうかうかと乗った自分を呪い始めていた覇王丸だが、いまさらそれをいってもどうにもならない。
 屋根伝いに屋敷の母屋までたどりついた覇王丸たちは、中の人間に気づかれぬよう、屋根瓦をそっとはずした。

      ◆◇◆◇◆

 闇の中で、火月は思わずみじろぎした。
「――およしなさい」
 朱雀の柄に手をかけたのが目に見えていたかのように、兄のたしなめる声が聞こえてきた。
「だけど兄貴、曲者を見逃すってのは――」
「私たちのお役目は盗人相手に蔵を守ることではありません」
「盗人かよ、あれが?」
「少なくとも伊賀者ではありませんよ」
 風間火月風間蒼月は、真壁将監の屋敷の一角、庭の片隅の植え込みの陰に身をひそめている。屋根から屋根へと危なっかしく飛び移ってやってきたふたつの影は、火月たちの存在にはまだ気づいていまい。
「――けど、もしここの屋敷の主人に何かあったら、俺たちにとっても面倒なことになるんじゃねぇのか?」
「もしそうなったとしても自業自得というものでしょう。真壁将監は少しやりすぎましたよ」
 火月と違い、蒼月は腕が立つだけでなく知恵も回る。近頃は頭領から下問を受けて、蒼月なりの考えを述べるようなことも多いらしい。いわば頭領の知恵袋のような役どころで、若手の中ではもっとも将来を嘱望されているといっていい。
 それだけに、火月には蒼月の考えていることがよく判らない。
「兄貴よう」
 朱雀の柄に手をかけたまま、火月は低い声で尋ねた。
「……俺たちが頭領から受けた命令は、ことが露見しねえように柳生十兵衛を始末しろってことだったろ?」
「それがどうかしましたか?」
「だけど俺たちはよ、ついに江戸に着くまで手が出せなかった。あの侍に隙がなかったっていえばそれまでだけどよ……でも、俺にはどうも腑に落ちねえ」
 仕掛ける機会は何度かあった。あったが、仕掛けなかった――火月が仕掛けようとするたびに、蒼月がそれを制したからである。
「俺にはよ、兄貴があえてあの侍を見逃したように思えてならねえんだ」
「……おまえもまるっきりの馬鹿ではないということですね」
 じっとしゃがみ込んでいる火月を見下ろし、蒼月は冷ややかな微笑を浮かべた。
「ほかの下忍たちはもちろん、おまえにも伏せていましたが、頭領からはもうひとつ、密命を受けているのですよ」
「密命?」
 柳生十兵衛の後ろにいるのは徳川慶寅――幕府の大立者といっていい。十兵衛の長崎来訪も、慶寅じきじきの命を帯びてのことだろう。
徳川慶寅はかなりの切れ者……おそらくすでにこの件のおおよそのことは掴んでいるはず。いまさら十兵衛ひとりを亡き者にしたところで大勢はくつがえせない――と、私はそう見ました」
「どっ、じゃあよ、どうすりゃいいんだ? この屋敷の主人てのは、長いこと頭領と懇意にしてたんだろ?」
「それゆえの密命……ですよ、火月」
 蒼月が意味ありげに呟いた時、屋敷の中から大きな物音が聞こえてきた。

      ◆◇◆◇◆

 その日の夜半、柳生十兵衛は、慶寅直筆の書状を懐に、ひとり真壁将監の屋敷へと向かっていた。
 本来なら捕り手数十名を引き連れて押しかけるべきところを、裃姿に手ずから提灯をかかげた十兵衛が、ただひとり馬も駕籠も使わず徒歩にて向かっているのも、いわば慶寅から真壁将監へのせめてもの恩情であった。十兵衛を素直に迎え入れ、慶寅の意向にしたがうのであれば、少なくとも体面だけは守らせてやろうという意味である。
