とびだせどうぶつの森 QRコード置き場

ここにはおもに『とびだせどうぶつの森』、『GirlsMode4』でネオジオキャラになりきるためのマイデザイン用QRコードやコーディネイト案、それにSNK関連の二次創作テキストなどを置いています。髪型や髪色、瞳の色については『とびだせどうぶつの森』の攻略Wikiを参照してください。

『善行には報恩あるべし』


 江戸からそう遠くない武蔵野の山中に、深々と雪が降っていた。厚く積もるほどではないが、身体の芯を刺すような寒さが、吐く息を白く煙らせている。
 年の瀬も押し迫った師走である。
 といって、年があらたまらぬうちに何かやらなければならぬことがあるわけでもない。そもそも緋雨閑丸には、おのれが何をすればいいのか、おのれが何者なのかということさえ判っていない。
 何も判らぬまま、あてどなく旅を続けるのが、今の閑丸にかろうじてできることであった。
 その途次、ひとりの老婆に出会った。

 「すまないねえ」
「いえ、気にしないでください」
 左手で傘を差し、右手には老婆をしがみつかせ、閑丸は雪でぬかるみ始めた道を歩いている。峠を越えて里に向かっていたところ、折からの雪で転んで足をくじいていた老婆と行き会い、手を貸してともに歩き出したのが、かれこれ半刻ほど前のことだった。できれば背負っていってやりたいところだったが、小柄な閑丸にはそれも難しい。
「すまないねえ」
 少年の腕にすがり、寄りかかるように歩きながら、老婆は何度も繰り返した。
「――代わりに、今夜はうちに泊まっておいきなね。何にもないけんども、こんな雪の日に野宿するよりはよっぽどましだでねぇ」
「ありがとうございます」
 閑丸は少し気恥ずかしげにうつむいた。
 あてのない旅を続けている閑丸には、ありていにいえば金がない。行く先々で、人手が足りない旅籠やさびれた寺などで雑事を手伝い、なけなしの銭を得て路銀にすることもあるが、木賃宿に泊まることすらめったになく、たいていは野宿をすることになる。この日も、山中に古い朽ちかけの神社があると峠の茶店で聞きつけ、そこで夜を明かそうとしたところ、足をくじいて難儀していたこの老婆に出会ったのである。
「――飢饉のせいで、暮らしぶりがちぃともよくならんでねぇ」
 老婆は疲れの窺えるしわがれ声で呟いた。
「今年も不作じゃったし……せめて山菜でも採ってきて腹の足しにしようと思ったんじゃがねえ」
「…………」
 長く続くひどい飢饉のせいで、北の諸藩では餓えて死ぬ者が年に数万を数えるという。江戸からそう遠くないこのあたりはまだましだが、それでも土地を捨てて流民になる者、賊に身を落とす者も少なくないのだろう。
 暗澹たる面持ちで歩を進めていた閑丸は、その時、ふと鼻先をかすめる獣臭さに気づいて眉をひそめた。
「――おばあさん」
 路傍の巨木の前で足を止めた閑丸は、老婆に笠を持たせて背中の太刀に手を伸ばした。
「どうしたんだい、ぼうや?」
「この山に――」
 熊か狼は棲んでいるかと聞こうとして、閑丸は続く言葉を呑み込んだ。降りしきる雪が細かな音を吸い込む静けさの中に、ごまかしようのない低い唸り声を聞いたのである。それもひとつふたつではない。
「ひっ……?」
「心配しないで、おばあさん」
 それに気づいて小さな悲鳴をあげた老婆を背中にかばい、閑丸はゆっくりと太刀を引き抜いた。
 大祓禍神閑丸――太刀にはそう銘が刻まれている。記憶のない閑丸を育ててくれた老僧が、その銘から閑丸の名をつけてくれたのである。
 みずからの過去の唯一の手がかりともいえる太刀を手に、閑丸は薄闇の中で目を凝らした。
 無数の唸り声とせわしない息遣い、そしてほんのかすかな雪を踏む足音。じわりじわりと囲みをせばめるようにして現れたのは、一〇頭ばかりの痩せた山犬の群れだった。
 飢饉で山犬の口に入るものも減っている。肋の浮いた犬たちの姿を見て、しかし、憐れみをもよおすより先に閑丸は、自分たちの身があやういと感じた。
