とびだせどうぶつの森 QRコード置き場

ここにはおもに『とびだせどうぶつの森』、『GirlsMode4』でネオジオキャラになりきるためのマイデザイン用QRコードやコーディネイト案、それにSNK関連の二次創作テキストなどを置いています。髪型や髪色、瞳の色については『とびだせどうぶつの森』の攻略Wikiを参照してください。

『真吾一番勝負!』

 
 まどろみの中で鳥のさえずりを聞いた。
 ゆうべ窓を閉め忘れたのか、部屋の中に流れ込んでくる風にはしっとりとした潤いとわずかな緑の香りが含まれている。
 心地よい春の朝――矢吹真吾はその空気を大きく吸い込み、ベッドを抜け出した。
「きょうから本格的に就活開始だ! ……クールにいこうぜ、真吾!」
 リクルートスーツに着替え、鏡の前で身だしなみをととのえながら、真吾は自分自身にいい聞かせた。いい就職先が見つかれば、最近どうも距離ができてしまったような気がするカノジョとも、何となくまたうまくいくような気がする。逆にいえば、ここでつまずけば就職浪人ということもありえなくはない。

 「えーと、就活セミナーの開始時間は――」

 トーストとコーヒーの簡単な朝食を用意しながら、真吾はシステム手帳を開いてスケジュールを確認した。大学進学を機に始めたひとり暮らしも丸三年になる。実家の母親は、できれば地元で就職してほしいといっているが、こればかりは真吾の都合でどうにかできるものでもない。
「……余裕を見て早めに出たほうがいいな」
 コーヒーをすすり、手帳をブリーフケースにしまった真吾がネクタイを締め直していると、まだ朝の八時前だというのに、マンションのインターホンがけたたましく鳴り出した。
「うわ!? だっ、誰だ、こんな時間に?」
「しーんーごーくーん! あーそーぼー!」
「え!?」
 聞き覚えのある若者の声――真吾は慌てて玄関に向かうと、ドアスコープを覗いて外の様子を窺った。
「くっ……草薙さん!?」
「しーんーごーくーん! 遊ぼーったら遊ぼーぜー!」
 魚眼レンズでゆがめられた視界の中には、かったるそうにインターホンを連打する若者が立っていた。髪形や服装がかなり変わっているが、それはまぎれもなく真吾の高校時代の先輩であり、師匠ともいえる草薙京その人だった。
「なっ、なぜ草薙さんが!?」
「おい、いるんだろ、真吾!」
 いつまでも真吾が鍵を開けないことに業を煮やしたのか、京はインターホン連打に加えてドアを叩き始めた。
「わざわざ師匠が遊びにきてやったんだぞー! 早く開けたまえよ、真吾くーん! おらおらおら!」
「ちょっ……!」
 ふたたびドアスコープを覗くと、向こう側から覗き込んでいる京と目が合った。
「うわぁ!?」
「お! やっぱそこにいるんじゃねーか。おい、早く開けろよ、真吾。このままだとご近所さんに迷惑だぞー? 朝っぱらからうるさいって苦情来ちゃうぞ、おーい」
「やっ、やめてくださいよ、草薙さん!」
 真吾はチェーンをかけた状態で鍵をはずし、ドアを開けた。
「よう、久しぶりだな、真吾!」
 にこやかな笑みとともに手をあげてあいさつする草薙京。しかし真吾は、この邪気のなさそうな笑顔から次々に理不尽な要求が出てくることを知っていた。むしろこういう笑顔の時こそ油断してはならないのである。
 真吾はごくりとのどを鳴らし、声の震えを抑えて尋ねた。
「こっ、こんな朝早く、なっ、何なんです? 何かご用ですか?」
「何なんだとはずいぶんじゃねえか。おまえこそ何なんだよ、このチェーンは? さっさと中に入れろよ」
「そっ、それは――い、いや、実は今、取り込み中で……」
 ドアをがしゃがしゃやっていた京は、それを聞いて目を細めた。
「おっ? アレか、もしかしてガールフレンドでも連れ込んでんのか? そういやひとり暮らしだもんなあ、おまえ」
「ちっ、違いますよ! 俺のこの服装見て判りませんか!? これから出かけるんですよ!」
「そうか。でも、別に海外に行くとかじゃねえんだろ?」
「そりゃまあ……」
 就活セミナーに行くとは告げず、真吾は曖昧にうなずいた。
「じゃあいいじゃねえか。おまえが帰ってくるまで中で待たせてもらうぜ」
「ま、待つって――どういうことです!?」
「いやぁ、しばらくおまえんとこに泊めてもらおうと思ってな」
「は!?」
「武者修行の旅もここ最近はなかなか厳しくてよ。旅費を用立ててもらいに実家に顔出したら、いつまで親の脛をかじるつもりじゃァ! って親父といきなりNO ESCAPE、BURN TO FIGHTってなもんだぜ。いやー、まいるよな、実際」
 草薙親子の喧嘩が単なる親子喧嘩ですむはずはない。そのさまを想像して軽くうんざりした真吾の胸中も知らぬげに、京は得意げに続けた。
「勝負はもちろん俺が勝ったんだぜ? でもよ、親父にあそこまでいわれたんじゃ、さすがにこれまで通りに世話になるのも癪だしな。で、最後に八重垣ブチかまして家を飛び出してきたってわけ。――あ、おまえもいっぺん体験してみるか、俺の新超必?」
 京の超必殺技というからには、どうせボコボコ殴られてから最終的に燃やされるのだろう。そんなものを食らった日には、せっかくローンで買ったリクルートスーツが灰になってしまう。
「そ、それはまた別の機会にゆずるとして……そ、それで、これからどうするんですか、草薙さん?」
「まあ、時には立ち止まって自分を見つめ直すことも必要だろ? 世知がらい現代社会に流されて生きているうちに、俺も大切な何かを見失っちまってたかもしれねえしな」
「じ、自分を見つめ直すって……具体的には?」
「細けぇことはいいんだよ、細けえことは! それよりおまえ、さっさとチェーンはずせよ。でもってヤキソバパン買ってこい!」
「は!?」
「制限時間三分な!」
「いや、ちょ、ちょっ……ま、待ってくださいよ!」
 強引にドアを引き開けようとする京の力に内側からノブを引っ張って対抗しながら、真吾は声をうわずらせた。
「おっ、俺、きょうはこれからセミナーに行かなきゃなんないんすよ! しゅ、就活っす!」
「就活? あー、ムダムダ」
 ドアの隙間に革靴をねじ込んだ京は、指先に火をともしてチェーンを炙り始めた。
「――おまえが多少がんばったところでロクなところに就職できるわけじゃねえんだし、それより俺という天才を間近でささえるほうが、おまえの人生にとっちゃ得るものがデカいはずだぜ? ……ちっ、火力が足りねえか」
「や、やめてくださいよ! いくら草薙さんだって、チェーンだけ器用に焼き切るとか無理ですから!」
「ま、確かにドアごとぶち破るほうが簡単なんだが、おれがきょうから厄介になるマンションを破壊するってのも本末転倒だろ?」
「いやいやいや、燃えたろ? みたいなニュアンスでヒドいこといわないでくださいよ! だっ、だいたい、俺に就職が無理だとかって、そんなのやってみなきゃ判らないじゃないですか!」
 真吾は特に優秀な大学生ではない。だが、高校時代にKOFと出会い、真吾なりに格闘技に打ち込んできた。無為な青春時代をすごしてきたとは思っていない。
 が、京はそれを一笑に付した。
「あのなあ……KOFやってただけで大学だの会社だのに入れるなら、俺は今頃ソニーの社長だっつーの。俺のプレジデント鬼焼き食らってみるか、うん?」
「い、いや、そもそも草薙さんの場合は、大学入学以前に高校留年、学歴でいったら中卒――」
「てめええぇぇえ!」
「はぶぁ!?」