 が、果たして先方に、その恩情に感じ入るほどの矜持が残っているかどうか、十兵衛には判らない。
「十兵衛どの」
 ひたひたと夜道を行く十兵衛の影の中から、半蔵の声が呼ばわった。
「何かあったか、半蔵?」
「長崎より十兵衛どのをつけ回していた乱波ども、あらかた片をつけ申した。……なれど、まだあとひとりふたりばかり、その行方が掴めませぬ」
「ほう……おぬしでもか?」
「なかなかの手練れと見ました。あるいは真壁将監の屋敷にひそんでおるのかもしれませぬ」
「雇い主を守る用心棒のつもりか?」
「それともうひとつ」
「まだ何かあるのか?」
覇王丸千両狂死郎が、なにゆえか真壁の屋敷へもぐり込もうとしておる様子」
「何?」
 日頃より冷静沈着を心掛けている十兵衛の声がうわずったのは、驚きが半分、もう半分は込み上げてきた笑いのせいであった。
「まさか真壁が親の仇というわけでもあるまいが……」
「――止めますか?」
「いや、捨ておけ。真壁のところに腕利きの忍びがいるというのであれば、何かの役に立ってくれるやもしれぬ。それよりおぬしは」
「承知しております。すでに長崎奉行両名の江戸屋敷には、我が手の者が忍び込んでおりますれば」
「ならばよい。真壁将監のことは儂に任せておけ」
「は」
 不意に夜風が吹いたかと思った次の刹那には、かすかにあったはずの服部半蔵の気配はすでに消えている。いつもながら恐るべき技前といわざるをえない。
「さて――」
 半蔵とのやり取りであらためて気を引き締めた十兵衛は、真壁将監の屋敷までやってくると、いつでも腰のものを抜けるようにした上で、その通用門を叩いた。

      ◆◇◆◇◆

「やべえ――っ!?」
 覇王丸がそう口走った時にはもう遅い。窮屈そうに身を縮こまらせて屋根裏に身をひそめていた千両狂死郎が――核心に触れる話を聞いて思わず力がこもったためか――天井板を踏み抜いてしまった。
「!? なっ、何奴!?」
 真壁将監の素っ頓狂な誰何の声に、情けなく裏返った黒川雉之助の悲鳴がかさなる。額をつき合わせて後ろ暗い話をしていたところに、唐突に天井から白足袋を履いた足が生えてきたのだから、ふたりが驚くのも無理はなかろう。
 が、さすがに間が悪い。
「おい、狂の字! このまんまじゃまずいぜ! 槍衾にされちまう!」
「ま、待て、覇王丸! そう急かされても……」
 なかば落ちかけた狂死郎の身体を引きずり上げようと、覇王丸が声を殺して苦労している間にも、慌てて逃げていく芸者の悲鳴や、真壁将監が屋敷に詰めている侍たちを呼ぶ声が聞こえてくる。このままでは本当に下から槍で突かれて穴だらけにされてしまうだろう。
「こうなったら仕方ねえ……やるぜ、狂死郎!」
 いうが早いか覇王丸は河豚毒を引き抜き、自分たちの周りの天井板へと走らせた。
「おわ――」
「なっ……曲者はここだ!」
「狼藉者がおるぞ! お奉行をお守りせよ!」
 丸く切り抜かれた天井板もろとも座敷のど真ん中に落ちてきた覇王丸は、油断なく河豚毒を構えて叫んだ。
「見せ場だ、狂の字! 見得を切んな!」
やらいでか!」
 衣装の乱れをととのえて薙刀をかついだ狂死郎は、目の前の男たちを見据えて足を踏み鳴らした。
「そこな真壁将監、並びに黒川雉之助! おぬしらの姦計、儂らふたりがしかとこの耳で聞き届けたわいなあ!」
「き、貴様は……千両狂死郎!?」
 先ほどからへたり込んだままの、大店の若旦那風のなりをした男が、声をわななかせて狂死郎を指さす。色白で、見ようによっては二枚目に見えなくもないこの男が、おそらく黒川雉之助だろう。