 餓えた山犬たちにとって、今の閑丸と老婆はうまそうな餌にしか見えまい。現に閑丸たちはすでに周りを囲まれている。今この瞬間にも襲いかかってくるかもしれない。
 これが閑丸ひとりであれば、どうにか切り抜けられるかもしれない。多少は腕に覚えもあり、無傷というわけにはいかないかもしれないが、むざむざ山犬の口に入るようなことにはならずにすむだろう。
 が、閑丸の背後には老婆がいる。足をくじいた老婆を連れて、山犬たちの囲みを破って逃げおおせるのはどう考えても無理だった。
「…………」
 閑丸は左右に目を走らせ、太刀を握り締めた。
「――やっ!」
 ひと声吠えて飛びかかってきた山犬を斬り伏せ、返す刀でもう一匹を打ち据える。だが、一匹目には深手をあたえたものの、二匹目は峰で叩いただけで、すぐに起き上ってきた。
「ひっ、ひいい……!」
 仲間の血を見て、山犬たちの唸り声がさらに荒んでいく。老婆は頭をかかえてその場にしゃがみ込んでしまった。
「いけない……!」
 折からの寒さと、何より閑丸自身、ここ何日もまともに食べていない。久しぶりに抜いた太刀の重さに足元がふらつくのを感じ、閑丸の胸に焦りが広がった。
 それを敏感に嗅ぎつけたのか、ふたたび山犬たちが襲いかかってきた。
「!」
 雪で足がすべり、わずかに反応が遅れた。それでも右から突っ込んできた山犬を袈裟懸けに斬り捨て、すぐさま別の敵に向かう。
 そこに、赤子の頭ほどの石が飛んできた。
「――え?」
 閑丸の隙をついて老婆に食らいつこうとしていた山犬が、鼻っ柱にまともに投石を食らって吹っ飛んだ。
「妙なところで会ったな、坊主」
 まだ多くの山犬たちが唸りをあげているところへ、さながら春のそぞろ歩きのような気安さで姿を現したのは、長く伸びた蓬髪を無造作に結わえ、白黒だんだら模様の薄汚れた衣をまとった大柄の侍だった。
「は、覇王丸さん……?」
「閑丸――とかいったっけか? 息災のようで何よりだな」
 山犬たちの群れの前に、特にそれを警戒するそぶりも見せず、黒塗りの鞘をかついで悠然と歩いてきた覇王丸は、首筋に手を当てて不敵に笑った。
「おめえはそのばあさんだけ守ってりゃいい」
「えっ?」
「あとは俺に任せとけってことだよ」
 覇王丸は腰に鞘を差し、その長大な刀を抜いた。と同時に、みずから雪を蹴散らして山犬たちの群れの中へと飛び込んでいく。荒々しい構えから繰り出される斬撃は、山犬の痩せた胴体をあっさりと輪切りにし、断末魔の吠え声をあたりに響かせた。
「……!」
 石燈籠をひと太刀で切断する大道芸で路銀を稼ぐと、笑い話のように語っていた覇王丸の言葉は嘘ではなかった。数々の修羅場をくぐり抜けてきたつわものにとって、餓えた山犬の群れなどいかほどのことでもないのだろう。鎧袖一触、次々に斬り伏せられ、山犬たちはまたたく間にその数を減らしていった。
 ほどなくして、あたりの雪が泥と血によって見る影もなく汚れた頃、生き残った山犬たちはそれぞれに遠吠えを残してその場から逃げ出した。
「……存外あっさりと逃げやがったな。腹減ってねえのか?」
 軽口混じりに刀を鞘に納め、覇王丸は肩をすくめた。
「ありがとうございます、覇王丸さん」
 閑丸も老婆を守って太刀を振るったが、ほとんど覇王丸の独擅場だった。もし覇王丸が現れなければ、ふたりともどうなっていたか判らない。
「あー、気にすんなって。俺が勝手にやったことなんだしよ」
 老婆とふたりで頭を下げる閑丸に、覇王丸はどこか居心地が悪そうに苦笑した。
「――それより、こんな雪の日にこんなとこで何してたんだ?」
「それが――」
 閑丸は老婆と出会ってからのことを簡単に説明した。
「なら、俺もお相伴に預かるとするか」
 覇王丸は老婆の前にしゃがみ込み、広い背中を向けた。
「――ばあさん、俺が家までおぶってってやるよ」
「あんれ、いいのかねぇ?」
「遠慮すんなって。……その代わり、俺もひと晩世話になるぜ?」
「もちろんだぁよ。ほんにありがたいねえ……」
 もとから信心深いのか、老婆は覇王丸に向かって両手を合わせると、おずおずとその背中に負ぶさった。
「閑丸、傘を頼むぜ」