      ◆◇◆◇◆

「――っていう悪夢を見て飛び起きたわけでして……」
「おまえね……」
 真夜中に呼び出された二階堂紅丸は、深刻な表情の真吾の告白を聞き終えた刹那、重苦しい溜息とともにテーブルに突っ伏した。
「おまえが半泣きで電話してくるからよほどのことだと思って駆けつけたってのに――よりによって夢の話かよ」
「ゆっ、夢ですんでよかったじゃないですか! もしこれが現実だったら、俺は草薙さんの新技で丸焼きにされた上に就活失敗でしたよ!?」
 ハンカチを噛み締め、真吾は人目もはばからずに泣きわめいた。
「ええ、そうですよ、たかが夢のハナシですよ! でも、紅丸さんに俺の気持ちが判りますか!? ホントに怖かったんですから、俺! 少しくらいやさしい言葉をかけてくれてもいいじゃないですかぁ!」
「お、おい、真吾……判った、判ったから、な?」
 午前一時すぎのフォルクスには客の姿はまばらだったが、その視線がすべてこちらに向いている。おそらく彼らは、今の紅丸と真吾のさまを、同性カップルの修羅場か何かと勘違いしているに違いない。好奇の視線の痛さに耐えかね、紅丸はメニューを手に取った。
「と、とにかく肉でも食って元気出せ、な? ここはひとつサーロインをどーんと四〇〇グラム――」
「……紅丸さん」
「ん、何だ? 支払いのことなら気にするなよ、オレさまが奢ってやるから」
「もうラストオーダーです……」
「これだから江坂店は……」
 苛立たしげな吐息に舌打ちをまぎれ込ませ、紅丸はコーヒーカップを手に取った。
「――で、真面目な話、オレを呼び出した理由は何なんだ?」
「実はですね……」
 ずずっと鼻をすすり、真吾はようやく語り出した。
「ぶっちゃけ、自分がいずれ実際に就活するって考えたら、すごく怖くなったんですよ」
「は?」
「いや、だって俺、今はKOFとかに出場してますけど……でも、それで食っていけるかっていわれると微妙だし、じゃあやっぱりちゃんとした職業に就くしかないかなって――」
「まあ、おまえの師匠は一番参考にしちゃいけない人種だしな」
「だから俺、今から将来の生活設計立てておきたいって思ってるんですよ。それで紅丸さんに相談なんですけど、誰か参考になりそうな体験談とか聞かせてくれそうな人っていないですか?」
 アイスコーヒーのグラスを脇に押しのけ、真吾は身を乗り出した。
「参考って……え? KOFに出てるような人間で、なおかつまともに就職相談できそうなヤツってことか?」
「そうそう、まさにそうです!」
「いや、だったらおまえ――」
 紅丸は眉をひそめて自分の顔を指差した。
「そこはまずオレやゴローちゃんに聞くべきところじゃないのか? 自分でいうのもアレだけど、そこそこちゃんと社会人してるはずだぜ? 少なくとも京なんかよりはまともな大人なんだがな」
「いやいやいや、大門さんってけっこうアレですよ、サカザキさんが空手バカならこっちは柔道バカっていうか、柔道のことしか考えてないじゃないですか、あの人。すぐに山籠もりするとか、ワシを背負ってウサギ跳びしろだとか、現代人の感覚じゃないですよ。大門さんを参考にしたら大ヤケドしちゃいますって」
 唖然とする紅丸の前で、真吾はさらっとヒドいことをいい始めた。
「――それに、紅丸さんとか、それに極限流のロバートさんとかもそうですけど、実家が超金持ちじゃないっすか。俺たち庶民の痛みとかぜんぜん判らない人たちは参考にならないっすよ」
「ちょくちょくムカつくことをいうヤツだな、おまえ……」
「そりゃあ愚痴もいいたくなりますって。紅丸さんたちは人生の勝ち組、俺はどうせ負け組なんです」
 真吾は唇をとがらせてぼやいた。
 しばらく腕組みして考え込んでいた紅丸は、ふといいことを思いつき、真吾にいった。
「おまえ、夏休みだよな?」
「え? まあ……宿題はぜんぜん終わってないですけど」
「来週からアメリカに行くつもりだったんだが、ついでだ、おまえも連れてってやる。パスポート用意しとけ」
「はい?」
「おまえと同じ――いや、おまえより貧しい境遇から這い上がって今は大企業に勤めてるヤツがいる。特に親しいってわけじゃないが、ま、根はいいヤツそうだし、話くらいは聞かせてもらえるだろ」
「ええ!? さ、さすが紅丸さん! 海外のご友人ですか! アメリカンドリームの体現者ってことですね!?」
「そんなところだ」
「……でも、KOFの出場者にそんな人いましたっけ?」
KOFっていっても歴史は長いからな。おまえがよく知らない参加者だっているんだよ」
 首をかしげている真吾を横目に、紅丸はにやりと唇を吊り上げた。