 とすれば、その隣に立っているいかつい顔をした侍が、この屋敷の主人――真壁将監に相違ない。さすがに雉之助と違って、狼藉者の乱入にも取り乱した様子はなく、すでに刀掛けから差料を取ってその手に握っている。
「へっ……腐っても武士ってことかい」
 ひとり覇王丸が不敵に笑っている間に、騒ぎを聞きつけた武士たちが次々に座敷へと集まってきた。
 真壁将監は刀の切っ先を覇王丸たちに差し向け、
「そのほうが千両狂死郎か。多少は名を知られているとはいえ、しょせんは河原者。そのような下種が我が屋敷に土足で踏み込むとは無礼千万! ここで斬られても文句はあるまいな?」
 庶民たちからは絶大な人気を誇る歌舞伎役者も、身分でいえば下の下、それゆえに武家の中には役者をあからさまに見下す者も多い。
 が、覇王丸はそんな真壁将監の言葉を鼻で笑い飛ばした。
「何いってやがる? だったらそこで腰抜かしてるご贔屓はどうなんだよ? そいつだって下種な河原者なんじゃねェのか?」
「ぬっ……!」
「そいつとあれこれ話し込んでたのをよ、俺たちゃ聞いちまったんだぜ? 覚悟を決めるのはてめェのほうなんじゃねェのか、おい?」
「痩せ浪人と役者風情が世迷言を! かまわぬ、斬れ! 斬り捨てい!」
 真壁将監の下知で、周りの武士たちがいっせいに斬りかかってきた。
「笑わせるんじゃねえ!」
 足元に転がっていた膳を蹴り上げる。真っ先に突っ込んできた侍が、鼻面にそれを食らってあおむけに倒れた。
「てめえらにゃ恨みはねえ! 逃げたきゃ逃げてもいいんだぜ!」
 刃を返し、覇王丸は河豚毒を振り回した。
「が……っ!」
「ぶ、ぐぅ――」
 峰打ちとはいえ、覇王丸が振るう河豚毒をその身に受ければ、肌は裂け、骨も折れる。肩や腕を打たれた侍たちは、次々に刀を取り落として苦しげな呻きをあげた。
「――それでも死にてェって奴がいるなら遠慮せずにかかってきな。娑婆金剛と恐れられたこの覇王丸さまが、間違いなく地獄の閻魔の前まで送り届けてやらあ!」
「う……!」
 またたく間に四、五人の侍を叩き伏せた覇王丸の剛剣に、ほかの男たちが気圧されたように動けなくなった。
「何をしておる!? 狼藉者どもを斬れ、斬れ!」
 後ろから叱咤する真壁将監の声で、ふたたび男たちの刀を持つ腕が上がったが、次にその意気をくじいたのは狂死郎だった。
千両狂死郎の血肉の舞、見惚れてばかりいては命がないぞよ?」
 世話女房と名づけた薙刀を肩にかついだまま振り回し、間合いを詰めようとする侍たちを片端から跳ね飛ばした狂死郎は、懐から扇子を取り出し、いかにしたものか、それであおいで真っ赤な炎を口から吐き出した。
「ぎゃあ!」
「こっ……うわあ!?」
 炎にあぶられ、侍たちが身も世もなく逃げまどう。
「お、おのれ……! 許さぬぞ!」
 大上段に刀を振りかぶった真壁将監が、怒りのおめき声とともに狂死郎に斬りかかった。しかし、その構えも動きも一流の使い手のそれにはほど遠い。どう逆立ちしても狂死郎の相手ではなかった。
「何とも無様なお座敷剣法よなぁ……竹刀での素振りからやり直せい!」
 からからと大笑した狂死郎は、真壁将監の渾身の一刀をたやすくいなすと、畳に突き立てた薙刀をささえとして大きく跳躍した。
「あ、そぉれ!」
「んぐがっ!?」
 狂死郎の飛び蹴りを顔の真ん中にまともに食らった真壁将監は、ごろごろと面白いように転がり、床柱に頭をぶつけてそのまま動かなくなった。