「は、はい」
 閑丸は傘を開いて老婆の上にさしかけた。
 はらはらと降る雪ははかなげだったが、まだやむ気配を見せない。

      ◆◇◆◇◆

「……そうかい。相変わらず昔のことは何も思い出せねェのか」
 薄い重湯のような粥をひと息にあおり、覇王丸はうなずいた。
 囲炉裏では静かに炭が燃えている。火にかけられた鍋の中身は、老婆が作ってくれた稗と粟ばかりの粥だったが、これでも老婆にとっては心尽くしのもてなしなのだろう。
 鍋の脇で串に刺されて炙られているのは、覇王丸が昼間釣ったという山女魚だった。さほど大きくはないが、山女魚の塩焼きなど長いこと口にしていない。うまそうな匂いに閑丸ののどがついつい鳴った。
「ま、生きてりゃいつか何か思い出すだろ。さあ、遠慮せずに食えよ。ほら、ばあさんも」
「命を助けてもらって、ここまで背負ってきてもらった上にこんな……ほんにありがたやありがたや……」
「だからいちいちおがむなって! 居心地が悪くてならねぇぜ」
 小さく苦笑いした覇王丸は、まずは自分が口をつけなければ老婆が遠慮すると思ったのか、こんがりと焼けた山女魚を手に取ると、豪快にかじりついた。
「いただきます」
 それを見て、閑丸と老婆も山女魚に手を伸ばした。
 旅の途次、閑丸も何度か谷川で魚を釣って腹の足しにしようと思ったことはあったが、うまく釣れたためしがない。育ての親の老僧は、閑丸に読み書きや礼儀作法は教えてくれても、殺生に通じる釣りはさすがに教えてくれなかったのである。
 山女魚をかじりながら老僧のことを思い出していた閑丸は、囲炉裏をはさんで真向かいに座っていた覇王丸が、いつの間にか魚の骨の代わりに刀の鞘を手にしていたことに気づいた。
覇王丸さん……?」
「……誰か来たようだぜ」
「えっ?」
 思わず腰を浮かせ、閑丸は戸口のほうを見やった。
 老婆の家は里でもかなりはずれのほうにある。すっかり日も暮れたこんな雪の降る夜に、わざわざやってくる者がいるとも思えない。
 ほどなくして、覇王丸の言葉を裏づけるように、さくさくと雪を踏む足音が近づいてきた。
「もし――」
 隙間だらけの戸がそっと叩かれ、弱々しい少女の声が聞こえてきた。
「お願いでございます。お助けくださいませ」
「…………」
 閑丸は息を殺し、覇王丸と老婆をかえりみた。開けるべきか否か、閑丸には判断がつかない。すると覇王丸が、腰に刀を差してそっと戸口に向かった。
「わたしどもの主人が難儀しております。どうか……お助けくださいませ」
「難儀ってェのはどういう意味だい?」
 覇王丸は刀の柄に左手を置いたまま、半分ほど戸を押し開けた。
 雪混じりの冷たい夜風が吹き込んでくる。その寒さに思わず首をすくめた閑丸が目にしたのは、身体を縮こまらせて頭を下げる少女だった。年の頃は閑丸と同じかやや幼いくらいで、旅装束に杖をついている。
「旅の途次……って感じだが?」
「はい。川越から江戸に向かう途次でございました。ですが、奥方さまが急に産気づき、もはや動くに動けぬありさまで――」
「奥方ァ? てことはどこかのお武家かい?」
「そこは……どうかご容赦くださいませ」
「ワケあり、か――旦那は何してんだ?」
「旦那さまはひと足先に江戸へ発たれたあとでございます。すぐには駆けつけられぬでしょう。……里の者に聞いたところでは、こちらに産婆さんがおられるとか」
「産婆?」
 覇王丸は眉をひそめて老婆を振り返った。
「――そうなのかい、ばあさん?」
「確かにワシぁ産婆をしとったけども、それもかなり前のことだぁよ。このところ里で赤子が生まれることものうなったでなぁ」
「それでもかまいませぬ!」
 垂れ目の娘はその場に膝をつき、額を地面にこすりつけるいきおいで頭を下げた。
「後生でございます! どうか……どうかお助けくださいませ!」
「どうする、ばあさん?」
「そうだぁねえ……」
 老婆は困ったように閑丸たちを見やった。
「……なら、ちょっと行ってこようかね。おまえさんたちは先に休んでくれてかまわんでねえ」