      ◆◇◆◇◆

 長いフライトを終えて入国審査を終えた矢吹真吾は、自分がなぜこんなところにいるのか一瞬理解できなかった。
「え? あれ?」
 周囲を飛び交うスラング混じりのアメリカ英語に目を丸くし、真吾は慌ててあたりを見回した。
「マンハッタン……とかじゃないんですか? え? ニューヨーク――じゃないですよね、ここ? さ、さ、サ……サウスタウン国際空港……? サウスタウン!?」
「いくらオレが手配してやったからって、自分の搭乗券をロクにチェックしないってのはどうなんだ、おまえ? 飛行機降りるまで気づかないとかありえないだろ」
 ぞんざいにいい放ち、紅丸はさっさとタクシーを拾って運転手に行き先を告げている。真吾は慌ててそれを追いかけ、低く押し殺した声で紅丸に尋ねた。
「ビジネスで成功したお友達っていうから、てっきりウォール街とかに行くのかと思ってたんですよ、俺は! それがまたどうしてサウスタウンなんかに――」
「……あのな、真吾。オレはそいつがビジネスで成功したとはひと言もいってないぜ?」
 窓越しの陰鬱な夕空を見つめ、紅丸は呟いた。
「それにもうひとつ、そいつとは友人じゃない」
「え? ……ていうか、このタクシー、どこに向かってるんです?」
イーストアイランドだ」
「はい?」
「『パオパオカフェ』で待ち合わせなんだよ」
「なるほどー、この街の格闘家たちのメッカみたいなもんですもんね!」
 ぽんと手を打った真吾は、しかし、すぐにまた眉をひそめて考え込んだ。
「……フライトの間もずっと考えてたんですけどね」
「おまえ、搭乗してすぐに寝てただろ」
「い、いや、起きてる間ずっとって意味ですよ! で、やっぱり思いつかないんですけど」
「何がだ?」
「ですから、KOFに出場するような格闘家で、そんなサクセスストーリーの持ち主なんています?」
 草薙京を追いかけるに当たって、真吾は自分が出場する以前のKOFについても調べたことがある。しかし、いわゆる常連チームのメンバーを順繰りに思い浮かべてみるが、世界的な大企業にお勤めの勝ち組はあいにくと記憶にない。真吾の脳裏をよぎるのは、フリーターや空手家、超能力アイドルに傭兵、あるいは色黒のテロリストにサイボーグ、上海のチンピラに暗殺者といった、むしろまっとうなビジネスマンの対極にいるような面々ばかりである。
「――まあ、KOFに出てる常連の大半は、まともに税金払ってなさそうな連中だからな」
「あ……! もしかして紅丸さん、俺を会わせたい相手って、『パオパオカフェ』のリチャードさんじゃないですか!?」
 カポエラを世に広めるためにサウスタウンにやってきたリチャード・マイヤは、いまや『パオパオカフェ』をチェーン展開させるまでにいたった立派な実業家といえる。真吾にも将来的に就活せずに起業する可能性がないわけではない以上、その体験談を聞く意味はあるかもしれない。
「そっかぁ! そうですよね、自分で事業を始めるって手もありますよね! ベンチャー企業の大学生社長とか、カッコいいっすね!」
「お気楽だな、おまえは」
 その時、紅丸が何やら含みのある笑みを浮かべたことが気になったが、その真意を問いただす前に、タクシーは華やかなネオンにいろどられた看板の前で停車してしまった。
「――営業開始の時間にはまだ早いが、ま、そのほうが仕事の邪魔にならなくていいだろ」
 紅丸は真吾を引き連れ、一号店に足を踏み入れた。
 まだ日暮れ前のホールには、気の早い酔客がわずかにいるだけで、まだまだ夜かこれからといった雰囲気だった。広いステージでエキシビジョンマッチがおこなわれるショータイムになれば、立錐の余地もないほど混み合うのがこの店のつねだと聞いている。
「へぇ、ここが格闘家の聖地かぁ……よく優勝チームの打ち上げに使われてるイメージですけど、俺、実際に来たのは初めてですよ」
 真吾は目を丸くして店内を見回した。ラテンアメリカの情熱を凝縮させたような、極彩色の光の洪水と独特のビートを刻むBGMが、真吾の身体をわけもなく熱くさせる。ここに熱狂的な格闘技ファンが詰めかければ、確かに最高の舞台になるだろう。
「こっちだ」
 きょろきょろしている真吾をカウンターのほうへと連れていった紅丸は、グラスを磨いていた男に声をかけた。
「やあ、セニョール。無理をいってすまない」
「いや、別に私はいいんだよ、店に被害さえ出なければ」
 溜息混じりに紅丸に応じた男はリチャード・マイヤ――会うのは初めてだが、真吾も雑誌や過去の大会映像などで見たことがある。しかし、それより何より、真吾が気になったのは今のひと言だった。
「は、はい? ひ、被害……っていいました、今?」
「いいからおまえはここに座ってろ。すぐにお相手が来るから」
「え? お相手って……リチャードさんの話を聞くんじゃないんですか?」
「あいにくだが、私はつなぎを取ってこの場を提供しただけだよ」
 グラスを置いてかぶりを振ったリチャードは、哀れな仔羊を見るかのごときまなざしで真吾を一瞥した。
「え!? な、何ですか、その意味ありげな視線は――べっ、紅丸さん、いったいどういう……べにま!? あ!? ど、どこ行ったんですか!?」
「おや、何も聞かされていなかったのか、少年?」
 ふたりぶんのジンジャーエールを用意していたリチャードが、首をかしげて真吾にいった。
「――セニョール二階堂なら、これからバカンスでフロリダに行くといっていたが」