「ひ、ひいぃい……っ!」
 それを見た黒川雉之助は、まるで畳をかきむしるかのように、四つん這いのまま慌てて逃げ出そうとした。
「おめえもだよ」
「ぐぇ……」
 雉之助の首筋をしたたかに打ち据えて昏倒させた覇王丸は、玉砂利の上を駆け寄ってくる足音を耳にして庭に面した障子を蹴破った。
「ったく……懲りもせずに新手が来やがったか!?」
「待て、早まるな、覇王丸
 そこに立っていたのは、隻眼の剣士、柳生十兵衛であった。
「は!? 十兵衛の旦那じゃねェか!? どうしてあんたがここに……」
「儂が動くのは何かしらのお役目の時だけだと存じておろう? ……にしても、派手にやってくれたな、おぬしら」
 座敷の惨状を見て、十兵衛が苦笑いを浮かべる。多くの侍たちが逃げ出したような気がしていたが、こうしてあらためて見てみると、真壁、黒川両名のほかに、一〇人以上の侍が気を失って倒れていた。
 狂死郎は襟を正して庭先へと降りると、十兵衛に対して深くこうべを垂れ、
「柳生さま、実を申さばこれにはちと深いわけがございまして――」
「よいわ、千両屋」
 両手をついてことのあらましを説明しようとする狂死郎を制し、十兵衛はあたりを見回した。
「詳しい話はいずれ聞かせてもらおう。ともあれ、この場は儂が収めるゆえ、おぬしらはすぐに立ち去るがよい。どのような仔細があろうと、浪人者と歌舞伎役者が勘定奉行の屋敷に押し入ったというのはさすがにまずかろうからな」
「そいつは助かるぜ、旦那。――おい、行くぞ、狂死郎!」
 河豚毒を鞘に納めた覇王丸は、狂死郎を引きずるようにして走り出した。
「よ、よいのか、これで? せっかくお会いできたのであれば、柳生さまに彼奴らの悪行を――」
「旦那がかまわねェっていってんだからいいんだよ! 旦那に任せときゃあ悪いようにはならねえだろ。……たぶん」
「たぶん!?」
「じゃねえ、きっとだ、絶対!」
 真壁の屋敷を飛び出し、夜道をひた走るうちに、覇王丸の身体のほてりもようやく引いてきた。頬に当たる秋の夜風が何とも冷たく、ひりつくような気がする。
「……それよりもよ、早くおめぇんちに帰って熱いので一杯やろうじゃねェか? 悪人どもにはきちんと天誅を下してやったんだしよ」
「おぬしはすぐにそれじゃ……」
 呆れたように溜息をついた狂死郎は、しかし、すぐにその顔を笑みに崩した。

      ◆◇◆◇◆

 真壁家の門が太い竹の格子で封じられているのを横目で確かめ、火月と蒼月はそのまま門前を通りすぎた。
 ふたりとも、今は行商人のなりをしている。日中とはいえ人通りは多くないが、もし誰かに出くわしたとしても、このあたりの武家屋敷に出入りする商人としか見えないだろう。
「真壁将監は永蟄居……いずれ切腹となるでしょう」
「間一髪だったな、兄貴」
「あの浪人たちが派手に暴れてくれたおかげですね」
 先日の夜、真壁将監の屋敷にひそんでいた火月たちは、結局、最後まで将監を救うことはなかった。奥座敷で大立ち回りがおこなわれていたあの時、火月と蒼月はその騒ぎにまぎれて将監の私室を家捜ししていたのである。
「――けどよ、俺たちが途中で出ていって、勘定奉行を救うことだってできたんじゃねェのか?」
 笠を軽く押し上げ、火月は兄の表情を窺った。
「もちろんできたでしょう。……ですが、そこまでして救う価値が見出せなかったのですよ、あの男に」