「いや、そういうことなら俺もついてくぜ。……そもそもばあさんのその足じゃ、ひとりで遠出は無理だろ」
 すでに覇王丸は草鞋を履いている。この少女に老婆を背負わせていくというのも無理な話だった。
「で、でも……その奥方さまってどこにいるんです?」
 老婆が閑丸たちに泊まっていくよう勧めたのは、助けてもらった礼の意味もあるが、この里に旅籠も木賃宿もないからである。仮にも奥方などと呼ばれる人間が夜を明かせる場所があるとは思えない。
「奥方さまは……峠越えの途中で産気づいたものですから、山中にあったお社で横になっておられます。もうひとりの連れの者がついておりますが、子供を取り上げるにはとても――」
「あんれぇ、あの荒れ放題のお稲荷さんのお社かい? ってことは、お産の用意はなぁんにもないってことかねぇ?」
 覇王丸に背負われた老婆が、困ったような声をあげた。
「仕方ないねえ……それじゃぼうや、手間かけるけんど、おまえさんも手伝ってくれるかねえ?」
「あ、はい!」
「それじゃ……そこの押し入れから布団をひと組と、それにそこにある鉄釜、それに娘さん、あんたはそこの手桶と盥を持ってきておくれ。とにかく湯が必要だでねぇ」
「判りました」
 思っていたよりも大荷物を運ぶはめになったが、それでも老婆を背負っていくよりはまだ軽いだろう。布団を襷で縛ってどうにか背負った閑丸は、さらに鉄釜をかかえて家を出た。
「道案内を頼むぜ」
 娘に提灯を持たせ、覇王丸は夜道を走り出した。閑丸も慌ててそれに続く。
 雪の降り方は夕刻と変わらない。が、それゆえに足元は完全に白く塗り込められ、油断をすると老婆の二の舞になりかねなかった。
 そんな足の悪さをものともせず、覇王丸は老婆を背負って走っていく。その健脚には舌を巻くばかりだったが、それ以上に閑丸が気になったのは、覇王丸の先を行く娘だった。この足元の悪い中を、盥と手桶を持って、覇王丸と同じような速さで走っていくのである。
 覇王丸にならまだしも、年下の娘にまで後れを取るわけにはいかない。閑丸は布団を揺すり上げ、しっかりと大地を踏み締めて走った。

      ◆◇◆◇◆

 折からの雪で、木々の枝はあらかた濡れていた。濡れた若木をいくらくべようと、ろくに燃えず煙を上げるばかりでたいして役には立たない。
「……無理もねえか」
 覇王丸は小さく苦笑し、荒れ果てた社の高欄を次々にへし折り始めた。
「な、何してるんです、覇王丸さん!?」
「このへんの木材を薪の代わりにしようと思ってよ」
 散乱した瓦の破片や石を積み上げ、社のすぐ前に竃を作っていた閑丸は、悪びれない覇王丸の言葉に眉をひそめた。
「そんなことして罰が当たったりしませんか?」
「存外に信心深いんだな、おい?」
「これでも一応、寺で育てられた人間ですし……」
「安心しろよ。ここは神社だ、仏サマは見ちゃいねェさ」
「そういうことじゃなくてですねえ――」
「細けェこというなって。人助けだ、人助け。神サマも大目に見てくれるってェの」
 覇王丸は即席の竃に薪を積み、提灯から火を移すと、近くの竹林から手頃な長さの竹を輪切りにして持ってきた。おそらく火吹き竹にするつもりなのだろう。
「ほい、火を吹くのはおめえの役目だ」
 竹筒の節を抜いて閑丸に投げ渡し、覇王丸はそちこちに積もった綺麗な雪をすくって鉄釜に放り込んだ。
 一間四方ほどの小さな社の中では、老婆と娘たちが奥方とやらの世話をしていた。すっかり漆の剥げた格子戸の向こうからは、今も断続的に苦しげな女の息遣いが聞こえてくる。
 いきおいの出てきた火の上に釜を乗せ、覇王丸はひと息ついた。
「いまさらだが……妙だとは思わねェか?」
「……はい?」
「その、奥方ってェのがよ」
 肩越しに社のほうを一瞥した覇王丸は、声をひそめていった。
「まともに名乗れもしねェんだ、人にいえねェ事情があるってのは間違いねェところだろうが……それにしたっておかしかねェか? 臨月の腹ァかかえて、しかも雪が降る夜に峠を越えようなんざ、いくら何でも正気の沙汰たァ思えねえ」