「フロリダ!?」
「ああ。そのついでにきみをここに連れてくるから、あとは頼むといわれてね」
「あ、あとは頼むって……何をです?」
 話が見えず、真吾は出されたジンジャーエールに手を伸ばしてそう尋ねた。
 と、その時。
「てめェか」
「んごっぷ!」
 いきなり後頭部に衝撃を受け、真吾はカウンターで鼻を痛打した。
「うぐぐぐぐ……ぅえ!?」
 鼻を押さえて背後を振り返った真吾は、人を食い殺しそうな苛烈なまなざしで自分を見下ろすバンダナの男に気づき、スツールから転げ落ちた。
「はわ、はわわわ……!」
「……チッ」
 忌々しげに舌打ちしたバンダナの男――ビリー・カーンは、朱塗りの棍を三つに折りたたんでカウンターに置くと、ジンジャーエールのグラスをリチャードに突き返した。
「昔のよしみでわざわざ足を運んでやったってのに……おい、リチャード、いったい何なんだ、このガキは?」
「私にいわれても困るよ。私だって頼まれただけなんだ」
「どっ……どういう、え? あれ? アメリカンドリームの体現者って――ええ!? も、もしかして!?」
「……何をいってんだ、このガキは?」
 ジンジャーエールの代わりにビールをオーダーしたビリーは、ジョッキの半分ほどを一気にあおり、真吾を指差した。
「どうやらこちらのぼうやが、おまえの成功談を聞きたいらしい」
「はァ?」
「い、いやいやいや!」
 妙な方向に向かい始めた会話の流れを矯正しようと、真吾は鼻血をすすって慌てて立ち上がった。
「お、俺、いや、ぼっ、ボクが紅丸さんにお願いしたのはですね、将来自分が就職するに当たって、そ、その、一流企業にお勤めのかたのお話を聞いて参考にできればという……ね? そういうことであって、決してその、さ、三節棍で人の頭蓋骨砕きそうなおかたと話したいわけでは――」
「はァア?」
 だむっ! とジョッキをカウンターに叩きつけ、ビリーは真吾を睨みつけた。
「要するにアレか、オレに無駄足を運ばせるために、てめェはわざわざ日本からやってきたと――今そういったか、アァン?」
「おいおい、店でトラブルはよしてくれよ、ビリー」
 ジョッキの代わりに真吾の襟首を掴んだビリーを、リチャードがやんわりたしなめる。「そこはもっと強気に出てくださいよ! むしろ力ずくで止めてくださいよ!」と心の中でリチャードを応援しながら、真吾はただカクカクとうなずくことしかできない。
「何いってやがる? オレだってそうそうヒマじゃァねえんだ、ガキのイタズラにつき合ってられるかよ。このあともデカいシノギがあるんだぜ」
「べべべべべ、べっ、別にそのっ、む、無駄足を、は、運ばせるつもりは、毛頭なかったといいますか、たっ、ただ、こちらの意図するところと、若干、ず、ズレがあったと申しますか――」
「は? もうちょいはっきりしゃべりやがれ、ガキ!」
「べっ、紅丸さんです! 全部あの人が悪いんです!」
 ビリーに至近距離でメンチを切られた瞬間、のどに引っかかっていた言葉がするりと出てきた。
「――そ、そもそも俺はですね、悲惨な境遇から世界的な一流企業の要職に登り詰めた人を知ってるからっていわれて、それでここまで連れてこられたんですよ! 俺だってだまされたんです! あ、あの人はひどい人だ! 人生の勝ち組だからって、俺たち負け組をもてあそんで――」
「ナニが俺たち負け組だ、いっしょにするんじゃねえ」
「あう」
 真吾を乱暴に突き放したビリーは、しかし、どこか嬉しそうな微笑をたたえてビールをちびりとすすった。
「……なるほどな。あのピカチュウ男も、なかなかどうして人を見る目があるじゃねえか」
「……は?」
「だからよ、小僧。てめェの求める人物像にぴったり合致するっていってんだよ、このオレさまがな」
「え? ぴったり一致? 何すか、それ? アメリカンジョークはちょっと判んないですけど……」
「ナメてんじゃねえぞ! オレは大真面目だ!」
「ひいィ!?」
「いいからここに座れ! じゃねえとサウスタウンベイに沈めるぞ!」
「はっ、はい!」
 ビリーの隣に背筋をぴんと伸ばして座る真吾。足の速さにはいささかの自信がある真吾だが、あのビリー・カーンの炎の三節棍から無傷で逃げ出す自身はない。
 ビリーは懐から一〇〇ドル札を出してカウンターに置き、
「おい、リチャード。この小僧に何かうまいもんを出してやってくれ」
「そうそう、ここは楽しく飲み、食べる場所だよ」
 ドル紙幣をポケットに押し込み、リチャードはほくほく顔で厨房に下がっていった。
「――まあ、何だ」
 ビリーは真吾の肩を親しげに叩いた。
「思えばてめェも、あの赤毛野郎の敵って意味ではオレの仲間みてェなモンだしな」
「は!? いきなりの仲間認定ですか!? 狂犬とまでいわれたビリーさんと俺が仲間!?」
「あ? 違うってのか?」
「いえいえいえ! ち、違くありません! 草薙さんの敵は俺の敵、すなわち八神さんは俺の宿敵です、はい!」
「そうだろそうだろ。まあ、そういう縁がある以上、オレもてめェをこのまま見捨てるのは忍びねェ」
「俺としてはぜひ見捨ててくれていいんですが……いろいろと、ね、お、お忙しいでしょうし」
「ガキはそういう細けェことを気にする必要ねえんだよ。ほら、遠慮せずに食え。オレのおごりだ」