 もし真壁将監が救うに救えぬところまで追いつめられていたと判断したら、屋敷の奥にあるはずの血判状を捜し出し、それを即座に焼き捨てよ。真壁将監と風間一族との間に何らかのかかわりがあったという証になるものを、ひとつ残らず処分せよ――それが蒼月が頭領より受けた密命であった。
 しかし火月には、蒼月がほとんど逡巡することなく真壁将監を見切ったように思えてならなかった。
「一〇年前ならいざ知らず、今の幕府には徳川慶寅がいます。そしてその下には柳生十兵衛服部半蔵といった、彼の耳目、手足となってはたらく有能な者たちもいます。彼らを相手に、真壁将監のごとき小物がいつまでもうまく立ち回れるとは思えませんからね。いずれ滅ぶのは必定でした」
 風間一族が真壁将監とともにこれからも栄えていけるか、あるいは連座してともに滅びるか――その見極めを、頭領は蒼月の目にゆだねたのである。頭領が蒼月に寄せる信頼の篤さを、火月はいまさらのように思い知った。
「幕府は我々に疑いの目を向けているでしょう。詮議が進めば、真壁も我々と組んでいたことを吐くに違いありません。ですが、その証拠はもはやどこにもない。真壁が何をいおうと、もはや苦しまぎれの出まかせにしかなりません」
「ひとまずは安泰ってことか……」
 無事に勤めを果たした火月たちは、商人に身をやつしたまま、諸国の動静をつぶさに調べながら肥前に戻ることになっていた。妹が待つ我が家へ帰れるのはもう少し先のことだが、ひとつ大きな肩の荷が下りた気がする。
「――でも、これからどうすりゃいいんだ? 里にとっちゃ大口の商売相手がいなくなったってことなんだろ?」
「次に誰と組むべきかは頭領次第ですよ」
 大勢の人出でにぎわう今川橋そばの茶店に入り、床几に腰を降ろした蒼月は、含みのある笑みを浮かべて呟いた。
「今後ますます頭領の器量が問われることになるでしょう。私なら――」
 そこまで口にして蒼月は目を細めた。火月も、運ばれてきた団子を手に取ったところで、凍りついたようにその動きを止めている。
「こたびだけは見逃そう」
 ふたりの背後から低い声が聞こえてきた。
「……今すぐに出府するのであれば、おぬしらふたりとも、生きて肥前へ戻れよう。だが、これ以上妙な真似をいたさば、その時こそ命はないものと心得よ」
「…………」
 前を向いたまま、火月の左手がじりじりと懐のほうへ動いていく。
 が、それを止めたのは蒼月の手だった。
「……ご忠告、いたみいります」
 小声でそう告げた蒼月の横顔に、すでに動揺の色はない。
「我ら両名、貴殿と刃を交えることにいささかの恐れもありませんが、哀しいかな、しょせん我らは下知を受けねば動けぬ身……頭領からそのような命は受けておりませぬので」
「御託が多いな、おぬし」
 かすかな笑い声が聞こえた直後、背後の気配が消えた。
「あ、兄貴! 今のは――」
 火月は慌てて後ろを振り返ったが、そこには無人の床几が置かれているだけで、声の主の姿はどこにもない。あたりを行き交う人々のざわめきの中で、まるで狐にでも化かされたかのようだった。
「おそらくは伊賀者……口ぶりから察するに、頭領の服部半蔵本人でしょう」
「俺たちの動きを見抜いてやがったってのか!? くそっ、アタマ来るぜ……!」
「落ち着きなさい、火月」
 何事もなかったかのように茶碗を口もとに運んだ蒼月は、自分の団子の皿を火月のほうに押しやり、
「あのようにいっていましたが、要は彼らとて、我々とことを構えたくはないのです」
「そっ、そうなのか?」