 いわれてみれば確かにそうだった。宿がないならないで、里の庄屋のところに厄介になるなり、やりようはいくらでもあるだろう。いくばくかの金を払って里の者の家で休ませてもらうこともできたはずだ。
「……ちらっと見たところ、主従揃って身なりはいい。路銀に困ってるとも思えねェしな」
「そこまでして江戸に急ぐ用事って何なんでしょう?」
「さて――いずれにしても子を産むってェのは命懸けだ。下手すりゃ明け方までかかるぜ」
 くべた木々が炭に変わり、赤々と燃え上がって釜の雪をまたたく間に溶かしていく。その水がふつふつと沸き立つのに、そう時間はかからなかった。
 閑丸はそのお湯を手桶に移し、社の中に運び込んだ。
「おばあさん、お湯です」
「ここの盥に入れておくれ。もっとたくさん、どんどん沸かしとくれね」
「は、はい」
 蝋燭の細い明かりが揺らめく社の中では、老婆の家から運んできた布団の上に、細面の美女が横たわっている。呻きを必死に噛み殺している女の顔には脂汗がにじみ、その痛みがこちらにも伝わってくるようだった。
 軽いめまいを覚え、閑丸は慌てて外に出た。
「どうだい、様子は?」
「そ、そんなこといわれても判りませんよ。確かに長引きそうな感じではありましたけど……」
 閑丸は大きく息を吐き、竃の前に腰を降ろした。
「何てェか……母親ってェのは強いもんなんだな」
 雪をかき集めては釜に放り込み、火勢を落とさぬように薪をくべ、覇王丸はどこか神妙な表情で呟いた。
「斬った張ったじゃ誰にも負けねェつもりでいるが、子供を産んで育てるってェことでいやァ、俺たち男は女にゃ勝てっこねぇからな」
「……でしょうね」
 過去の記憶のない閑丸には、当然だが、母親の記憶もない。しかし、それは何となく想像がつく。麻のごとく乱れきった今の世の中、子供ながらにあちらこちらと旅をしてきて、その中で子を思う母の強さは幾度となく目にしてきた。
 腰に帯びていた大きな徳利の酒を軽くあおり、覇王丸はいった。
「――俺が昔世話になった奥飛騨の生臭坊主がいうにはよ、もし男が女みてェに子を孕んで産むようなことになったら、たいていの男はその時の痛みで死んじまうらしいぜ?」
「え……?」
 閑丸は思わず自分の腹を押さえた。その痛みを想像しようとしてできず、しかし、先ほどの奥方の苦悶の呻きを思い出し、卒然と下腹のあたりがわけもなく痛がゆくなってきたのである。
「そういうこというのやめてくださいよ、覇王丸さん!」
「あっはっはっは」
 時もわきまえずに豪快に笑った覇王丸は、ふと動きを止め、木端を放り出して立ち上がった。
「ど、どうしたんです?」
 閑丸がそう尋ねた時、もはや覇王丸の横顔に笑いはない。眉間に小さなしわが寄り、刀の鞘にはしっかりと左手が添えられていた。
「――――」
 閑丸もまた、異変に気づいた。
 覚えのあるこの臭い――山犬たちに囲まれた時に嗅いだあの臭いが、竃の煙にまじってはっきりと感じられる。
「鼻の利く連中だぜ……産気づいた奥方の血の臭いを嗅ぎつけてきやがったか?」
 鉄釜をまたぎ越し、覇王丸は身構えた。
「……小僧、おめえは扉を背負って戦え。絶対に中に入れるなよ?」
「はい」
 湧いているぶんのお湯を慌てて手桶に移し、閑丸は社に駆け寄った。
「おばあさん」
「何だぁね? こっちはまだ時間がかかるよ。お湯ももっと――」
「また山犬の群れに嗅ぎつけられました」
 細く開けた戸口から手桶を中に差し入れ、閑丸はいった。
「――覇王丸さんとぼくとで追い払いますから、ぼくたちがいいっていうまで絶対にここは開けないでください」
「だ、大丈夫かい?」
「はい。少し騒がしくなるとは思いますけど」
 そっと一瞥すると、娘たちは奥方のそばで抱き合い、顔を青ざめさせている。山犬と聞いて怯えているようだった。
 扉を閉め、閑丸は静かに呼吸をととのえた。
 閑丸たちを助けに現れた時は、山犬たちを前に平然としていた覇王丸が、今はいつになく険しい表情を見せている。もしかすると、あの時よりも数が多いのを感じ取っているのかもしれない。