 シュラスコフェイジョアーダ、キャッサバフライに牛テールの煮込み――リチャードが運んできたブラジル料理はどれもこれもいかにもうまそうで、長旅で疲れた真吾の食欲を刺激したが、おいそれと手を出していいものか判断がつきかねるのも事実だった。おごりといいつつ、あとでビリーに恩を着せられてひどい目に遭う可能性を捨てきれないのである。といって、ここでビリーの好意を無下にするのも、それはそれで非常に危険な気がした。
「そ、それじゃ……いただきます」
 どうせ食っても食わなくてもひどい目に遭うなら満腹になるまで食う! という、欲望に忠実な選択肢を選んだ真吾は、リチャードが切ってくれたシュラスコを皿に取ってもぐもぐ食べ始めた。
「あ! さすが本場は違いますね! いや、アメリカなのに本場っていうのもアレですけど」
「そりゃどうも」
「ま、それでだな」
 リチャードに次のビールを催促したビリーは、カウンターの表面を指でこつこつ叩いていった。
「――てめェが本気ではたらきてェってんなら、オレが口を聞いてやってもいい」
「は?」
「は? じゃねぇよ。はたらき口を捜してアメリカくんだりまで来たんじゃねえのか、てめェは?」
「いや、そもそも俺はまだ高校すら卒業してないんで……ですから、い、いずれ就職することを考えて、成功者の体験談を聞いておきたいなーって思ってですね」
「それでオレを訪ねてきたってわけだろ?」
「え? あ、ですからその、俺が体験談を聞きたいのは、めぐまれない境遇から這い上がって――」
「まさにオレじゃねえか」
「は?」
「オレはアレだぞ、イギリスの労者階級の家族に生まれて、アメリカに移住したとたんに両親が相次いで死んだんだぞ? なかなかヘビーな境遇じゃねェか、おい?」
「そ、それは確かに……昨今の日本人にはなかなか体験できない少年時代ですね」
 その後、ビリーは幼い妹を食べさせていくために、ろくに学校にも通わず肉体労働に従事してきたという。なるほど、これはまぎれもなくめぐまれない境遇といえるだろう。
「そんな過酷な日々の中、オレはギースさまと出会い、やがてその片腕と呼ばれるまでになった……判るか、おい? 天下のハワード・コネクション総帥、ギース・ハワードの片腕だぞ、片腕?」
 真吾の二の腕をばしばしはたきながら、ビリーは面白そうに笑った。
「い、いわれてみれば確かに……」
 フォークを置き、真吾は眉をひそめて考え込んだ。
「何かと悪い噂がつきまとうとはいえ、ハワード・コネクションといったら全米で知らない者はいないくらいのコングロマリット……そこに君臨するハワード総帥の片腕ってことは、も、もしかして、ビリーさんこそアメリカンドリームの体現者――っていうか、テリーさんなんかより圧倒的な勝ち組じゃないですか!」
「くっくっくっ……今のひと言、いい響きだぜ、小僧」
「じゃあひょっとしてビリーさんてお金たくさん持ってます!?」
「いやいや、あくまでオレはギースさまの用心棒だからな、ほかの役員どもみてェに億単位の年棒はもらってねえよ」
「えー……」
「代わりにギースさまからはたくさん株をもらってる」
「ふ、不労所得!?」
ストックオプションてヤツだ。おかげでリリィには不自由ない暮らしをさせてやれてるぜ。なのに近所のパン屋で真面目にはたらいて……あいつはオレにはできすぎの妹だぜ、まったく」
ストックオプション! び、ビリーさんの口からそんな言葉が出てくるなんて――」
 両手にフォークとスプーンを持ったまま、真吾は呆然と呟いた。年甲斐もなく革ジャン+バンダナで四六時中「ヒャッハー!」なんて叫びながら棍をくるくる回していたから気づかなかったが、真の人生の勝利者は、真吾がこれまで何度も対戦したことのあるこの狂犬だったのである。
「さて……腹ごしらえはすんだか?」
「は?」
 静かに感動に打ち震えていた真吾は、スツールから立ち上がったビリーを見上げた。
「充分に食ったかって聞いたんだよ」
「そりゃあもう……おなかいっぱい胸いっぱい、何だか俺、希望が湧いてきました! ビリーさんが夢を掴めたんですから、きっと俺だっていずれソニーの社長の用心棒くらいには――」
「何いってやがる? さっそくきょうからはたらいてもらうぜ」
「……え?」
「これから大事なシノギがあるっていったろ? さっさとついてこい」
 ビリーは真吾の襟首を掴んで歩き出した。
「ちょ、ちょっ……な、どっ、どういうことですか!?」
「今夜、アジア系の組織と初めての取引があるんだが……どうにもイヤな予感がしやがるんでな」
「そ、それ……まっとうなビジネスですか……?」
「ギースさまや役員連中じゃなく、オレが仕切りを任されたシノギだぜ? ンなはずあるかよ」
「……それもそうですね」
 いきなり重苦しい展開を突きつけられ、真吾はさっき食べたばかりの料理を戻しそうになった。救いを求めようとカウンターのほうを振り返ったが、リチャードはしれっとして料理の皿を片づけるばかりで、真吾のことなどもはや一顧だにしていない。
「てめェは確かにヒゲも生えてねぇガキだが、相手を油断させるにゃちょうどいいし、なかなか頑丈だしな。万が一の時には役に立ちそうだ」
「おっ、俺の頑丈さが役立つ万一のケースって何なんですかね……?」
 真吾は吐き気を唾とともに呑み下し、ビリーの奢りで盛大に飲み食いしてしまったことを後悔した。食べて後悔するか食べずに後悔するかで前者を選んだとはいえ、自分の健啖さが恨めしい。
「さあ、仕事に行くぜ、新入り」
「あああああ」
 ビリーに強引に引きずられ、真吾はパオパオカフェをあとにした。