「世情おだやかならぬ昨今、オランダまで巻き込みかねない騒動をさらに大きくして、船出したばかりの家斉公の治世をこれ以上乱したくはないのでしょう」
 無論、真正面から激突することともなれば、おそらく今の風間一族では伊賀忍軍には勝てまい。幕府の後ろ盾のあるなしではなく、純然たる力の差、数の差が、両者の間には横たわっている。
 火月がすべての団子を冷めかけた茶で胃の中に流し込むのを待って、蒼月は立ち上がった。
「見ていなさい、火月」
「は? え? 何をだい?」
「いずれ私は、風間一族を公儀の隠密としてみせますよ」
 それはまた、預言にも似た、自信に満ちあふれた蒼月の呟きであった。

      ◆◇◆◇◆

 ついこの間まで夏の暑さにあえいでいたかと思えば、暦の上ではまだ秋口だというのに、きょうは朝からやけに冷え込んだ。草の褥で夜を明かすことも珍しくない覇王丸にとっては、あまり喜べるようなことではない。
「……けどまあ、それなりに寒くなくっちゃあ鍋はうまくねえ」
「それには儂も異論はないがのう」
 舌なめずりをしながら鍋をかき混ぜている覇王丸を横目に、狂死郎は溜息交じりにかぶりを振った。
「――何も柳生さまがいらっしゃるというのにねぎまはなかろう? おぬしや儂のような下々の者が食うものじゃぞ、これは?」
「いいじゃねえか、うめえモンは誰が食ったってうめえんだよ。……だいたい、おめえに頼まれて身体張ったのはこの俺だぜ? だったら俺が食いてえもんを所望したところで罰は当たらねェだろうが」
「気にするな、千両屋」
 ひと息に杯を干し、十兵衛はいった。
「――この儂とて、もとは土佐の貧乏侍の小倅よ。かしこまった膳を並べられるより、こうしたざっかけないもののほうがよほど舌に合う」
「左様でございましたか」
「ほらな?」
 にやりとほくそ笑み、覇王丸はとろりと煮えた鮪を口に運んだ。
「――で、真壁将監だの黒川某だのって連中はどうなったんだ?」
「まだ詮議は続いておるが……いずれ真壁は切腹、お家はお取り潰しというところで落ち着くであろうな。黒川雉之助についても、遠島はまぬがれぬであろう」
「よもやあの男たちがご禁制の品々の抜け荷にかかわっていようとは、この千両屋、ゆめにも思いませなんが……しかしながら、そうと聞けば今になって腑に落ちることもございます」
「そうか」
「いかに勘定奉行とはいえ、真壁将監、あまりに金の使い方が派手でござりました。それもこれも、抜け荷であぶく銭を手にしていたからなのでしょうな」
「もともと真壁は長崎奉行を長く勤めておってな。おそらくその頃、オランダ商館や平戸の商人などを抱き込み、江戸で抜け荷をさばくことを思いついたのであろう」
 質素倹約を柱とした寛政の改革がおこなわれる一方、ここ数年、まるでそれに逆行するかのように、ひそかに大大名や豪商たちの間で、南蛮渡りの硝子の器や珍しい織物などがはやっていたのだという。
「慶寅さまはこれまでも幾度か人をやって調べさせてきたのだが、いずれもお勤めの途中で命を落としてな。真壁将監に雇われた忍びの仕業であろうが……このままでは埒が明かぬと、儂みずから出向いて調べてきたというわけよ」
「御用商人やらオランダ人やらを抱き込んだだけじゃなく、忍びまで使っての悪だくみかい。堂に入ったもんだぜ」
「江戸に戻って勘定奉行となってからも、真壁は懇意にしている長崎奉行所の人間と密に連絡を取り、出島から持ち出したご禁制の品々を江戸へ運び込んでは売りさばいていたらしい」