 加えて、今は完全に日が落ち、雪空とあって月も星も出ていない。軒から下げた提灯と社からもれてくる明かり、あとは竃で燃えている炎くらいしか、あたりを照らすものはなかった。この闇の中で山犬の群れを相手にするのは確かに危険だった。
 とはいえ、奥方や老婆たちは社の中にいる。閑丸がここを守りきりさえすれば、さすがに山犬たちとて、壁を破って入り込むことまではできまい。であるなら、あとは覇王丸と閑丸で、どれだけ敵を斬れるか――群れが負けを悟って逃げ出すまで斬り続けることができるなら、すなわち閑丸たちの勝ちであった。
「――来るぞ!」
 覇王丸が刀を抜く。閑丸も使い慣れた傘を握り締め、闇に向かってじっと目を凝らした。
 獰猛な吠え声とともに、無数の山犬たちが暗がりから飛び出してきた。と同時に、横合いからも数頭、山犬が走り込んでくる。
「!」
 その鼻面に傘の先端で突きを入れ、いきおいを止めたところで、閑丸は背中の太刀を抜いて斬り伏せた。
「あれだけ仲間を叩っ斬られてなお懲りねえとは……しょせんは畜生ってことかよ!」
 ふたたび覇王丸の剛刀が唸りをあげ、山犬たちを次々にものいわぬ骸へ変えていく。群れの数が多少増えようと、この男にとってはさしたる問題ではないようだった。その頼もしさに、傘と太刀を振るう閑丸の手にも力が入る。
 縦横無尽に刃を走らせる覇王丸の周囲に、おびただしい数の山犬の骸が累々と積みかさなり、獣の臭いよりも血の臭いのほうがはるかに強くなった頃、何かがあらたにやってきた。
「……?」
 鬱蒼と茂る木々の向こうから、何かが近づいてくる。何かが木々の枝をひしゃげさせ、あるいはへし折り、軽い地響きを立ててやってくる。
「く、熊……?」
「いや――もっとでかそうだ」
 ひたすら社に向かおうとしていた山犬たちが、まるで何かにその場をゆずるかのように、頭を低く下げ、静かに後ずさりしていく。
 それと入れ違いに闇の向こうから姿を現したのは、見上げるほどの大きな体躯を持つ、山犬とも狼ともつかない獣だった。
「え……? な、何――何なんです、こいつ!?」
「……へっ」
 ぐっと引き結ばれていた覇王丸の唇が、不敵な笑みの形に吊り上がった。
 閑丸たちを見据える獣は、侍たちが乗る戦馬よりもさらに大きく、重そうだった。首をもたげれば屋根まで届き、大きく裂けた口には匕首のような牙が並んでいる。凶悪な爪が生え揃った脚先は鋤のごとく、地を払う尻尾は注連縄のように太い。
 どれもこれも尋常ではない。牙も爪も尾も、軽くひっかけられただけで命を失いかねない代物だった。
「面白ェじゃねえか。――なあ、閑丸」
「は、覇王丸さん……?」
「怨霊だの鬼だの、そんなモンとやり合ってきた俺たちじゃねェか。何をいまさら驚くことがある? 鬼がいるなら山犬のバケモンがいたっておかしかねェだろ」
「――――」
 覇王丸の言葉が不思議と閑丸の心を落ち着かせてくれる。
「――要するにだ、何かを守るために目の前の敵を斬らなきゃならねェのなら、あれこれ悩んでねェで得物をブン回すしかねェんじゃねえのか? 悩んでる暇も尻込みしてる暇もねェはずだぜ、今のおめえにはよ!」
「……はい!」
 ほかの山犬たちならともかく、この化物をほうっておいたら、朽ちかけの社などあっという間に壊されてしまう。この化物が何なのか、なぜここに現れたのか――そんなことを考えている場合ではない。ましてや恐怖に駆られて逃げるなど論外だった。
 遠雷のような唸り声をあげる獣に気圧されることなく、覇王丸はじりじりと前に出た。閑丸もまた、傘をかついでそれに続く。おそらくこの獣は山犬たちの首魁なのだ。この獣を倒せば山犬たちは散り散りとなる。
「化物相手にいざ尋常に……とはいかねェが、まあ、痩せ浪人だの野盗崩れとやり合うよりはよっぽどましだろうぜ――!」
「はーっ!!」
 裂帛の気合の声を発し、覇王丸と閑丸は獣へと斬りかかった。

      ◆◇◆◇◆

 閑丸が目を醒ましたのは、翌日の昼近くになってからのことだった。
「……おはようございます」