      ◆◇◆◇◆

 吹き抜けていく風が心地いい。まだ陽射しが強くない、早朝の港で感じる潮風には、言葉ではうまくいい表せないよさがあった。少なくとも紅丸は、それに人並み以上の価値を見出している。
「――そういやよ」
 愛車の助手席で大あくびをしていた草薙京が、涙のにじんだ目もとをこすりながら、今頃思い出したようにいった。
「真吾と連絡取れねえんだけど、あいつ旅行にでも行ってんのか?」
「おまえの弟子だろ? オレに聞くなよ」
 風になびく髪を押さえ、紅丸は笑った。
「――師匠を見習って武者修行にでも出てるんじゃないのか?」
「あいつがか? そういうタイプとも思えねえが……ま、静かでいいか」
「だろ?」
 リクライニングさせていたシートを戻し、紅丸は静かに嘆息した。
「……ところでゴローちゃんの早朝のトレーニングっていつ終わるんだ?」
「さてね。……まあ、世間一般で早朝っていわれる時間帯がすぎれば終わるんじゃない?」
 堤防の上から見下ろせる白い砂浜では、柔道着姿の大門五郎が、倦むということも知らぬげに、もう一時間近くも身体を動かし続けている。足を取られやすい波打ち際であれだけしっかり走れるのは、さすがは柔道の鬼といったところか。
 京は時計を確認し、
「……まだ六時前だぞ? まさかあと二時間もここで待つのか?」
「甘いな、京。大門先生の場合、早朝トレーニングのあとには朝のトレーニングがあるんだぜ?」
「マジかよ……相変わらずだな」
「触らぬ神に祟りなしだ」
 紅丸は愛車を降り、サングラスをかけた。
「――ここでぼんやり見学なんざしてると、乱捕りの相手をしろっていわれかねないからな。そこのファミレスで軽く食事でもして待ってようぜ」
「ああ。……チームメイトとしちゃあ頼もしいんだが、オーバーワークになったりしねえのか、あいつは?」
「そこをド根性で乗り切る精神論者だからな、ゴローちゃんは。オレみたいな天才には理解しがたい存在だ」
「よくいうぜ」
 他愛ないやり取りを交わしながら、紅丸と京は歩いていった。
 どうやらすでに京の頭の中からは、時に鬱陶しく、ごく稀に懐かしい押しかけ弟子の存在は、すでにどこかへ消えてしまっているらしい。