「それに手を貸していたのが黒川雉之助ってわけか」
「なるほどのう……芸を生業とする者であれば、そもそも関所を通るのに手形はいらぬし、勘定奉行が後ろ盾にいるとなれば、衣装箱の底にあれこれ隠して持ち運んでいたとしても、そうそう気づかれますまい」
「まさにそれよ」
 鮪の脂を吸ったねぎをうまそうに食べながら、十兵衛は言葉を継いだ。
「――真壁が申すには、南町奉行の名まで使って鳴神一座を屋敷に招いたのは、ただ単に酒の席で恥をかかせてやるためであって、それ以上の思惑があったわけではないらしい」
「は? じゃあ、鳴神屋の若いのが殺されたってのは何なんだ?」
「どうもその若衆というのが、屋敷で厠を借りて戻る途中、奥座敷の一角に衣装箱があることに気づいたらしい。さては黒川屋を贔屓にしている真壁将監が、弥九郎への嫌がらせに衣装を隠すつもりか――とでも思ったのであろうな」
 ところが、その衣装箱は鳴神屋が持ち込んだものではなく、真壁が黒川雉之助から受け取った、ご禁制の品が入った衣装箱だった。
「箱の中身を見られた以上は捨て置けぬと、真壁はその若衆を斬り捨て、ことのついでにその罪を鳴神屋になすりつけようとした――とまあ、これがこたびの一件のおおよそのあらましよ」
「それで、弥九郎の処分はいかがなりましょうや?」
 十兵衛の盃に酒をつぎ、狂死郎は尋ねた。真壁将監と黒川雉之助が罰を受けるのは当然として、巻き込まれた鳴神屋の身の潔白も晴らさなければ、この江戸で興行を打つどころではない。
「鳴神弥九郎なら、今は池田筑後守どのの取り調べを受けておる」
「池田筑後ってのは……ああ、新しい南町奉行だっけか?」
「うむ。池田どのはなかなか剛毅なお人でな。どうやら鳴神屋をおとしいれるため、真壁は池田どのにまいないを送って抱き込もうとしたらしい。だが、それがかえって池田どのに疑念を抱かせたようでな。鳴神屋がすぐに捕縛されずにひとまず謹慎となったのも、池田どのがこの件を慎重に取り調べるためだったのであろう」
「ということは……」
「取り調べがすめば、鳴神弥九郎の身の潔白は明らかとなる。すぐにでも興業の許可は下りるはずよ。心配はいらぬ」
「ありがとうございます、柳生さま! 弥九郎に代わってこの千両狂死郎、深く、深く御礼申し上げまする!」
「何やら芝居がかってきたな、千両屋」
 その場に平伏して礼を述べる狂死郎に、十兵衛はかえってばつが悪そうに苦笑いを浮かべた。
「――儂はただ、慶寅さまの命にしたがって動いていただけよ。むしろ、友のために勘定奉行の屋敷に乗り込まんとするおぬしの度胸と性根、そこに儂は感服させられたわ。さすがは千両屋、天晴れな心意気よ。さあ飲め」
「もったいなきお言葉……おとととと」
「そっちはどうにか丸く収まったみてェだがよ、いよいよこの国は本気でおかしくなっちまったみてぇだぜ?」
 がつがつと鮪を食べていた覇王丸が、いちいち杯にそそぐのも面倒とばかりに銚子ごと酒をあおり、濡れ縁の向こうの庭を指さした。
「何と……雪か!?」
「やけに冷えると思ったが……この時期に江戸で雪がちらつくかね、おい?」
「天変地異の前触れでなければよいがな……」
 急に無口になった男たちは、はらはらと舞う粉雪を眺めながら、冷たい酒をただかさね続けた。
 天明八年、秋――。
 男たちのすぐそばまで、すでに羅将神の魔の手が迫りつつあった。
                                ――完――