 なかば寝ぼけながら、薄っぺらな布団の上に身を起こした閑丸は、囲炉裏をかき混ぜている老婆に声をかけた。
「あんれぇ、もう起きたのかね。まだ寝ててもええのに」
「いえ、お手伝いします」
 そこは寺で育てられた性分というものだろう。よほど疲れていなければ、夜が明ける前に自然と目が醒め、まずは寺の掃除から一日を始めるのがかつての閑丸の日常であった。
 覇王丸は隣の布団でまだいびきをかいている。少し気の回し方が細やかすぎる閑丸には、このふてぶてしさがうらやましい。
「それじゃぼく、水を汲んできますから」
 窓から射し込む陽光は、すでに雪がやんでいることを物語っている。閑丸は覇王丸を起こさないようにそっと布団をたたむと、手桶を持って家を出た。
 ゆうべ、閑丸と覇王丸は、化物としか思えない山犬と出会った。こうしてまばゆい日の光を振り仰いでいると、あれがすべて夢か何かだったのではないかと思えてくる。
 実際、長い戦いの末に倒れた化物は、時を置かず煙のように消え去り、あとに残ったのは尋常の山犬たちの骸だけだった。閑丸はそれを見て目を見開いたが、覇王丸はといえば、特に驚いた様子もなく、徳利の酒で刀を清めながら、よくあることだとうそぶいていた。
「どうも俺ァ、こういうあやかしどもに命を狙われるたちらしいんでな」
 だが、そう語る覇王丸に悲壮感のようなものはない。絶望もしていない。むしろそうした艱難辛苦のすべてを、みずからが剣の道を究めるために必要なものとして、喜んで受け入れている。閑丸が覇王丸のような境地にいたるには、まだ時間がかかりそうだった。
 それと前後して、奥方は無事に赤子を産んだ。閑丸たちは目にしていないが、老婆がいうには、大きくて丈夫な男の子だという。奥方と小間使いの娘たちを残し、閑丸たちが老婆の家に戻ってきたのは、もう日も昇ろうかという明け方のことだった。
「あふ――」
 あくびを噛み殺し、閑丸は井戸のある家の裏手へと向かった。
「……けど、あの人たち、あのままにしておいてよかったのかな?」
 もとよりあてのない旅路を行く閑丸である。子供を産んだばかりの奥方たちに江戸までつき添ったとしても、何か不都合があるわけではない。この先また何かあった時に、女たちばかりでは困るだろうに、それを放って山を下りてきてしまったことが、いまさらのように悔やまれた。
「あとで様子を見にいってみようか――」
 そうひとりごちた閑丸は、井戸のそばに積み上げられていたものに気づいて声を失った。このご時勢、川の魚さえ餓えて痩せるというのに、まるまると太った野兎や山鳩、それに毛並みのいい貂などが、さながら獺祭のように並んでいたのである。
 呆然とそれを見つめていた閑丸は、どこか遠くで狐が鳴く声を聞いた気がして、慌てて家の中に取って返した。
「お、おばあさん! 覇王丸さん!」
「あんれ、どうしたね?」
「んぁ……?」
「き、来てください! ちょっとこっち!」
「何だってんだ、こんな朝っぱらから……?」
「もうお昼ですよ! いいから早く!」
 まだ寝ぼけている覇王丸を急かし、老婆に肩を貸して、閑丸は井戸のところに戻った。
「ほら、これ! さっき水を汲みにきたら、こんなふうに――」
「へえ……こいつはうまそうだな」
 野兎の耳を掴んで重さを確かめ、覇王丸は舌なめずりをした。
「何を呑気な……おかしいと思わないんですか、こんなの?」
「おかしいっていうか――なあ、ばあさん?」
「ありがたやありがたや……」
 老婆はなぜか山のほうに向かって頭を下げ、ぶつぶつと呟いている。閑丸は首をかしげて覇王丸に尋ねた。
「あの……何なんです? どういうことなんですか?」
「俺にもはっきりとしたことは判らねェが……たぶん、こいつァゆうべの奥方からの返礼の品じゃねえのか」
「へ、返礼?」
「違うかい、ばあさん?」
「そうだぁねえ……ありゃあここいらの山神さまだったんじゃねえ」
「えっ?」
「だからおめえよ、どこぞの武家の奥方にしちゃあ妙だっていっただろ? 要は人間じゃなかったってことだよ、あの主従は」
「そんなこと、あるんですか……?」