      ◆◇◆◇◆

 どうにもここの潮風に吹かれていると心が落ち着かない。ときおり聞こえてくる霧笛の音が、余計にここが日常とかけ離れたハードボイルドな非日常空間なのだということを真吾に意識させる。今夜の海が時化始めていることも、真吾の心を重苦しくさせていた。
「……ネクタイが苦しい」
 ネクタイをわずかにゆるめ、真吾は眉をひそめた。
 制服は支給してやるといわれて真吾がビリーからあたえられたのは、おそらく大学の入学式でも着ることはないであろう、ピンストライプの入ったイタリア製のスーツだった。
「ホントにこれが制服なんですか……?」
「てめェな……ハワード・コネクションの人間が安っぽいカッコなんざできるワケねェだろ?」
 吐き捨てるようにそういったビリーは、ところどころ裂けたシャツに革ジャン、革パンツというスタイルだった。真吾が無言でそれを見つめていると、彼のいわんとするところを悟ったのか、
「オレはいいんだよ!」
「あだっ!?」
「てめェもな、いつものダセぇ改造学ラン着て仕事がしてェってんなら、まずは出世しろ! そうすりゃ革ジャンだろうがオーバーオールだろうが燕尾服だろうが袴だろうが服装は自由だ。仕事さえできりゃあたいていのことは認められる、そんな自由な社風がウチのセールスポイントだからな」
「じ、自由ですか……」
 サウスタウンベイの倉庫街――人気のない埠頭にリムジンを止め、ビリーたちは取引相手が到着するのを待っている。ビリーと真吾を含めて頭数は四人。真吾以外は全員が落ち着き払っていて、こうした“仕事”にも慣れているようだった。
 ビリーに小突かれた頭を撫でていた真吾は、リムジンのドアミラーに映るスーツ姿の自分を眺め、首をかしげた。
「……スーツにハチマキっておかしいかな?」
「おい、何をぶつぶついってやがる? ちゃんと自分の仕事は把握してんだろうな?」
「えっ? あ、はい。に、荷物持ちですよね?」
 真吾の足元には余裕で人を殴り殺せそうなサイズのジュラルミンのアタッシュが置かれている。これからおこなわれる取引で、このアタッシュケースを相手に渡すのが真吾の仕事だった。
「そいつはあくまでビジネスがスムーズにいった場合のハナシだ」
 いまさらのようにビリーがつけ足した。
「――もしやべェ展開になりそうだと感じたら、逆にてめえは、そのアタッシュを絶対に相手に渡すな。死んでも守りきれ」
「……え? わ、渡すんじゃなくて? っていうか、ヤバい展開って何なんです!?」
「だからよ、取引が決裂するってこともあるだろうが。……その時はてめェがそいつを死守するんだよ」
「ち、ちなみにこれって中身は……?」
「番号が不揃いのヨレヨレの紙幣が一〇〇万ドルぶん詰まってる」
「ひゃ――」
 アメリカの映画やドラマでしばしば聞く、アシのつきにくい札での一〇〇万ドル――そんなものでいったいビリーたちは何を買おうとしているのか、いろいろとイヤな想像が脳裏を駆けめぐり、真吾の声が裏返った。
「騒ぐんじゃねえ。……来たぜ」
 次第に強くなり始めた風に、小粒の雨が混じり始めた頃、約束の時間からわずかに遅れて、黒塗りのSUVが静かにやってきた。
 距離を置いて停止したクルマから降りてきたのは、ラフな格好をしたアジア系の男たちが全部で四人――人数は合っている。しかし、ビリーたちを相手に怪しげな取引をしようとする以上、彼らがまともな人種と考えるのは危険だった。
 ビリーも、相手方の男たちも、余計な言葉はいっさい口にしなかった。段取り自体については、すでに事前に話し合いがすんでいるのだろう。
「――――」
 アジア人たちが大きなスーツケースをSUVから運び出すのを見て、ビリーが真吾に軽く目配せした。
「は、はい」
 スーツケースと交換で、一〇〇万ドルの入ったアタッシュケースを男たちに渡す――いや、渡そうとした時だった。
「!」
 殺気というべきか――うなじのあたりにぞくりと来る寒気を感じた真吾は、咄嗟にアタッシュケースをかかえ込んでその場に身を伏せた。
 その直後、真吾の頭があったあたりを、残像を引きずるほどの速さの拳が駆け抜けていった。
「チッ……勝手にかわしてんじゃねぇぞ」
 苛立たしげに吐き捨て、SUVからのそりと姿を現したのは、白銀の毛皮のコートをはおった大男だった。
「はわっ!? やっ、やや、やま……っ!」
「やけにひょろっとしたガキなんざ連れてるから、天下のハワード・コネクションも人材不足なのかと思ってたんだが――よく見りゃてめェ、ナントカ流の押しかけ弟子じゃねえか」
 黒髪の頭頂部だけを金色に染めた男は、不敵に笑って右手をぷらぷらと振った。香港を拠点に東アジアの裏社会で名を馳せる山崎竜二は、八神庵や七枷社と並んで、「怖いから嫌い!」と真吾が公言してはばからない男である。
「小僧……ケガする前に、おとなしくそいつを寄越しな」
 腰を抜かしたままあとずさる真吾へと、肩からはおっていた毛皮のコートを無造作に落とした山崎が、無造作に詰め寄ってきた。
「そっ、そうはいいますけどね、あ、あなたさっきはいきなり警告ナシに攻撃してきたじゃないですか! もっ、もん、もしあれが当たってたら、ケガなんてレベルじゃすまなかったでしょ!?」
「それが判ってんだったらよ……おとなしく渡せってんだよ!」
「いいから下がりやがれ! 取引はご破算だ!」
 ビリーが革ジャンの懐からたたまれていた三節棍を引きずり出し、真吾の頭上を飛び越えた。
「何か臭うと思ってたが――やっぱテメェが噛んでやがったか、ヤマザキ!」
「ヘッ……総帥のペットはきょうも鼻息が荒いじゃねぇか」
 素手でありながら、山崎のリーチはビリーの三節棍に匹敵する。もはや拳銃より危険な飛び道具で撃ち合うにもひとしいふたりのそばから離れようと、真吾はがくがくする膝に力を込めて立ち上がった。
「おう、おめえら! あのガキを逃がすんじゃねえ!」
 山崎の叱咤で、アジア人の男たちがスーツケースの中からサブマシンガンを取り出した。
「わああ!?」
「逃げろ、小僧! そいつをヤマザキに渡したら初任給はナシだからな!」
「い、いわれなくても逃げますよ――!」
ヤマザキ……てめェ、アレのどこがミャンマー産の質のいい大麻だってんだ!? ハナっからカネだけいただいてく気だったな!?」
「むしろてめェがバカ正直に現金を用意してたことが俺は驚きだぜ……意外に正直モンなんだな、ビリーさん――よっ!」
 蛇の鎌首のようにしなるフリッカージャブをビリーが三節棍で受け止めると、山崎はすかさずもう一歩踏み込み、強引にビリーの頭を掴んで頭突きをお見舞いした。
「ぐっ……この野郎!」
 ビリーと山崎の本気の闘いに、余人が入り込むことはできない。ほかの男たちはおのおの銃を持ち出し、防弾処理のなされたクルマを盾にしての撃ち合いを始めていたが、よくよく数えてみると、こっそりSUVに隠れていた山崎のぶんだけ向こうのほうがひとり多い。おまけにこちらは真吾がアタッシュケースをかかえてコンテナの陰に逃げ込んでいるから、四対二の銃撃戦を余儀なくされている。
「まったく……KOFの場に武器を持ち込むようなズルい人間のくせに、どうしてこういう時だけ律儀に約束守っちゃうかな、ビリーさんも……どうせならこの波止場にたくさん手下を待機させておくとか、そういう卑怯な手を使ってくれればいいのに――」
 嫌な汗をぬぐって事態をの推移を見守っていた真吾は、SUVの後ろのほうから回り込むようにして、アジア系の男がふたり、こちらにやってくるのに気づいた。
「ほらあ! 正々堂々とした取引なんて、ビリーさんらしからぬことするからぁ!」
 錆の浮いたコンテナに弾丸が命中し、夜目にも明るい火花が散ったのを目の当たりにして、真吾は慌ててその場から逃げ出した。
 見知らぬ異邦の港で武装したアジアンマフィアたちに追われているというだけでも非常に危険なシチュエーションだが、たとえこの窮地から脱出できたとしても、もしこの一〇〇万ドルを奪われてしまったら、あとでビリーに何をいわれるか判らない。真吾が平穏無事に日本に帰るには、このアタッシュケースを守りつつ生き延びなければならないのである。
「もっ、もういいっ! 夢なんか掴めなくても、浪人でもフリーターでもいい! やっぱり日本が一番だ! アメリカには冷凍うどんないし!」
 紅丸の甘言に乗ってアメリカまで来てしまったことを悔やみながら、真吾はひたすら夜の波止場を走った。
 しかし、真吾が手にしているのは一〇〇万ドルの詰まったアタッシュケースである。アルミニウム製とはいえかなりの重さがある上に、何より中身の札束が重い。おそらくトータルで一五キロほどはあるだろう。さすがの真吾も、次第に疲労を隠せなくなってきた。
「――うひい!?」
 さっきよりもずっと近いところで男たちの怒声が聞こえた直後、真吾の足元でコンクリートのかけらが飛び散った。さいわい、どこも撃たれてはいなかったが、思わず至近弾から逃れようとする無意識の動きが、真吾の足をもつれさせてしまった。
「あっ」
 ――と思った時には、真吾は数メートル下の暗い海へと落ちていた。予想以上に冷たく、そして荒れていた海は、一五キロの重りをかかえた真吾をあっという間に海底へと引きずり込んでいく。
「ああ……」
 今度からは、プロフィール欄の嫌いなものの項目に、さらにビリー・カーンの名をつけ足そう――ぼんやりとそう考えたところで、真吾の意識は完全に途切れた。

      ◆◇◆◇◆

「――っていう悪夢を見て飛び起きたわけでして……」
「そいつは災難だったな。――とりあえずコーヒーでもどうだい? あったまるぜ?」
 毛布にくるまってぶるぶる震えている矢吹真吾にコーヒーを勧め、テリー・ボガードは焚火に小枝を数本放り込んだ。
「――でもなあ、シンゴ」
「な、何です……?」
「そいつはたぶん悪夢なんかじゃなくて、現実だぜ」
「……は?」
「いや、だからビリーとヤマザキのせいでひどい目に遭ったのは、夢なんかじゃなくて現実だったんだよ。……でなきゃきみはどうしてびしょ濡れなんだ、シンゴ?」
「…………」
 コーヒーのカップを手にしたまま、真吾はじっと自分の今の恰好を見下ろした。いわれてみれば、あれが夢ならなぜ自分はいつもの改造制服ではなく、あまり似合っていないスーツなど着ているのか。おまけに全身ずぶ濡れで、あちこちにすり傷までできている。
「え? あ、あれ?」
 この夜、サウンドビーチでキャンプ――という名の野宿――と洒落込んでいたテリーが、波間に向かって投じた釣り針が偶然引っかけたのが、ボロボロになって気を失っていた真吾だったという。
「――雨上がりの夜釣りで大物がかかったと思ったら人間だったんで、さすがの俺も驚いたぜ」
「え……? あれ、夢じゃないの? いや、ちょっと……」
「それにほら、あれを見ろよ」
 テリーが指差したほうを見ると、金髪の少年が見覚えのあるアタッシュケースにがつんがつん石を打ちつけ、どうにか鍵を壊そうとしていた。
「――ああ!?」
「ビリーから死んでも守れっていわれたの、あれだろ? きみ、気を失ってたのにしっかりかかえてたぜ?」
「そっ、それが判ってるならやめさせてくださいよ! 中身が一ドルでも減ってたら、俺、ビリーさんに殺されちゃいますよ!」
「ということは、律儀にビリーのところに返しにいくつもりがあるのかい?」
「い、いや、それは――うっかり持ち帰ったりすると、そのまままた別のビジネスに巻き込まれそうで……」
「だろうな」
 テリーはロックの襟首を掴んで無益な破壊活動をやめさせると、あちこち傷がついたアタッシュケースを叩いて小さく笑った。
「――こいつはあとで俺が届けておいてやるよ」
「そうしてくれると助かります」
 コーヒーの苦さに眉をひそめ、真吾は肩を落とした。
「俺は……このまま日本に帰ります。分不相応な夢なんか見るもんじゃないですよ、ホント……」
「まあ、俺からひとつアドバイスすることがあるとすれば、だ」
 落胆する真吾の背中を叩き、テリーはいった。
「――人間、けっこう何をやったって生きていけるもんさ。仕事だけが人生じゃない、食ってくだけなら意外とどうにかなる」
「含蓄ありまくりっすね」
 鼻をすすり、真吾はテリーを見やった。
「――やっぱり生まれてこのかたマトモにはたらいたことのない人は、いうことが違うなあ」
「……ニカイドーがきみにイジワルをしようとした気持ちが何となく判ったよ」
 テリーは帽子のつばを押し下げ、低い声で呟いたが、真吾にはその言葉の意味がよく判らなかった。
 とにかく今は日本に帰りたかった。
 京に小突かれながら使いっ走りをしていたあの頃が、ひどく懐かしく思えて仕方がなかった。
                                ――完――