「あったんじゃねェの? こっちはただバケモノ退治しただけだが、ま、くれるってんならありがたくいただこうじゃねえか」
 頭をぼりぼりかいていた覇王丸は、望外の贈り物を家の中に運び込むと、さっそく兎の皮を剥ぎ始めた。
 仮に、覇王丸のいう通り、ゆうべの奥方が本当に人間ではない何かだったとして、それが出産を手助けしてもらったことや、山犬の群れから守ってもらったことに恩義を感じて、それでこうして返礼品を持ってきたのだとして――それを覇王丸がすんなり受け入れるのは判らないではない。覇王丸や閑丸は、この世にあやかしといわれるもの、鬼や怨霊と呼ばれるものが実在するということを、目で見て肌で感じて知っている。
 しかし腑に落ちないのは、あの山犬の化物を実際には見ていない老婆までが、すんなりとその考えを受け入れていることだった。
 覇王丸がさばいた兎の肉に串を打ち、味噌を塗って焼いていた老婆は、怪訝そうな表情の閑丸に気づいたのか、小さく微笑んで呟いた。
「こんなこと信じてもらえんと思っていわんかったけどねえ」
「はい?」
「ゆうべワシが取り上げた男の子にはねえ、尻尾が生えとったんだよ」
「し、尻尾?」
「こう……大きな、狐の尻尾が生えとってねぇ。それで何となく、これは山神さまかもしれんて思ったんだぁよ。……たま~にあるもんでねぇ」
「たまにって……な、何がです?」
「人間でない何かが産婆を呼ぶということがだよ。……ワシはゆうべが初めてだったけんど、死んだワシのばあさんは、蛇のお産を手伝ったことがあるっちゅうのが自慢じゃった。てっきり与太話じゃと思っとったけど、本当にあるんじゃねぇ」
 味噌が焦げるおいしそうな匂いが細い煙とともに立ち昇る。囲炉裏の炭をかき混ぜる老婆の、どこか懐かしそうな横顔を、閑丸はそれこそ狐につままれたような面持ちで見つめていた。

      ◆◇◆◇◆

 枯れ芒が冷たい風に吹かれて揺れている。
 遠くでまた狐が鳴く声を聞いたような気がして、閑丸は思わず背後を振り返った。
「見送りのつもりか? 義理堅ェ狐だな」
 そういって覇王丸は呑気に笑った。
「――ま、これであの奥方も、大晦日までには王子に着けるだろうぜ」
「王子?」
「江戸の北のはずれの、日光御成街道沿いにある王子村にはよ、昔から大晦日になると関八州の名だたる狐たちが集まってくるっていわれてんのさ。たぶん、一族揃って王子に向かうところだったんじゃねェの?」
「……そんな話、ホントにありえると思ってるんですか?」
「おめえはガキのくせに妙なところで頭がかてェなぁ。もっとこう……目を輝かせて感心してみせりゃぁ可愛げもあるってのによ」
「可愛げなんてなくてもいいんです、ぼくには」
 頭をぐしゃぐしゃと撫でる覇王丸の手から逃れ、閑丸は唇をとがらせた。
「――そりゃそうと、小僧、おめえ、これからどうする?」
 ふと見上げると、覇王丸は老婆が手土産にと持たせてくれた山鳩の串焼きをもう食べている。閑丸は気の抜けた笑みをもらし、遠い西の空を眺めやった。
「そうですね……少し、西のほうへ行ってみようかって」
「ふぅん」
覇王丸さんはどうするんです?」
「そうだな。ひとまず江戸の知り合いのところに転がり込んで年越し……かな。そのあとは――まだ判らねェな」
「そうですか。……それじゃぼく、もう行きます」
「気がはえェな。……ま、せいぜい気をつけなよ」
覇王丸さんもお気をつけて!」
 大きく手を振り、閑丸は駆け出した。
 閑丸と覇王丸とでは、生まれも生き方もまるで違う。かろうじて同じなのは、きょうもあしたもあてのない旅を続けているということくらいだろう。
 その旅の中で何を見つけるのか、何を見出すのか、あるいは何も見つけられないのか――以前はそういうことを考えるたびに暗澹たる気分になっていたが、覇王丸を見ていると、そんな自分が馬鹿馬鹿しく思えてくる。
 傘を肩にかつぎ、背中を押すような北風に軽く身震いして、閑丸は灰色の枯野をひたすらに走っていった。
                                ――完――